2008年05月11日

「いきる つなぐ いのち」 ロゴ

昨晩遅く、パプア・ニューギニアから帰国。
沖縄の島社会の原風景を見たような思いだった。
来年以降、映像化を考えていることがあり、詳しくはいつか報告します。


ニューギニアに出発する直前、新宿のカフェで、「看板娘」の長女、宮沢かなえさんと、
今年の看板づくりについて話し合った。
かなえさんは、絵本作家(の卵)で、
彼女の不思議な力、第六感ならぬ第七感とでもいう感性に触れると
平面が立体となり、単色が虹色になり、冷たい金属も土色の肌触りの温もりを持つ。
かなえさんとの出会いについては、
2006年12月5日からのブログを。


かなえさんと話し合った結果、今年は、ポレポレ東中野での「看板」は作らないけれど、
どこにも持ち運べる「幡(はた・のぼり)」を作ろうということになった。
また、6月14日からのポレポレ東中野での再ロードショーや、
6月23日に予定しているイベントに向けて、
みんなで作業分担をしながら出来るような楽しいことを考えて行こうと
かなえさんから提案してくれた。
かなえさん、ありがとう。


なお、このブログできちんと書いて来なかったけど、
今年も『ひめゆり』の上映を全国各地で行います。
劇場や市民団体の協力で。  ----- ありがとうございます!!


きょうは、「ひめゆり」6月~8月全国特別上映会ロゴを紹介します。
宮沢かなえさん(イラスト)と、市川千鶴子さん(デザイナー)との合作。

もしこのロゴの使用を希望の方は、
映画『ひめゆり』を観る会 事務局までご連絡ください。
himeyuri@asia-documentary.com

2008年05月02日

明日からニューギニア

明日から、パプアニューギニアへ、調べたいことがあって行く。
20年来の夢だった場所を訪ねる。
僕の行きたいところはホテルもなく、電話連絡さえ全然つかないということで
宿の当てがまったくない、野宿になるかもしれないと
旅行会社の人からは心配されたが、まあ、何とかなるだろう。
ニューギニア全体としては治安は必ずしも良いとはいえないらしいが、
僕の行きたい地域については、犯罪は少ないとのこと。
またその地域について、何冊かの書物に
「心打ち解けた人から裏切られることは絶対にない」
と書いてある。
これが最大の安心材料でもある。(この意味では欧米より安全)
今は知人が一人もいないが、人と向き合い、人の暮らしを訪ねる。
出会いの中の、これぞという人を信じての旅だ。


変な言い方だけど、50年前の沖縄の離島を訪ねるようなものだろうか。
たとえば沖縄の島に降り立ったとき、たとえ宿泊する場所に困っても、
そして運悪く金品が盗まれることはあっても(めったにないが)、
命を狙われることは想像できない。
僕の旅立ちを心配するカミさん(沖縄出身)にこう話したら、
納得してくれた。


今宵は、久しぶりの家族でゆっくりと食事をし、娘たちの学校の様子を聞いた。
二人の娘は、ふだんは喧嘩ばかりしているが、
今晩は「ラバーズ・コンチェルト」と称して、
自ら創作したダンスを仲良く踊って見せてくれた。
素朴で愛らしい笑顔だった。


  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇

配給担当の富士海、プロデューサーの大兼久、経理の山中さんらは
明日は、憲法関係の集会で、映画『ひめゆり』のチラシ配り。
そして3月から宣伝を手伝ってくれている遠藤さんも
5月4日はチラシ配りをしてくれる。
2年目の『ひめゆり』上映への挑戦。
スタッフのみんな、GW返上での活動、ありがとう。

2008年04月27日

新たな証言撮影から戻って

昨夜遅く、沖縄の撮影から戻った。
昨年公開したドキュメンタリー映画『ひめゆり』は、
ひめゆり学徒隊の生存者22人の証言を13年にわたって記録をし、まとめたものだが、
まだまだ証言を記録できていない人がたくさんいる。
映画の完成後も、今年に入ってから2度にわたって、
これまで証言を撮影できなかった人たちの記録を試みている。
1月に4人、そして4月に入ってからの今回、3人の方の証言を記録した。


沖縄の4月は、梅雨を前にした穏やかな天気がつづく。
海岸にはテッポウユリが咲いていた。
63年前に沖縄戦が始まったのもこの季節。
毎年この季節になると戦場の記憶がよみがえり
夢にうなされるという人も多い。


今回お話をうかがった人の中には、撮影予定日の前日になっても、
話そうか、止めようか、迷っている方がいた。
これまでは僕は、そういう人に対しては、強く声をかけることはしなかった。
思い出したくない記憶をよみがえらせるのだから、
無理強いをしては絶対にならないからだ。
でも今回は、何度も電話をしたり、家を訪ねたりして、
お話をすることを強く頼んでみた。


ベーシックなところでは、ひめゆりの生存者の宮城喜久子さんが
まだ語っていない同級生たちに
『話した方がいいよ』と強く勧めてくれていた。
『話さないとあとで後悔をするよ、話すと楽になるよ』
喜久子さんが今年の初めから3ヶ月以上かけて、出演交渉をしてくれていた。
プロデューサーの大兼久(沖縄出身)も何度も電話をかけ、気持ちをほぐしてくれていた。
だけど年を取りすぎて記憶に自信がなかったり、
自分の体験は皆ほど過酷ではないから果たして役に立つのだろうかと
尻込みをするのだ。
あるいは、自分の住む村の近くに、もっともっと重い心の傷を負った人がいるので、
その人を差し置いて自分が語っていいものだろうかと思い悩むのだ。
そして「あの戦場だった場所にまた行ってほしい」と僕が頼むものだから、
それも心を重くさせる・・・・。


でも、お会いして話をした感触からは、
ためらいながらも、協力をした気持ちがあることは確かに感じられる。
亡くなった友達の無念な思いに報いたい、
ひめゆりのためにも協力をしたい、
そして何よりも未来の平和のために役に立てるのだったら
役立ちたいという気持ちをお持ちだということは、伝わってくる。
だから、僕もしつこく粘ってみた。
ここで出演交渉を断念すると、
語れなかった皆さんが「やはり自分はだめだった」と思い、
かえって心の澱になってしまうのではないかと、僕は危惧した。


皆さん、ほんとうによく決心をしてくださった。
不安を抱えながらも、お一人ずつ、僕らとともにあの戦場跡へと向かった。


Hさんだけは、100歳になる母親を看病しているため遠出は出来ず、
ご自宅のすぐ近く、沖縄本島北部の八重岳へ登った。
八重岳も沖縄戦の激戦地のひとつで、
ひめゆり学徒と同じように学徒動員された沖縄県立第三中学校の
生徒たちの慰霊碑が立つ。
Hさんは慰霊碑の前で手を合わせながら、次のような祈りの言葉を口にした。
  「ここで亡くなった三中の皆さん、
   私も、皆さんと同じように学徒動員された者です。
   私はここから遠く離れた南部の戦場にいました。
   これから私の南部での戦争の跡をたどってみたいと思います。
   理由があって遠い南部の地まで行けませんが、
   ここで語ろうと思いますので、
   皆さん、どうか見守って、お通しください」
Hさんの決意に接して、僕の心はふるえ、涙が出そうだった。


「コトノハ(言葉)は語れても、コトノネ(事の根)は語れない」
今回の撮影の中で、お二人からこの言葉を聞かされた。
ひめゆりの引率教員だった仲宗根政善さんが戦後に語っていた言葉という。
「どんなに語っても、あの戦場の様子は語りつくせないです。
 今でもありありと目の前に浮かぶようだけど、言葉にはならない。
 『コトノハ(言葉)は語れても、コトノネ(事の根)は語れない』
 仲宗根先生がよく言っていたけど、ほんとうにそうだねえ」
語りつくせない戦場の悲劇。
でも、今回口を開いた彼女たちは、みな安堵した表情だった。
「聞いてくれてありがとう」
皆さんが最後にそう言ってくれた。
「こんな時代になってきたけど、未来のためにがんばってください。
 そしてひめゆり資料館がいつまでもしっかりとした場でありつづけるよう
 どうぞよろしくお願いします。」
Hさんからはこう言われた。
ふだんはひめゆり資料館に行かない人たちも、心の底であの場を大切にしている。
その思いをしっかりと受け止めたいと、思いを新たにした。

2008年04月19日

全国映連賞・麻生久美子さん

全国映連賞の2007年度の監督賞に選ばれ、きょう授賞式があった。
岩波シネサロンで、あたたかく賑やかなパーティーが催された。
『それでもボクはやってない』の周防正行監督(同じく監督賞)、
『夕凪の街 桜の国』の麻生久美子さん(女優賞)、
『パッチギ Love&Peace』の中村ゆりさん(女優賞)らが集った。
主催の映画鑑賞団体全国連絡会議は、各地の自主上映を中心に活動する映画ファンの集まりで、
現在39団体が加盟している。
その加盟団体のベストテンを集約して「全国映連賞」を決めたという。


麻生久美子さんの隣に座る機会があった。
『夕凪の街 桜の国』の麻生さんの演技に心底感動していたので
その思いを伝えることができた。
いつ原爆症が発病するかもしれない恐怖を抱えながら生きる女性を演じた麻生さん。
その清楚で美しい存在感は、『夕凪の街・・・』の映画の中核だった。


麻生さんは、子供の頃、お祖母さんから戦争体験を聞かされ、
それがあまりに恐ろしかったため、以後、戦争などのテーマから避けてきた、
『夕凪の街・・・』の話があったとき、広島の人の思いを裏切らないように、
しっかりと広島の人たちの体験に向き合おうとしたという。
広島・呉の映連の人が、「麻生さんが映画で話していた広島弁は、
今の広島では聞けなくなった、美しい本当の広島弁だった」とも言っていた。
麻生さんが、『ひめゆり』はまだ観ていないがぜひ観たいと言ってくれた。
とっても嬉しい。機会を作りたい。


パーティのあと、二次会、三次会と参加。
明日からは、また沖縄。
1月に引き続き、ひめゆりの、これまで証言を撮れていない方々の撮影だ。

2008年04月18日

「風の人 宮本常一」 佐田尾信作著

中国新聞の佐田尾さんが書いた本の書評を書かせていただいた。
すでに中国新聞や熊本日日新聞、京都新聞などの書評欄にも掲載されたものだけど、
皆さんにも紹介します。

  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇

『風の人 宮本常一』
   佐田尾信作著、
   2008年、神戸・みずのわ出版
   2100円(税込)
   詳細は→ http://www.mizunowa.com/book/book-shousai/kazenohito.html 

書評

 この本を携えて、中国山地をはじめとする日本の村々を歩いてみたくなった。開拓で築いた村、中世の面影をそのまま残す村、ダムに沈んだ村。そこには必死に生きる「地の人」たちがいた。「地の人」たちを訪ねて詳細な記録を残して歩いた「風の人」がいた。
 その「風の人」が宮本常一。戦時下に師である実業家渋沢敬三から「この戦争は負ける。戦後の日本社会の再建のために、日本全国を歩いて、そこで見聞きしたものを戦後へつなげてほしい」と言われ、全国を旅した。戦後、宮本の教えによって大勢の若者たちが地域に入り込み、調査をしながら、地域づくりに深くかかわった。
 本書は宮本が出会った人たちや教え子たちを今の時代に訪ねたものだ。著者は普段は聞くことのないこうした人たちの記憶と思いに迫ることで、知られざる宮本の人物像を浮かび上がらせる。まさに「旅する民俗学者をめぐる人と時代の物語」(帯文)である。 「宮本先生は放火魔です。消防車が来ないだけ」と笑う稲垣尚友は、「職人はいいぞ」と宮本に焚きつけられ今は竹大工を営む。「サラリーマンにはなるな」という宮本の考えのもと、民の姿と自らの接点を模索した人の激しい息づかいに圧倒されそうだった。
 宮本の古い弟子の一人に記録映画監督の姫田忠義がいる。僕はその姫田の弟子で、宮本からすると孫弟子と言えるかもしれない。僕は姫田から常々、こう教えられた。「犬も歩けば棒に当たる、当たった出会いを大事にせよ。その時、相手を見下しもせず、へりくだりもせず、同じ目線に立て。そして飯を食う金があったら、フィルムを回せ」。全国公開中の僕の作品「ひめゆり」は、宮本から姫田へと伝わった方法論の延長にあると思っている。
 宮本が残した遺産は膨大で、著作集は刊行開始から40年近くたつが、今も完結していないという。宮本の故郷の周防大島にも3年間勤務した著者は、等身大の宮本を探り出そうとする。本書は中国新聞の連載を改題、改稿した。固定観念で語られがちな宮本像を揺るがし、その多様さを印象付ける一冊である。

2008年04月16日

近況報告

沖縄から戻って元気がよみがえり、まわりを見回す余裕が少しできた。
近況報告を。


桑原美波さんの新作小説『夢霊(ゆめだま)』(講談社)を読む。
美波さんは、「看板娘」のひとり。
  (昨年『ひめゆり』ポレポレ東中野での公開時に
   ボランティアで看板を作ってくれたので「看板娘」と呼んでいる)
物語世界に一気に引き込まれ、体の底にとっても素敵な感覚が芽生えながら読み終えた。
カミさんは、仕事と家事の合間に、美波さんのデビュー作『ソラカラ』を、
「すごい、すごい」とうなりながら読んでいる。
美波さんの描く人物たちは、どうしようもなく不条理な状況の中でも、
夢や青空を見つめ、自らの生を肯定していく。
毒気や苦味というストーリーテリングの常套手段を使わずに、ドラマチックで爽やかに語りきる。
すごい筆力だ。


小説でいうと、沖縄滞在中に、池上永一の『風車祭』と『バガージマヌパナス』 を読んだ。
池上さんは、沖縄の石垣島出身の若き作家で、どちらも故郷石垣島を舞台にした
ユーモラスでしみじみとする物語。
沖縄文化の根っこを知る手がかりとしてもお薦めできる。
なお、『バガージマヌパナス』は第6回日本ファンタジーノベル大賞受賞作。


スイスで上映を画策している友人、Sayakaのホームシアターで
「ひめゆり」をご覧になったNagasakaさんの感想が、彼女のブログに。
素敵な文章だと感激、以下のそのアドレスを紹介したい。
  http://mnagasaka.exblog.jp/7592855/


1年かけて僕らが製作したNHKドキュメンタリー番組
フィンランド・森・妖精との対話』(昨年8月にNHKスペシャルとして放送)が
ドイツの映画祭(World Media Festival)で銀賞を授賞したという連絡が来た。
ホッとした、西欧世界で評価をしてくれる人がいたことに・・・。
というのも、映像詩という形の作品だが、
キリスト教文明のあり方を根底から問い直そうとしているからだ。
この作品は、これからも欧米各地の映画祭に参加していくとのこと。
フィンランドの人と自然との関係を見つめたこの作品、
その内包する世界の力を信じたいと思う。


きょうは5年ぶりに健康診断(人間ドック)に行った。
酒を控え、運動をするようにとのこと。
でも大きな異常はなく、少し安心。

深呼吸

沖縄での一週間。
海の中でたっぷりと深呼吸をしてきた。
疲れきっていた体も心も、少し元気を取り戻した。

広島での上映を応援してくれていたちぴぴさんが14日に、初めて沖縄へ一人で旅して来た。
紅型を染めている縄トモコさんを紹介。
縄さんは工房から独立し、作家として歩き始めていた。

2008年04月06日

明日から沖縄へ

明日から沖縄へ。
久しぶりに、ひめゆりの「学級委員会」に出席する。
   (正式名称は「資料委員会」)
今後の撮影のこと、そしてアニメ製作のこと等がある。

今回は沖縄にゆっくりと滞在し、初心に帰る旅としたい。

2008年04月05日

高崎映画祭(3)

高崎からの帰り道、電車に乗りながら書いている。
駅で買った駅弁(鶏めし)を食べながら、
この弁当のあり方と、高崎の人たちのあり方が
似ているなあと思う。
高くない弁当だけど、鶏そぼろ、鶏肉焼き、照焼等、
ひとつひとつの具がしっかりと味付けられ、
素材が選び抜かれている感じがする。
つまり「粒より」だ。
盛り付けられた全体は、「鶏」というコンセプトでしっかりとまとまりながら、
巨大な梅干しや紅コンニャクによって不思議な変化が生まれ、
強烈な後味を残す。
高崎映画祭のスタッフも「鶏めし」みたいだった。
粒よりで精鋭、調和しながら個性を発揮する。


きょうは午前10時から『ひめゆり』の上映があった。
客席には、若い人や、近隣の学校の先生なども多く、
とても有意義な上映だった。


シネマテーク高崎の茂木代表、志尾支配人が言った。
『ひめゆり』を夏にまた映画館で上映してくれる、と。
同じ映画を3たび上映するのは、シネマテーク高崎はじまって以来なかったことだが、
ひとりでも多くの人に『ひめゆり』を観てもらいたい、
映画に報いたいのだという。
うれしく、かたじけない思いだった。


人口23万の都市ではミニシアターの運営は不可能といわれる。
その不可能に挑戦しているシネマテーク高崎。
運営は、NPO法人たかさきコミュニティシネマが担う。
昨年12月にスクリーンを増設するために大きな借金をしたというが、
その経営を圧迫しないよう、
多くの人の声をかけ、赤字にならない上映にしたい。
群馬県の方、ぜひ、どのように声かけをしていったら良いか、知恵をください。

  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇ 

    高崎だけでなく、全国各地のミニシアターが今夏、
    『ひめゆり』の上映、再上映に踏み切ってくれます。ありがとうございます。
    詳しくは追ってお知らせしますので、皆さん、ぜひ応援してください。

  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇ 

最後に、昨年11月、高崎映画祭で『ひめゆり』など戦争を扱った映画5本を上映したときに、
若き支配人、志尾睦子さんらが中心になって書いた文章を紹介したい。
ごく普通に暮らす若い世代にとって、過去の事実をどのように受け止めたらよいのかを考えた、
ほんとうに素晴らしい文章なので、ぜひ読んで欲しい。

高崎映画祭オータムレート チラシより

   【繋ぐ未来のために】
   戦争とは、悲しく惨い事である事を誰もが知っています。
   だからこそ、「戦争」の二文字を聞いただけで、
   その実体に踏み込むことを 私たちは敢てしようとしません。
   怖いからです。
   今回集められた5作品は、戦争の惨さを映像で
   押し付けるものではありません。
                        人が人として生きる事を奪いとられた戦争があった、
                        そのことを伝えてくれる人がいる限り、
                        私たちはその言葉を受け取るだけで、
                        その想像の向こう側に行くことが出来るのです。

    【ひめゆりについて】
    『“忘れたい事”を話してくれてありがとう。
     “忘れちゃいけないこと”を話してくれてありがとう。』 
    沖縄出身アーティストCoccoが寄せたこの言葉が、
    何よりもこの『ひめゆり』を端的に表している。
    そして、本作を手がけた柴田監督は、これを「希望の映画」だとおっしゃる。 
    第二次世界大戦末期、地上戦となった沖縄の地では
    女学生までもが戦場へ送られた。
    本作は、戦場で凄まじい体験をし生存した「ひめゆり学徒」の方々の証言を
    13年に渡って集めた作品である。生存者たちは80歳前後。
    辛く悲しく惨い出来事が、その体験をした現地で語られてゆく。
    青々と茂る草木に埋もれた洞窟の前で、穏やかな風がそよぐ海岸で、
    彼女たちは未来のために、今なお鮮明に思い出されるかつての出来事を伝えるのだ。
    自分たちが語らなければ残っていかないことを知っている、
    その言葉たちは未来への希望となって私たちの胸に刻まれるだろう。

2008年04月04日

高崎映画祭(2)

シネマテーク高崎に駆け込んだ。
高崎映画祭の企画「アレクサンドル・ソクーロフ特集」のうち、
『エルミタージュ幻想』と『ロストロポーヴィッチ 人生の祭典』を観た。
『エルミタージュ幻想』は2時間が1カットで作られた映画として有名で、
以前、NHKスペシャル『新シルクロード』を制作するときに
担当プロデューサーと一緒に、新たな発想を得る参考にと観たことがあった。
きょうは、技術的にどこかにあるはずのカットの繋ぎ目を見極めようと画面を凝視したが、
分からなかった。
(観た目は1カットだが、技術的には無数の断片をつなぎ合わせているはずなのだ。
 が、うまく合成されていて分からない・・・)


『ロストロポーヴィッチ 人生の祭典』は、20世紀を代表するチェリスト、
ロストロポーヴィッチをとらえたドキュメンタリー。
最後の10分間で、それまでの1時間半の映像コラージュがすべて繋がる
見事な映画だった。
これ、テレビだったら、おそらく僕は途中でチャンネルを変えていただろう。
映画ならではの、最後の最後で大きな「裏切り」があって、
それまでの映像体験をひっくりかえし、別の次元へと僕らを運んでくれる。
ダイナミックな表現だ。
ソクーロフ監督が、ロストロポーヴィッチの心を開いて撮影させてもらったことも凄いし、
映像構成も強烈だった。


巨匠ソクーロフ監督に即して言うのもおこがましいが、
『ひめゆり』も、最後の10分で、それまでの流れを裏切り、
観る人の心を予想外のところへ運んで行く点は共通している・・・、
と思う。(自己満足?)
テレビのドキュメンタリーと、映画との大きな違いを改めて思った。


夜10時過ぎに映画を観終わってから、
高崎のミニシアター、シネマテーク高崎のスタッフ
(高崎映画祭の中核スタッフでもある)と飲みに行った。
高崎は、キリンビールの工場があるだけに、
新鮮でおいしいビールが安く飲めることにびっくり。
シネマテーク高崎の代表、茂木正男(通称モギマサ)さんは、
去年ガンの手術をして抗がん剤を飲んでいるにもかかわらず、
ビールをがんがん飲む 。
たぶん無理して僕に付き合ってくれているのだろう。そんな心意気の人だ。


茂木さんが言う。
「最初、『ひめゆり』という映画のことを聞いたとき、
 “ なんて時代錯誤なんだろう、絶対みたくない ”と思った。
 これまで『ひめゆり』という名の映画をいくつも観てきて、辟易していたからだ。
 ところが、志尾(シネマテーク高崎、33歳の若き女性支配人)が、
 どうしても『ひめゆり』をやりたいという。
 それで仕方なく観てみたら、観る前と観終わった後とで、
 まったくモノの見え方が違っていた」


去年の11月に高崎映画祭のプレイベントとして『ひめゆり』を上映してくれたのも、
そして今回の映画祭特別賞につながったのも、志尾睦子さんという若者の熱意が発端だったんだ!
嬉しい驚きだった。


茂木さんは、ホップの泡を飛ばしながら、つづける。
「『ひめゆり』は、これまでの戦争をあつかった映画とまったく違う。
 品があり、良い意味でイロのついていない、透明感のある映画だ。
 女性が過酷な状況に置かれるなかでどういう運命をたどるのか、それを描いた点で
 今のイラクやアフガニスタンなどの状況ともつながり、普遍性を獲得している」
高崎の人は、誉めるのがうまい。
だからだろうか、高崎映画祭には、大スターや大監督たちがつぎつぎと足を運ぶ。
あのソクーロフ監督も、茂木さんの熱烈なラブコールによって、
1996年に1週間、高崎を訪れたという。


ビールが進む中、茂木さんが、『ひめゆり』の今後の映画製作についての
斬新なアイディアを出してくれた。(内容はまだ秘密)
できるかどうか、良いかどうか、すぐに答えは出せないが、
真剣に考えてみたい。

横浜YWCA上映会

きょうは僕のカミさんの誕生日。
カミさん、数週間前に転んで頭を打ったのだが、
このところ毎日夕方になると頭痛と眩暈がするというので、
急遽、病院に行き検査をすることになった。
結果は脳には異常がなく、一安心。
原因はたぶん疲れと貧血。
カミさんからは、
「私の誕生日に『ひめゆり』の上映会があるのはうれしい。
 早く上映会に行って」
と送り出してもらった。


訪れたのは横浜YWCA主催の上映会。
10代から80代まで老若男女、
およそ320名の方々が観てくださった。
僕と、カメラマンの澤幡さんが招かれ、トークをした。
司会をしてくれた24歳の三股さん、
この日はじめて『ひめゆり』を観たというが、
まっすぐな心で映画を受け止めてくれて、
彼女の感想を出発点にしながら、話が進んだ。


横浜・上映会での感想を、三股さんがHPにアップしてくれている。
http://hiratsukaywca.fc2web.com/eiga.htm
http://hiratsukaywca.fc2web.com/himeyuri.htm
感想にあるように、若い人たちに観てもらえたのが、何よりうれしい。


横浜での上映会が終わってから、すぐに高崎に向かった。
高崎映画祭で、特集上映されている
アレクサンドル・ソクーロフの作品群を観るためで、
新幹線に飛び乗った。

2008年03月30日

高崎映画祭(1)

こまやかな気配りと愛情に満ちた場に招かれ、
体の奥底に溜まっていた疲れや緊張が解けていくようだった。
高崎映画祭で特別賞をいただき、
授賞式に行ってきた。
心のこもった式典だった。


【授賞理由】
    長い年月をかけて丁寧に撮られ編集されたこの作品には、
    それだけに戦争の痛ましさと命の重みが冷静に紡がれ、
    人間が忘れてはならない事が詰め込まれている。
    映像力で説き伏せるのではなく、人が人へ伝える作業を
    映像が手助けした逸品とも言えるだろう。
    ドキュメンタリー作品としての構成力と伝導力に優れた名作
    でもある。


僕だけでなく、受賞者それぞれに、しっかりと考え抜かれた授賞の言葉が贈られ、
みな、喜びひとしおだったと思う。
詳しくは、また後日。

  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇ 

なお、高崎映画祭での『ひめゆり』の上映は、
4月5日(土)朝10時から、高崎市文化会館にて。 (日程表はこちら
この日、僕もまた行きます。

2008年03月29日

日本映画復興賞

後楽園球場のすぐ近く、文京区民会館の小さな飾り気のない会議室に、
俳優の三国連太郎さん、『パッチギ』の井筒監督、
岩波ホール支配人の高野悦子さん、『日本の青空』の大澤監督、
『陸に上がった軍艦』の山本監督など、錚々たる顔ぶれが集まった。
日本映画復興賞の授賞式だった。


日本映画復興会議は1961年にスタート。
1958年をピークに日本の映画産業が急カーブで下降線をたどる中、
映画表現の自由獲得や、日本映画の復興をめざして、
映画を作る側と、見せる側とが共同で活動をしてきた。
初代議長は、奇しくも、『ひめゆりの塔』の今井正監督だったという。


今井正監督の『ひめゆりの塔』(1953年、津島恵子・香川京子主演)から50年以上を経て、
僕たちのドキュメンタリー映画『ひめゆり』は、世に出た。
創られた映画から、ひめゆりの生存者自らが語る映画ができるまで
これほどまで長い歳月が必要だった。
沖縄戦の遺(のこ)した心の傷。
「生き残ってしまって申し訳ない」 「忘れたい」
心の葛藤をへて紡がれた、ひめゆりのおばちゃんたちの言葉。
こうして評価されたことを嬉しく思っている。


  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇ 

【授賞理由】
    貴方は戦争末期の沖縄戦におけるひめゆり女子学徒たちの悲劇を
    長年にわたって取材 長編記録映画『ひめゆり』を完成
    生存者の強烈で胸を打つ証言によって 戦争の悲惨を的確に
    印象づけました その功績を讃え 今後一層のご健闘を期待して
    頭記の賞を贈ります

大江健三郎さん勝訴

判決をきいて、ほっとした。
と同時に、今のメディアの「おそろしさ」がますます身にしみる。
S新聞は、「軍命令の有無という肝心な論点をぼかした分かりにくい判決」と批判し、
控訴審を見守りたいと圧力をかける。
Y新聞は、「集団自決判決 『軍命令』は認定されなかった」と
大きな見出しをつけて社説を書いている。
いずれも沖縄戦の本質をぼかそうとするメディアの横暴と僕は考える。


映画「靖国」をめぐる自民党国会議員の動きも含め、
危惧すべきことがつぎつぎと起こっている。


歴史を歪曲しようとする人たち、
汚いことばは使いたくないが、この勢力に対しては
「卑劣だ」と心の底から怒りがこみ上げる。

2008年03月24日

新潟 シネ・ウインド

土曜日から、新潟・市民映画館シネ・ウインドでの劇場公開が始まった。
僕も、忙しかったNHKの仕事が終わり、日曜から今日まで、新潟に行ってきた。


「市民映画館シネ・ウインド」は23年の歴史をもつミニシアター。
年会費6千円余りを支払って「市民映画館」を支える会員が
4千人もいるという。驚いた。
日常的に映画館の運営を支えるボランティアが100人ほどいて、
毎月とても立派な会報「月間ウインド」を全会員向けに発刊している。
新潟の人らしい気概を感じた。


今回の新潟行きは、地元の新聞やラジオなどのメディアでの
キャンペーンもひとつの目的だった。
記者もパーソナリティの人たちも、事前にしっかり映画を観てくれていて、
僕のつたない話をうまく引き出してくれた。


皆さん、ほんとうにありがとう。
新潟近郊の方、ぜひシネ・ウインドへ足を運んでみてください。

2008年03月19日

彼岸を前に

「あしたは死んだ人とお話をする日でしょう?」
彼岸を前に、8歳の次女が言う。
「東京のご先祖様と、沖縄のご先祖様と、
 戦争で亡くなったすべての人にお祈りをしたい」
と言う。
東京大空襲のドラマを観て以来、
色んな人の犠牲の上に自分の命があることが
次女にとっては切なく、いとおしいようだ。


天気予報によると明日は大雨。
お墓参りは無理かなぁ。

2008年03月11日

東京大空襲のドラマを観て

娘たちとともに、
東京大空襲をあつかったTBSのドラマを観た。
ドラマの内容が史実をどれぐらい反映しているかどうかは、僕にはいま判断できないが、
8歳になる次女に大きなインパクトを与えたことは確かだ。


幼い子供たちが空襲で亡くなっていく、それを助けようとする一人の警官。
この警官には疎開させている子がいる。父親である。
にもかかわらず、、見ず知らずの子供を助けようとして自らの命を投げ打った行為に
次女は大きな驚きと感銘を受けていた。
「石にしがみついても生きろと他人には言っていたのに
 何で知らない子供を助けるの?
 自分に子供がいるのに、
 死んじゃったら意味ないじゃない・・・」
と泣きながら観ていた。


見ず知らずの子供であろうと身を投げ打って助ける行為の背後には、
きっと、いつか自らの子供に何かがあったとき、他者が同じように助けてくれるという
確信があったのだろう。
人と人とのつながりについて、深い信頼があった。
だから自分の子供のことだけを考えるという、狭い愛情に拘泥しなかった。


次女に、今もイラクやパレスチナなどで戦争が起こっていることを言ったら、
びっくりしていた。


次女は、泣きながら床についた。
そして言った。
「戦争なんて言葉がなければいいのに。
 大きくなったらたくさん子供を産む。
 そして子供たちに、戦争がなくなるための仕事をしてもらう」
と。

2008年03月08日

スイスでの定期上映

沖縄市のくすぬち平和文化館に続いて、
『ひめゆり』の定期上映をする場が生まれた。
場所は、なんと、ヨーロッパのスイス。
永世中立国であり、平和や安寧を求めて多くの人が頼った国だ。


僕の学生時代からの友人、ルエグ木原さやかの家を利用した
超ミニのホームシアター (最大で3人)。
信頼できる上映拠点が沖縄市に次いで、平和にゆかりある地に生まれたことが、とてもうれしい。


以下は、さやかによる案内文だ。


  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇ 

皆様
今日はホームシアターへのお誘いでメールを差し上げます。

学生時代からの友人の柴田昌平監督が、長編ドキュメンタリー映画”ひめゆり”を2006年に作成しました。内容的に商業ベースにはのらないので、観たいという人の”声”をもとに上映を展開しています。13年間かけてひめゆり学徒隊の生存者と向き合ってきた”命“の証言の記録、”ひめゆり”、重厚な作品です。
http://www.himeyuri.info/


彼は一浪して東大法学部に入ったのですが、途中で文化人類学に転部。就職はMedia志望で、朝日新聞を写真部で受験しようとしていた時に、以前朝日新聞に勤めていた私の父に、映像をやるならNHKでしょうと諭され受験。役員面接まで短パンででかけようとしていた。と学生当時は個性派、今は仕事には厳しく、二人のお嬢さんには優しい45歳です。


NHKも沖縄放送局から東京本社に戻って退社、今はプロダクションを設立して活動しています。NHKを自分からやめたということで苦労も多いようです。それでもおととしはその力量をかわれ、NHKスペシャル「新シルクロード」を2本担当しました。また去年8月のNHKスペシャル「世界里山紀行」も、フィンランド、雲南編は柴田君のプロダクションが製作しました。
http://www.asia-documentary.com/


去年3月24日の沖縄でのロードショー以降、各方面で暖かく迎えられています。5月10日に天声人語で紹介された後の東中野での東京公開も反響がおおきく、その後全国で劇場上映、自主上映がおこなわれています。
http://www.himeyuri.info/tenseijingo.html


いくつか賞も受賞しました。
   JCJ(日本ジャーナリスト会議) 特別賞
   文化庁映画大賞(文化記録映画部門) 大賞
   キネマ旬報ベスト・テン(文化映画) 第1位
   日本映画ペンクラブ(文化映画部門)ベスト1
   全国映連賞、監督賞
   高崎映画祭 特別賞
   日本映画復興会議 奨励賞


この作品をひとりでも多くの方に紹介してゆくことを、私のライフワークとしています。スイスでの上映は当面ホームシアター形式でおこないます。いつの日か大きな会場での上映会を実現させたいと願っています。この映画はDVD化はせず、上映のみで展開しています。著作権等諸事情がございますので、海外での上映、ホームシアター形式は今のところスイスのみとなっています。


本編2時間10分プラス監督挨拶15分を、我が家で静かな環境でみられる曜日は
   月、木、金の朝8時30分から13時30分、随時開始(16時までに終了)

ご興味がおありでしたらご連絡下さい。1回に3名までお席の準備ができます。勿論おひとりでもかまいません。3月19日から4月19日までは里帰りで留守しておりますが4月下旬以降も上映会は随時受けつけます。 土日、夜の上映についても可能性はございますので、ご相談下さい。

“ひめゆり”の上映に際しては上映費(10フラン)、映画資料パンフレット(10フラン、これは任意)をいただいています。ご了承下さい。 これは配給先のプロダクションエイシアに届け、今後の証言の記録に役立ててもらいます。

また日本のご家族、友人の方に“ひめゆり”の情報を転送していただけたら嬉しいです。


ルエグ木原 さやか (Baden近郊 在)
Sayaka Rüegg-Kihara
Heitersbergstr. 12
5443 Niederrohrdorf
sayaka@@@ruegg.com

  (注)連絡するときは、「@@@」を「@」に直してから送ってください。


  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇


さやかによると、周りに強力な応援団も生まれつつあるようで、
上映後”ひめゆり”のスイスでの今後の上映展開を語り合っているという。
最大で3人という超ミニシアターだけど、ここを拠点に
日本人学校や、スイス人の学校への上映展開も考えているらしい。
スイスの皆さん、ほんとうにありがとう。

2008年03月01日

番組のご案内 「茶馬古道」

今年新年早々、1月1日から編集をしてきた番組がようやく完成した。

NHKハイビジョン特集  『茶馬古道』 全2回シリーズだ。

放送は、BSハイビジョンで、
第一回 3月2日(日)夜7時~8時49分 「交易キャラバンが行く」
第二回 3月3日(月)夜8時~9時49分 「命の道 祈りの道」


圧倒的な映像の力で、人が生きていくことの根本を問いかける。
「自給自足」という概念をふっとばし、
人は他者に頼らないと生きていけないこと、
命と命とを支えあうキャラバンの姿を、
中国、チベット、ネパールに訪ねた番組。
(NHKと韓国KBSの国際共同制作)


ハイビジョンを持っている方、ぜひ観てみてほしい。

2008年02月21日

広報スタッフの募集について

風邪をひいた。
でも休むことができないので、
薬を飲みながら、日々をすごしている。あぁ・・・。


ところで・・・


「ひめゆり」の上映は、これまで多くのボランティアの方々に支えられてきた。
沖縄出身の人たち、Coccoさんのファンの人たち、映画が好きだという人たち・・・。
ほんとうにありがとう。


昨年3月から始まった上映は、まもなく2年目に入ろうとする。
DVD化はせず、上映だけで広めて行こうという「ひめゆり」。
20年たっても、30年たっても、消費されず、古くならず、
いつも新鮮な作品として多くの方々に届けたい・・・。
そんな思いで、上映のスタッフは取り組んでいる。


広報担当のスタッフたちも、この一年間、安月給のなかで本当に頑張ってもらってきた。


初代は、澤口佳代さん。
もともとは「六ヶ所村ラプソディー」の広報担当だったのを小泉プロデューサー経由でお願いし、
マスコミ展開の礎を築いてくれた。
澤口さんは、いまは「六ヶ所村ラプソディー」に戻り、続編のカメラマンとして活動をつづけている。


2代目、というか、澤口さんと同時並行して活躍してくれたのが吉岡香織さん。
香織さんはフリーライターで、澤口さんの誘いで「ひめゆり」に来てくれた。
今は、仲間たちと雑誌創刊に向けてがんばっている。


3代目は、富士海(ふじ・かい)さん。
昨年夏、富士さんがポレポレ東中野で「ひめゆり」をたまたま観たとき、
ちょうどHP上で僕らがスタッフ募集をしており、さっそく応募してくれた。
イギリス育ちのバイリンガルで、放送局やNGO等での豊富な仕事の経験がある。
富士さんは、いま、映画「ひめゆり」事務局の中心スタッフとして、
「ひめゆり」の将来を一身に担う存在となっている。


4代目は、佐々木直(なおい)さん。
富士さんより一週間遅れてスタッフ募集に応募してくれ、
昨年の秋の上映シーズの広報を担当してくれた。
沖縄出身の直さんは、大きく美しい目をしていて、
彼女に微笑みられながら映画のチラシをもらった人の多くが
映画館に足を運んでくれたのではないだろうか。
ご主人が、某有名バンドの一員なのだけど、
直さんは有名人のご主人まで、チラシ配りに動員してくれていた。


そして、2年目の上映に向けて、新たな広報スタッフの募集をしている。
詳しくは、次の募集案内のページを見てほしい。
http://www.himeyuri.info/boshu.html


2008年02月18日

2年目の「ひめゆり」 ― 歴史の忘却への対峙(たいじ)

難しいタイトルを書いたけど、要は、
「大事なことをいつまでも忘れないようにする強い意志」。


映画が賞をもらって、はいおめでとう、よかった、よかった、
で終わらせないこと。


ひめゆりのおばちゃんたちの想いを
未来につないでいけるかどうかは、
これからが正念場。


20年後、30年後にも、
ひめゆりのおばちゃんたちの想いを
胸に生きている人が、たくさんいてほしい。
そのためには、どうしたら良いのか。


そんなことから、
「ひめゆり」の6月一斉上映ということを考えている。
http://www.himeyuri.info/20080623.html


2年目のひめゆり。  
「“忘れたいこと”を話してくれてありがとう。」
から
「“忘れちゃいけないこと”を話してくれてありがとう。」
へ。

2008年02月08日

映画ペンクラブ授賞式へ

おとといに引き続き、授賞式があった。
きょうは (いや、もう昨日になってしまった)は、
日本映画ペンクラブのベストファイブ第1位(文化映画部門)という、
映画評論家の方々のソサエティが投票で選んでくださった賞だった。


印象的だったのは、映画評論家の方々が自ら会費を払い
会場のパーティー費や、記念品代をまかなっていたこと。
スポンサーは無し、その方が後腐れなく作品を選べるのだという。
料理も賞状も、選んで下さった皆さんの財布から出ているのだと思うと、
たいへん恐縮してしまう。


受賞の挨拶は、カメラマンの澤幡さんに登壇してもらった。
14年前、撮影を始めたとき、
澤幡さんが「オバァたちが語り終えたと思えるまでとことん撮る、
そのためにテープを十分に用意してほしい」と言った言葉が
記録の性根を据えてくれた。


夜中、事務所に戻ると、
高崎映画祭の事務局からFAXが届いていた。
第22回高崎映画祭の特別賞に
『ひめゆり』を選んでくださったという。
評価されることを全く意識せずに仕上げた作品なので、
このように受賞がつづくと、とても不思議な気がする。
でも、宣伝費をかけられないマイナーなこの作品の上映が
今後も引きつづき羽ばたいて行くためには、
受賞はとてもありがたいことで、
選んでくださった皆さんに心より感謝したい。

2008年02月06日

キネマ旬報表彰式へ

『ひめゆり』が、キネマ旬報ベストテンの文化映画部門で第1位となり、
きのう表彰式があった。
僕は一週間ほどNHKの仕事でロシアに行っており、きのうの昼にアエロフロートで帰国。
急いで家に帰り着替えてから駆けつけた。
髪の毛バサバサ、Gパンもよろよろだったが、ま、いいや!!


この受賞は、何よりも、映画を観てくださる方の想像力の力の賜物だと思う。
『ひめゆり』は、ご覧になった方はわかると思うが、
ナレーションもなければ、効果的な音楽もない。
観る人ひとりひとりが、おばちゃんたちの言葉をどのように受け止めるかを自省し、
みずからシナリオを作りながら、進んでいく。
たっぷりと時間をとった間合い、その中で、ひとりひとりが自らのストーリーを紡ぎ、
ひとりひとりが「監督」となるのだ。


審査員のお一人が、次のように書いていた。
「歴史を忘れさせる力に対峙(たいじ)し、生き続ける映画である。」


忘却の力に対峙し、思い生かしつづけてくれるのは、
僕でもなく、ひめゆりのおばちゃんたちでもなく、
観てくれる皆さんなのだ。
意外なことに、小学生や中学生でもしっかり受け止めてくれることが
だんだん分かってきた。


その受け手の力の一端を感じさせてくれる受賞だった。
詳しくは、2月5日発売のキネマ旬報を。
また、澤口佳代によるレポートはこちら。
http://news.livedoor.com/article/detail/3498037/

2008年01月27日

沖縄で『ひめゆり』 定期上映が始まる

沖縄市(コザ)で、これから定期的に『ひめゆり』の上映が行われることになった。
実は去年12月から始まっていたのだけど、
上映機器の最終チェックを済ませてからにしようと、
これまで多くの人に声をかけて来なかった。
先々週、沖縄に撮影に行ったときに画像音声を調整。
安心して観ていただけるようになった。


  ●毎月2回 (第2、第4土曜日) 午後2時から
  ●場所: くすぬち平和文化館
             沖縄県沖縄市安慶田1丁目29番10号
             電話:098-938-4192
          ⇒くすぬち平和文化館HPはこちら
          ⇒地図はこちら
  ●料金: 前売券:大人 1,000円 高校生 800円 小中学生 500円


「くすぬち」とは、本土の言葉に直すと、「楠木(くすのき)」のこと。
館長の真栄城玄徳(まえしろ・げんとく)さん(65歳)の生家には大きな楠木が植えられ、
おばあさんが大切にしていたという。
しかし、その家は、今は米軍の嘉手納基地の中にあって、
姿も形もなく、行くことすらできない。


真栄城さんには、土地が基地の中にあるため、「軍用地代」が入る。
真栄城さんは考えた。
 「そんな、まっとうでないお金を、どうやったら まっとうに変えられるのか」
そして、20年ほど前、子供たちのための文庫を作った。
絵本や童話を置き、子供の心の未来を育むことに費してきた。


小さな文庫が、地域のお母さんたちの交流の核となり、
1998年、「くすぬち平和文化館」という、素敵なコミュニティーに成長したのだ。


この上映の場、小さなスペースだが、木造のとても素敵な空間だ。
ここが、だんだんと育って行くといいなぁ。
毎月第2、第4土曜日の午後2時。
思いついたら、ぜひ足を運んで欲しい。


「くすぬち定期上映」についての琉球新報の記事
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-30812-storytopic-6.html

2008年01月20日

新年の信念

沖縄から戻った。
1週間余り、ひめゆりの、
これまで証言を撮れていなかった人たちの
撮影に行ってきた。
4人の方の証言を撮り、
皆さんから「話して良かった」と言っていただけた。


みな心にさまざまな葛藤を持ちながら、
奥底では「きちんと話したい」という気持ちがあるのだと
感じさせられた。


今年は、こうした作業に力を入れ
さらに記憶を掘り起こして行こうと、心に誓った。
忙しかった僕の気持ちに、
ようやく新年=信念が訪れた。

2008年01月15日

アニメ原作者の募集

12日から沖縄に来ている。
ひめゆりの、これまで証言を撮影できなかった方々の記録をしている。
話す皆さんも緊張するが、撮る側の僕もほんとうに緊張する。
でも、着実に良い会話をかわし、これまで知らなかった命の物語に
日々出会っていると思う。


さて、これまで何度か書いてきたが、
ひめゆりの体験を小学生にもわかるようにアニメを作りたいという希望が
おばちゃんたちの間に、10年ぐらい前からあった。


議論を重ね、考えに考えた結果、原画作者を公募することにした。


募集要項を、以下のページに記載した。

http://www.himeyuri.info/animation/boshu.html


先ほど、ひめゆりのおばちゃんたちが、沖縄で記者発表を行った。
多くの若い人たちが、自由な発想で、どんどん応募してくれることを、
おばちゃんたち皆が切に願っていることを、間近にいながら、ひしひしと感じた。

2008年01月12日

きょうから沖縄へ ● 京都では劇場公開はじまる

撮影に。行って来ます。


それと、きょうから京都シネマでの上映が始まる。
 (1回目)10:00~  (2回目)12:30~ 
お近くの方、ぜひ足を運んでください。

2008年01月11日

東京大学の上映会

久しぶりの母校・・・・いや、「母校」という実感があまりない。
大学時代ほとんど学校に行かず、
クラブ活動の「能」や、山梨県の山村でのフィールドワークに明け暮れていた。
卒論は、山梨の山村の女性のライフヒストリーの聞き書き、参考文献ゼロ。
卒業式にも行かなかった。
でも友人には恵まれ、僕の人生に大きな影響を与えてくれた親友が何人もいる。


きょう、東京大学の医学部の講堂で、「ひめゆり」の上映会が催された。
人間の「生」と「死」に関する新しい学問拠点づくりを目指しているプロジェクトから、
上映に招かれたのだった。
プロジェクトの名前は、「死生学の展開と組織化」、
難しい名前で、僕も完全には理解していない。
関心のある方は ⇒こちら(東大「死生学・・・・」HP)


きっかけは、医学部の高橋都先生が、去年3月にたまたま
ひめゆり平和祈念資料館を訪れたことだった。
高橋先生から、こんなメールをいただいた。


    「実は元学徒の方々が (資料館で)体験を語っておられることを
     まったく知らなかったため、展示室で後ろに立っていた年配の女性が
     いきなり淡々と話し始めたときには驚きました。
     そして、聞くうちにその内容に言葉を失い、
     この目の前にいる方が元学徒であるという事実に圧倒され、
     次の展示室に動くことができなくなりました。その日、
     三人の方のお話をうかがいましたが、お三人とも、
     『この体験を伝えられる人が減っている』『聞いてくれてありがとう』と
     話されたのが、強く印象に残っております。」


「聞いてくれてありがとう」とひめゆりのおばちゃんたちから言われた、という高橋さん。
お会いしてみると、ほんとうに話を聞くのが上手な方だった。
「私はあなたのどんな話でも受け止めますよ」というシグナルを
たえまない笑顔の中で発しつづけている。


僕も明日から沖縄へ。
これまで証言撮影ができていなかった方の中で
「話してもいい」とおっしゃってくださる人が現れてきた。
冬で寒いし、天候も悪そうだけど、できることをやってみよう。
無理はせず、
「話してよかったよ」と思っていただけさえすればなぁ、と思っている。

2008年01月10日

『世界をつなぐ~ひめゆりの風サイト』

愛媛・松山の自称「珍獣」たち、
みんな集まると「ひめゆりの珍風」というのだそうだが(笑)、
そのひとり、tottoさんが、
『世界をつなぐ~ひめゆりの風サイト』
http://himeyurinokaze.web.fc2.com/
というのを作ってくれた。


BBSという仕組み、僕はまだよく理解していないけど、
どうやら、みんなが自由に意見を書き込み、
互いにコミュニケーションを取れる場らしい。


以下、tottoさんの言葉より。---------------------------------


    私が、ひめゆりのサイトで
    近郊での上映がない事を知った時、
    そして、松山上映が決まった事を知った時、
    「どうしよう」「どうにかせんと」と想いました。東国原知事ばりに。
    同じような想いをする人がいる人がいたら、
    そんな時、相談できる人が近くにいたら、きっと心強いです。


    私は、管理人としては存在しないつもりなので、
    誰かから書き込みが来るのを少し待ってみようかなぁと想います。
    私は代表として作っただけです。
    必要な人が必要なときに、手を差し伸べあえる場所のひとつになれば
    うれしいなぁと想います。
    みんなが繫がったらという気持ちです。


    長~い目で、見ていきたいと想います☆


tottoさん、ありがとう。

2008年01月04日

今年はこんなスタート

元旦の夜からずっと仕事。
いま家に戻った。
3月までにNHKの特集番組3本を仕上げないとならない。
将来的な映画の資金を貯めよう、
フィンランドの写真集を出すためにも資金が必要だと、
委嘱の仕事を抱え込みすぎてしまった。


今まで編集作業をしていたのは、
韓国KBSテレビが2年がかりで撮影した「茶馬古道」という
チベット・雲南・四川・ネパールにまたがる地域の
キャラバン生活を送る人々の記録(全6時間)を
NHKハイビジョン特集、1時間50分×2本にまとめること。
しっかりとした映像記録になっていてとても感心してしまい、
僕も手抜きができない。
人と人とがつながること、欠けたものを補い合って暮らすことの意味を
深く考えさせられる。


1月13日頃からは、1週間ほど、
ひめゆりで、これまで証言を撮れていなかった人の
撮影もすることになった。
ひめゆりのおばちゃんたち、資料館のスタッフの皆さんが
協力してくれている。
忙しくも、充実したスタートになった。


(ただし1月5日から7日までの3日間だけは完全に休み。
 毎年の恒例で、子供たちとスキーに。この間だけは父親らしく・・・)

2008年01月01日

あけましておめでとう

asia_nenga2008_5.jpg

旧年中はほんとうに皆さんのお世話になりました。
ありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願いします。

2007年12月31日

娘たちの夢路

僕はつくづくガキだなあと思う。
Coccoさんはライブで「大人になるというのは、愛を与えられる人から、
与える人になること」と言っていた。
「大人」としての自覚を持って、Coccoさんはますます美しくなった。
僕はまだまだ愛をもらってばかりの甘えん坊だ。


自分の娘ともいえるような、若い人たちからいただいた、
やさしい愛情に満ちたメールをここに刻んで、
今年をしめくくりたいと思う。


  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇

まずは、8月15日、16日の上映会「ひめゆりの風」の実行にあたり
ボランティアの中心となって動いてくれた民さんからのメール。
民さんは、今月半ば、お父様をがんで亡くした。


     思い返せば、監督からひめゆりの風に誘って頂いた
     次の日に父が入院したんですね。
     だから、父の看病のことを思えば、ひめゆりのことが
     影のようにくっついてきて、逆もまた然りです。
     そのせいか、やはり今でも、自分の中で、
     あの上映会がどういうものだったのかを整理するには至っていません^^; 
     でも、父にあのときの私の姿を見せることができたのは、
     いろいろな思い出になりました。

     上映会の数日後に父と車に乗っていたときのことです。
     普段はCoccoのきらきらはあまり好みではなく聞いていなかったのですが、
     車でかけたら、なんとも心地よかったんですね。
     それで、「お菓子と娘」がかかったときに、
     簡単にひめゆりとこの歌の関係を説明しました。

     そうしたら、あっさりと、
     「『お菓子の好きなパリ娘』だろ?おばあちゃんが好きでよく歌ってた」
     と父が言いました。
     びっくりです。ひめゆりで知った私にとっては、
     特別なところにあるような歌だったのに、
     東京のど真ん中、青山生まれ、育ちの祖母がよく口ずさんでいたなんて。
     なんだか、嬉しかったのを覚えています。でも、
     青山通りで口ずさんでた娘と同じようなときに、
     壕を掘りながら歌っていた娘たちがいたのは切ないことですね。

     父が亡くなってから、主に大学の人からですが、
     私の知らなかった父の姿を聞かされることも多く、
     新たな姿を知るほど、「ひめゆり」を見せたかったなあと思います。

     父は専門がナチスドイツでした。
     ゼミでアウシュビッツについての授業をしたときに、
     話しながら、父はボロボロ涙を流していたと
     ある生徒さんが教えてくれました。
     昨日今日、研究や授業を始めた若手でもない、
     耐性だってあるはずの父が泣いた裏に
     どんな想いがあったのでしょうね。
     いつか、アウシュビッツに連れて行ってもらうという約束は
     果たされないままになってしまいましたが、
     すこしずつでも父の残したものを自分なりに見ていけたらと思います。


  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇


映画の予告編を作るとき、街頭インタビューの
インタビュアーをつとめてくれた早紀さんからのメール。
早紀さんは、高校生のときひめゆり資料館で宮城喜久子さんと出会った。
今年、ふたたび沖縄で喜久子さんと会ったとき、
「今度は孫を連れて来てくださいね」と言われた。


     私事なのですが、12月22日に入籍致しました。
     式は沖縄で、来年の4月に挙げてまいります。
     まだまだ未熟者のわたしたちですが、
     これからいい家庭を築いていきたいと思います。
     やっとはじめの一歩を踏み出しました。
     これから、ずんずん歩いて行きたいです。


  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇


ポレポレ東中野の公開のとき、看板づくりをしてくれた通称「看板娘」の三女、瞳さん。
細かい仕上げの塗りはほとんど瞳さんに頼りっきりだった。
明るくも繊細で、自らの体を傷つけたりしがちだが、
12月に、「看板娘」たちと一緒にCoccoさんの青森ライブに参加、
生まれて初めての友だちとの旅だったという。


     新たに見えたものもあり、まだ全然見えない感情もあり、
     うまい事整理がついてなくて
     自分の中でぐるんぐるんしてます。
     ただ一つはっきりしているのはそれがこれからの壁になりそうということ。
     大変だけど体当たりするしかありません。
     私の中でも10年計画が産まれつつあります。


  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇


現役学生の小説家として『ソラカラ』でデビューした桑原美波さん。
その原点は、中学生のとき、ひめゆりの生存者、与那覇百子さんの話をきき、
自分の思いを友だちにも伝えたいと短編小説を書いたことだった。
ポレポレ東中野の看板づくりでも大いに活躍してくれた。


     看板娘末娘です。
     本年は本当にお世話になりました!
     ひめゆりを通して、たくさんの人と出会うことができました。
     どれもこれも、素晴らしい出会いばかりでした。

     ですが、まだ、私は柴田さんにいただいたもの(出会いや
     チャンス、モチベーションなどなど)を生かしきれていないと思います。
     柴田さんをうらやましいと思ってメールを送ったときの私と、
     今の私は、まだあまり成長できていません。
     まだ、何もやらずにうらやましがってばかりだなぁ
     …と思います。

     けれど、変わったこともあります。
     以前の私は、ひめゆりを始め沖縄戦について「伝えたい」
     という気持ちや「書きたい」という気持ちをもちつつも、
     それは「過去のことを伝えたい」という思いだけだったように感じます。
     過去にしてはいけないからこそと願いながら、
     自身がそれを過去の中に完結させていたような気がします。
     基地問題や教科書問題とは切り離して考えていた、
     もしくはつながっているとすら思っていなかった節があったような気がします。
     言ってみれば、私が感情移入していたのは
     「沖縄戦で死んだ人々」にであって、
     「戦争を生き残った人々」にではなかったのです。

     ひめゆりのおばあたちが口にする教科書問題や基地問題の話、県民大会。
     それらを聞きながら、何となく感じはじめていた「今への繋がり」。
     夏休みの沖縄一人旅のとき、一家全滅の集落跡を見て、
     私はすごくショックを受けました。
     そのときに、やっと、今までの自分の間違いに気づいたのです。
     やっと私は、今生きている人のほうへ本当の意味で
     目を向けることができるようになりました。

     あのとき、柴田さんにメールをして本当によかったです。


美波さんは、年明けの1月23日に、講談社から2作目の小説『夢霊(ゆめだま)』を
出版するという。


  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇

ほかにも数多くのメッセージをいただいた。
ひめゆりから逃げ出したかったけど、ようやく向き合えるようになったという
北海道のAiさんからは、手作りのかわいらしい紙飾りをいただき
エイシアの玄関に飾ってある。
みんなのやさしい愛情が、風となって、
どこかに生きている悲しい魂のもとに届き、
笑顔にしてあげられますように。

2007年12月30日

エッセイストの森下美加子さんから

岡山県倉敷在住の小説家・エッセイスト、森下美加子さんから届いた便り。
忙しくてパツパツの僕の心を、ほっと暖かくしてくれるお手紙だった。
長いけど、ご本人の承諾を得て、掲載させていただく。


  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇    


念願叶って、世界里山紀行「フィンランド 森・妖精との対話」を見ることができました。
再放送の情報を教えてくださって、ありがとうございました。
おかげで一昨日は、素敵なクリスマスプレゼントをいただいたようで、
幸せな気持ちで一日を過ごすことができました。


番組は、想像以上に素晴らしかったです。
フィンランドの自然や、
そこに生息する生き物(植物も昆虫も鳥も動物たちも)、
暮らしていらっしゃる人々の心根(寡黙の内に秘められた強さやあたたかさ)などに触れることができ、
強く心を打たれました。
森に妖精が住んでいる、という発想と観念が、とにかく素敵だと感じました。


中学三年の二男も一緒に見ていたのですが、普段は寡黙な彼が、
フクロウのひなに目を細め、
お気に入りの木を抱きしめるオッリさんに、思わずクスッとほほえんだりしていました。
「あんな風に、森にお気に入りの木があるなんて、いいわね」と私が言うと、
「うん」と二男はうなずいていました。
「ああいう森に行って、お気に入りの木を探してみたいわね」と、また私が言うと、
「うん・・・でも、その木を切られたらどうするんだろう?」と二男は、ちょっと心配そうな顔をしていました。
木を叩いて「切るよ」と知らせて、木の精霊が森のどこかへ行ったとしても、
自分が友だちのように語りかけていた木が、ある日突然なくなったら、
やっぱりショックだろうな、と私も考え込んでしまいました。
それとも、木は、誰でも勝手に切っていいというわけではないのでしょうか。
森の中の木の実などは、誰でもとっていいみたいですけれど。


二男のような現代の日本の子どもは、
自然の中で暮らすということも殆ど体験したことがないですし、
ましてや、森や木や自然に対する信仰心などは、未知数なものだと思います。
けれど、様々な物を擬人化して、それらを大切に扱い、それらに愛情を注ぐ、ということなら、
日本の子も、多少なりとも体験したことがあるのではないでしょうか。


例えば、二男は、彼がまだ小学生の頃のことですけれど、
それまで家族で乗っていた車を、ほんとうに家族の一員のように感じていたようで、
新車に買いかえるとき、かなり本気で反対していました。
「あのこ、どうなるの?いなくなったらいやだ。あのこも、きっと悲しがるよ」と、
ずっと言い続けていました。
どんな時代の人間にも、どんな国の人間にも、
純粋な心を持つ人間には、
精霊のような存在を欲する心が、自然に宿っているものなのかもれませんね。


それにしても、日本の子どもたちは、やっぱり、ちょっと不幸だと思います。
先日、国際的な学習到達度調査(PISA)の結果が出ていましたが、
フィンランドの子どもは、科学的応用力が世界1位で、読解力も世界2位でした。
日本は、調査の始まった7年前こそ数学的応用力などで1位でしたが、
今回は相当(10位まで)順位を落としたみたいです。
フィンランドの子どもは、宿題もそんなに出ないからしないし、
暗記もしないけれど、読書は、よくするそうです。
読書をしているうちに、興味を持って、自然に知識を吸収するのだとか。
今回のPISAでも、「フィンランドの子どもは書いて間違っているのに、
日本の子どもは書かないで間違っていた」と指摘されています。
実際、二男に聞くと、
「そういうテストをしたとき、成績に関係ないからって、白紙で答案を出していた子が、けっこういた」
と言うので、唖然としました。
そういう国に成り下がってしまったのかと、本当に失望しました。


沖縄の教科書問題も、ショックです。
国は、どうして、そんなに現実を隠そうとするのでしょうか。
先日、南京大虐殺のときに兵隊として南京にいたという男の方たちの証言を、
テレビで見聞きしましたが、
中国人にはどんなことをしてもいいと軍から言われた、とか
毎日何十人もの人たち(女性も子どもも含めて)を銃殺した、とか、
倉庫に人をいっぱい詰め込んで蒸し焼きにした、とか、
信じられない話をしていました。
一緒にテレビを見ていた高校二年の長男も、
「そこまでは学校でも教わったことがないし、教科書でも読んだことがない」と、
ひどく驚いていました。


そういえば、ちょっと話はそれますが、
岡山で「ひめゆり」を観たという私の高校の恩師(岡山県内の名だたる高校の校長も歴任された方)が、
数週間前に手紙をくださいました。
とてもいい映画を