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2006年11月 アーカイブ

2006年11月 6日

Coccoからのメッセージ

沖縄出身のアーティストCoccoさんが、この映画を観て下さり
彼女の想いを本日の毎日新聞コラム「想い事。」に書いくれた。
題して「ひめゆりの風」

実は僕は中国・雲南省で第一稿を読ませて頂いた。
少数民族の暮らす棚田・竹林に、
「ひめゆりの風」が
Coccoの歌声とともに(ipodに入れて聴いていた)
くるくる舞いながら吹き抜けて行くようだった。

Coccoは感性するどい人なので、
僕らが手がけたひめゆり資料館のリニューアル や、
この映画にこめたメッセージを、とても深く感じとってくれている。

ありがとう。
本当にありがとうございます。
これを読んでくれた若い人が、一人でも多く
この映画を観てくれることを、
ひめゆりのおばちゃんたちも含めて、
一同みな願っています。

このコラムは、毎日新聞WEBサイトにも掲載されています。 
Cocco「想い事。」 (MNS毎日新聞)
http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/kokoro/etc/omoigoto/


このコメントを読んでくれた若い方へのお願い
ぜひ
映画「ひめゆり」を観る会登録してもらえませんか。
皆さんからの声援が、上映の機会の拡大につながります。
よろしくお願いします。


2006年11月 8日

ひめゆりの風 Coccoの風

11月6日 毎日新聞のコラム「想い事。」で
Coccoさんがこの映画のことを書いてくれて以後、
少しずつ、映画「ひめゆり」を観る会へ
登録してくれる人が増えて来ている。
特に、20代の若い人たちから、
自分自身の思いを込めた文章も一緒に寄せられてくることもある。
みんな、すごいいい感性しているなあと、思わずうなってしまう。
そして、つい嬉しくなって、
他の仕事を中断し、自分で返事を書いてしまったりする。
(たいしたこと書けてはいないのですが・・・)


大阪の TI さんが、こんなメッセージを寄せてくれた。

 「忘れてはいけない忘れたいこと、を、語り継ぐ勇気に感動です。
  でも、8月に(ひめゆり資料館を)訪れたとき、
  私の元へ歩み寄ろうとしてきてくれたおばぁから、
  避けるように逃げてしまいました。
  今にも泣きそうになっていた私は、
  泣いてしまうのが恥ずかしかった、という理由からです。
  今ものすごく後悔しています。
  ごめんなさい。」

この気持ち、とってもよく分かる。
僕も、20代の頃、重すぎて、受け止められないのではないかと、
戦争というテーマから逃げていた。
沖縄に暮らしていたけど、
ひめゆり資料館を積極的に訪れることもなかった。

僕は29歳のとき、縁あってこの「ひめゆり」の記録を始めた。
それができたのは、
その数年前に、人生の上での大きな大きな挫折をしてしまい、
勤めていたNHKも辞めてしまい、
自分にできることを精一杯やるしかない、と思い定めていたから。
書くのも苦手、話すのも苦手な自分には、
聞くことしかできない、
伝えたいけど受け止める人のいない人の声を
しっかり聞き、記録する、
それが自分の役割だと思い定めていたからでした。
あの大失敗がなかったら、
今ごろ僕は何をしていたのだろう・・・。
少なくとも、この映画も生まれていなかった。


25歳のTさんが書いて来てくれた、
「私達は、生の証言を聞ける最後の世代だと感じています。」

確かにそうだね!!
今なら、この映画を観た上で、(いや観なくても)
生身のおばちゃんたちの姿に接することができる。
おばちゃんたちの話を聞いたり、
自分の思いをぶつけることもできる。

そういう形で
おばちゃんたちの命を
若いみんなが受け継いでくれたら、
どんなに素敵だろう。


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〔関連ページ〕
○ 「ひめゆり」長編ドキュメンタリー映画 ホームページ



2006年11月 9日

ひめゆりの風 Coccoの風(2)

きょうも、多くのメッセージが届いている。
ひとつひとつ読んでいる。
つい時間がたってしまって、本来業務に手がつかない。
でも、Coccoさんが蒔いてくれた種を少しでも大切にしたいので
寄せられたメールには、必ず目を通している。

多くの人は、
沖縄に行ったことがないし、
当然のことながら、
ひめゆり平和祈念資料館に行ったこともない。
でも、想像力を羽ばたかせ、
しっかり考えているのに驚く。

これは大阪のMKさんからのお便り。

  「私は、沖縄に訪れたこともないのですが
   いずれ、沖縄へ行き、ひめゆりの塔に行きたいと
   思っています。
   最近は、憲法改正などの話もあり
   日本を含め、世界中が(既に争いの中にいる国もたくさんありますが)
   戦争という悲劇にまた少しずつ
   近づいていくのではないかという危惧を持っています。」


ありがとう。
MKさんは、今の時代と戦前とを重ね合わせて考えているんだね。
ひめゆりのおばちゃんたちも、
戦争が始まる直前まで
まさか自分のいる島が戦場になるとは
思ってもいなかったんだ。
気が付いたら、戦場のまっただ中に動員されていた。
戦前で貧しかったけど、今とまったく変わらない
普通の学生たちだったんだよ。


神奈川県のSKさん(早紀さん)からのメール。

   「12月には沖縄へ旅行へ行って来ます。
    ひめゆりの塔に行って、またちゃんと大人になったわたしの目で
    きちんとひめゆりの皆さんの写真を観てきたいと思います。
    沖縄の人でなくても、もっと若い子たちや、戦争を知らないわたし達
    世代が本当に興味をもってくれれば、現実を知ってくれればいいなと
    思います。わたし自身ももっと知らなくてはならない。
    忘れてはならない。風化させてはならないと思いました。」

ありがとう。
早紀さんは高校時代に沖縄に行って、ひめゆりのことも勉強した、
この冬、数年ぶりに訪れてみるのだ、という。
おばちゃんたちの話を聞くとき、
あせらないでね。
資料館で証言をするために立っているおばちゃんたちの中には
いまだに心に傷があって、
あまり上手に話ができない人もいる。
話は苦手だけど、だけど何とか若い人に伝えたいと
必死で立っている。
ゆっくり、ゆっくり聞いてみてくださいね。


広島県のTNさんは、わざわざ広島市内の映画館に
「ひめゆりという映画があるよ」と電話してくれたという。

  「わたしはただのこっこファンの、平和を求めるおかあちゃんですが、
   広島で「ひめゆり」に会える日を楽しみにしております。」

ありがとうございます!!
その後、僕らからも、広島の劇場に案内を送りました。


 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


ところで、なぜ事務局が、「観る会に登録してください」とお願いしているかというと、
僕らには劇場公開をした実績がない、いわば新人なので、
劇場主さんにとっては、「この映画、人を集めることができるのか」と
心配になってしまう。
不安だから、上映期間は短かく、上映時間もマイナーに設定されてしまう。
いま「ポレポレ東中野で公開」と書いているけど、
現段階の打合せでは、朝一回きりの、いわゆる「モーニングショウ」ということで
了解をいただいている。

僕のような朝寝坊さんにとっては、
モーニングショウに行くのはたいへん。
僕がお客さんだと考えたら、これではなかなか行けない。
何とか、昼も夜も上映してもらいたい。
少しでも長い期間、上映してほしい。
そのためには、劇場主さんに
「こんなに映画を待っている人がいるんです」
と言いたい。

意外に思うかもしれないけど、
 「いい映画」=「上映される」
というわけではないし、
 「いい映画」=「多くの人がみてくれる」
ではない。

宣伝にたっぷりお金をかけられる大きな劇映画と違って
多くのドキュメンタリー映画は、
たとえ名作でも、どんどん埋もれて行ってしまう。
この映画も、ひっそりと朝だけ上映されて終わりというようにならないよう、
埋もれてしまわないようにと
皆さんからの応援をお願いしているのです。


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2006年11月10日

ひめゆりの風 Coccoの風(3)

皆さんから寄せられるメール。
Coccoの風がきょうも吹いている。
風速1メートルには満たないけど、さわやかな秋のそよ風だ。

山口県のYSさん。

   「誰かが美化した映画ではなく、読みやすく整えられた小説ではなく、
   事実を知りたい。」

ありがとう。
YSさんの希望には答えられると思う、・・・たぶん。

それと、ひめゆりであったこと、沖縄であったことと同じことが、
今、イラク、チェチェン、アフガニスタンで起こっていることも忘れないで。



京都市、16歳のKKさん。
(すみません、名前の読み方よくわからない。これまでメールいただいた中で最年少です)

    「何も知らない僕たちは、同じ過ちを繰り返してしまうかもしれない。
    いつになっても、ひめゆりが観れることを楽しみにしています。」

「いつになっても・・・」、なるほどなぁ。
そうだね、人間ってすぐに過ちを犯してしまうものね。
そんなとき、何度も何度も、また繰り返し学べばいいんだね。
とっても前向きな姿勢に感動しました。



北海道小樽市のAKさん。

   「10月、沖縄へ行きました。
    大好きな沖縄。
    もう何度も何度も訪れている沖縄。
    でも、どうしても避けていた場所があります。
    それがひめゆりの塔でした。
    初めて沖縄へ行った時に、
    あまりにもあの場所にある思いの、あの場所にいる彼女達の思いの強さに触れ
    割れるのではと思うくらい頭が痛くなり立っていられなくなったから。
    幼い頃から、何かを強く感じると頭がガンガンと痛くなるのですが、あの時は特に。
    それ以来、こわくて行かれなかったのです。
    (今年8月のCoccoの)
    ライブの翌日、ひめゆりの塔へ向かったのですが
    目の前にして足が前へ進まなくなってしまいました。
    勇気が無かった。。。
    沖縄から帰ってから、一人で鶴を折りました。
    小さな折り紙で毎日。
    折り紙を折ることで、自分の中に強さを持ちたかったのです。
    おばぁたちの勇気を、強さを、少しでも繋げるような強さを。
    虹のように祈りがかかるようにと願い折った千羽の鶴達と
    Coccoからもらったきっかけを示す桃色の折り紙の象がひとつになった10月、
    沖縄へ発ちました。
    まっすぐにひめゆりの塔へ。
    10年以上かかって、やっと再び平和祈念資料館へ。
    頭の痛みと止まらない涙…まだまだ弱い私です。
    だけど、もう逃げないよ。
    ゆっくりでも知っていきたいです。
    そして彼女達の言葉を気持ちを忘れずに、繋いで生きたいです。」

ありがとう。
IKさんはとても優しい方なんだと思う。
繊細で、感性が鋭い方なのだろう。

資料館に送られた千羽鶴のかなたに
こんな思いがあったこと、みんなに伝えておきます。

沖縄の人の中にも、ひめゆりの塔の近辺に行くと
魂がそわそわしてしまい行けない、
という人も多い。
僕も、最初の頃はあのあたりに行くのが怖かった。
昔は、ここは激戦地だった、死体がたくさん転がっていたと思うと怖かった。

でも今は、ひめゆりの塔から荒崎海岸の一帯を散歩するのが好きだ。
悲しいことがあった場所だけど、
それを乗り越える自然の力にも満ちているように思う。

資料館の中に、亡くなった生徒たちの遺影が並んでいる部屋があるのを
行ったことがある人は覚えていると思うけど、
この部屋も僕は最初は怖かった。
撮影はお客さんがいなくなってから行うので、
夜この部屋に残っていなければならない。
最初はそれが不安だったけど、
今は、この部屋がとっても安らぎに満ちているように思う。

亡くなった人たちはけっして怒ったり、恨んだりはしていないよ。
今の僕たちが少しでも心豊かに生きることを
祈ってくれていると僕は思っている。


東京都のNKさん。

   「当時を知り「戦争を知らない」世代へ直接語り掛けられる時間は、
    残念なことだけどごく自然なこととして段々と短かくなってきている。
    せっかく受け取ったバトン、託された声なんだから、
    出来るだけたくさんの人に伝わることを、応援しています!」

ありがとう。
その心意気が嬉しいです。
たとえ大きな支援をしてくれなくてもいい。
バトンを受け取るんだ、という気持ちを
持ちつづけてくれればいいのです。



東京都のEKさん。

   「最後まで観ていられるかわかりませんが、
    ぜひとも観てみたい」

ありがとう。その勇気に感謝します。



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2006年11月11日

沖縄 ○?×?(紙面接触率)

昨晩はある新聞社の那覇支局にいたA記者と飲んだ。
A記者は、いまは東京社会部にいる。

目から鱗が落ちる話を聞いた。

テレビで視聴率という調査があるでしょう。
新聞にも、それと似て、「紙面接触率」という調査があるという。
ある一定の読者モニターがいて、
どの記事をどのぐらい読んだかを調べるという。

それで、
「沖縄」に関連する記事の紙面接触率、どうなの?
高いか?
低いか?

意外な答えでした。

それについて詳述したいけど、
これからまた会議で出かけて来ます。

つづきは後ほど。。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それと、映画「ひめゆり」を観る会へ登録して下さる方、ありがとうございます。
メッセージを寄せてくださる方、本当にありがとう。
届いています。
読ませていただいています。
また整理して掲載させてください。

では、行ってきます。

2006年11月12日

ひめゆりの風 Coccoの風(4)

Coccoの風、まだ吹いている。
シンポジウムから帰ってきたら、すごく考えさせられるメールが届いていた。
「沖縄」の新聞記事の紙面接触率の話とも関連する
大事なことなので紹介したい。


神奈川県のNSさん(20)からだ。

    「Coccoが言う様に今の沖縄は汚れてきていて、
    それには、少なからず戦時中から続くアメリカと日本の問題が
    絡んでいるように思います。
    アメリカに憧れるあまり、国土の自然や文化を顧みることなく
    開発を進めてきた日本のトップを牛耳る人間の思い上がりも。」

NSさん、すごい洞察力だね!!
そう、17世紀以来の日本と沖縄の関係と
ひめゆりのこととは、
底辺でつながっています。
それは、日本のマスコミの「沖縄」についての扱い方とも重なります。
あまりに深いテーマなので、
いつかきちんと書きたいけど、
付き合ってくれる人、いるかしら?



東京都の23歳のNTさん。

    「『ひめゆり』という言葉は耳にしただけで、
    実際全くと言っていいほど知りませんでした。
    今日Coccoのコラムをたまたま見て、このページに辿り着きました。
    それから沖縄戦についてや、ひめゆりの塔についていろいろ観ました。
    言葉が出ません。
    ただ涙が出そうでした。
    私の頭の中で想像する当時の現場の景色や、
    そこに居た人達の気持ちは、
    当たり前だが確実に実際のものとは比べ物にならないだろう。
    こんな馬鹿な頭で想像するだけで、いろいろな想いが込み上げてきて、
    ただ涙が出そうでした。」

NTさんの世代になると、「ひめゆり」を知らない人が多いのだろうね。
Coccoさんの記事を観て、自分できちんと調べ
自らの頭で考え、想像する。
素晴らしい素質だと思う。
ありがとう。



神奈川県のKOさん。

    「Coccoさんの影響で、沖縄戦の事・ひめゆりの事などの
    歴史に関心を持ちました。
    私達の世代は、過去の悲惨な戦争について、あまりにも無知です。
    とても悲しいけれど、胸が痛くて苦しいけれど、
    もっと、ちゃんと、知る必要があると思う。知らなきゃいけないと思う。
    そして、次の世代へと、過去の事実をさらに伝えていかなきゃいけないと思う。
    同じ過ちを、二度と繰り返さないために。」

KOさんも、Coccoの風をきちんと受け止めた。
KOさんは27歳、人生でもっとも豊かな経験ができ
いろいろ吸収したものを自分なりの形にしていける年齢だ。
良い風を受け、KOさんなりにどんなふうに育んでいくのか
楽しみだ。



茨城県の21歳のYHさんはとても行動力のある人だ。

    「私は今年の夏に始めて沖縄でのCoccoのライブへ行き
    ひめゆりの塔の話を聞きました。
    ライブの次の日には、実際に一人でひめゆりの塔へも行き、
    さまざまな資料・写真・元ひめゆりの方たちのお話と
    ずっと涙が止まりませんでした。」

YHさんは、Cocco「想い事。」の記事が出た日、
すぐにこのメールをくれていた。
Coccoの風の最初のひと吹きだった。
本当に励まされました。
ありがとう。



神奈川県の大学4年生KIさん。

    「去年、今年と夏にひめゆりの塔で
    少しだけ上映されていた証言VTRを拝見しました。
    胸がつまり、非常に深く考えさせられるきっかけとなりました。
    今も日々、戦争のことや沖縄のこと、毎日のように考えています。
    それでも何もできない自分がとても情けないです。
    これからも考え続けていくことしかできませんが、絶対に忘れません。」

資料館の映像も観てくれたんだね。ありがとう。
情けないと思う必要は絶対にない。
考えるだけで素晴らしいと思う。
大学を卒業すると、仕事をしなければならないでしょう。
仕事に振り回され始めると、大事だと思うことを忘れてしまいがち。
会社に合わせるために、自分の魂を削っていく人も多いよ。
今の気持ちを卒業後も忘れない、というだけで
すごいことだと思う。



千葉県の22歳のAMさん。

    「今サイトの方も拝見させて頂いて
     『伝えたい』というスタッフさんの気持ちを感じて
     ますますこの映画を観たいという思いが強くなりました」

そう言っていただけると、やりがいがあります。
ありがとう。



東京都の27歳のMKさん。

     「未来につながる架け橋のような映画になることを祈ってます。」

あなたがそう思ってくれるだけで、
すでに小さな架け橋になっています。
ありがとう。

2006年11月13日

ひめゆりの風 Coccoの風(5) 沖縄にて

日曜日に沖縄に行き、
いま東京に戻った。
今回は駆け足の旅だった。

ひめゆりのおばちゃんたちとの会合があったからだ。

毎週月曜日、ひめゆりでは「資料委員会」といって、
生き残った人たちの学級委員会というか、
「生徒会」のような会合がある。
おばちゃんたち十数人が集まって、
今の悩みや問題、あるいは、
未来への取り組みについて話し合う。

今回はまず、8月のCoccoの沖縄ライブの映像を一緒に観た。

CoccoさんがMCで言っていたように
「おばぁたちは確実にこの場にはいなかった」から。
いや、おばちゃんたちにとっては、
Coccoさんの歌を聴くのも初めてだったりする。
彼女の祖父の真喜志康忠は
沖縄芝居の大スターなので
おばちゃんたち誰もが知っているが、
Coccoさんについては、名前は知っていても、
見たことはないというおばちゃんたちが大部分。

「きれいな人さ」
「沖縄の顔しているね」
歌っているCoccoの姿に、
みなしきりに感心する。

Coccoさんが、ひめゆりについて語り始める。
沖縄の方言を丸出しの語り方に、
おばちゃんたちも大爆笑。

そのうち、Coccoさんの語っていることの深さ、
彼女の心の想いに触れ、
みな涙を流しながら聞き入っていた。


Coccoファンのみんなから
送られてきたメールも
「読み合わせ」をした。

「読み合わせ」というのは
ひめゆりの資料委員会(“生徒会”)の重要なやり方で、
大切な議題や文章について、
単に目を通すのではなく、
きちんと声に出して読んで、
みなで確認をしあう。
声に出すことで、
文章にこめられた意味や想いを
きちんと理解する。
そして全員の理解が同じレベルになるようにする。
戦前の女学校・師範学校からの
良い伝統なのだろう。
みんなからのメッセージを
「すごいねぇ」と言いながら
おばちゃんたちは聞き入っていた。

Coccoさん、みなさん、ありがとう。
おばちゃんたちにとっても、
それを受け継ごうという資料館の若いスタッフにとっても
僕にとっても、
これから何をしていけばいいのか、
その道が少し見えてきた気がする。
おばちゃんたちの命をバトンタッチする
ということの あり方が、
おぼろげながら、目に浮かびつつある。
今はまだ言えないけど、
これから色んなプロジェクトを計画している、
それらの目指す方向性について、
Coccoさんや皆さんから
指し示されているようだ。

ありがとうございます。




2006年11月14日

Coccoの「ありがとう ごめんなさい」 :ひめゆりの風 Coccoの風(6)

Coccoさんの書いた「想い事。」の文章は
次のように締め括られている。


     ありがとうね。
     おばぁたち、ありがとう。
     ごめんなさい。
     ありがとうございます。


とっても感動的なことばだ。
口に出して読むと、
心がしめつけられるような詩だ。

でも、
なぜ「ごめんなさい。」という
一句が入っているのか、
僕はこれまできちんと理解していなかった。
何に対してCoccoさんは「ごめんなさい」と
言っているのだろう?
ずっと疑問だった。



「ありがとう」の意味は文中にも記されている。


     “忘れたいこと”を
     話してくれてありがとう。
     “忘れちゃいけないこと”を
     話してくれてありがとう。


言い換えれば、
「勇気をもって語ってくれてありがとう」
「生きていてくれてありがとう」
「希望を与えてくれてありがとう」

生きる勇気と、共に生きる喜びの賛辞だろう。



では、「ごめんなさい」の意味は?


最初、僕が推測していたのは
「すぐに歌を届けられなくてごめんなさい」
とか
「まだきちんと生きるとはいえないこと
 ごめんなさい」
とか・・・。

うむむ、でも、しっくり来ない。
分かるようで、分からなかった。


なぜCoccoさんは「ごめんなさい」と書いたのだろう。
それが、少し分かるきっかけがあった。


おととい、沖縄に行ったときに、
「神人(カミンチュ)」という
神と対話するおばぁから
大事な言葉をもらってきた。
沖縄には、神人といって
巫女のような、
霊力が高く、神々と対話し
人々の悩みを解決する役割の女性が
たくさんいる。
神の霊が乗り移り
神の霊や祖霊と語り合う。
下北半島のイタコと似ているけど
イタコの多くが盲目だったりするのと違い、
沖縄の神人たちはごく普通の人で、
ごく普通に町や村に暮らしている。
僕は、1988年にNHKに入局し
一ヶ月後、24歳で沖縄放送局に赴任した。
那覇に着いて3日目に
偶然のことからある神人の一家と出会い
以後、家族のようにつきあい、
多くのことを教えてもらっている。
僕にとっては、親のような人だ。


今回の駆け足の旅では
神人のおばぁに直接は会う時間がなかったが
娘さんから、大切な言葉として、
つぎの詩のようなメッセージを聞かされたのだ。


     人間の魂の生きる道は
     「ありがとう」と
     「ごめんなさい」
     この二つしかない。


と。

「神人(カミンチュ)」といっても
本土にいる人にはなかなか正確には
イメージしにくいかもしれない。
神社にいるわけでもなく
寺にいるわけでもなく、
那覇の下町の古臭いアパートに暮らす
ごく普通のおばぁの言葉だ。
学校を出たわけでもなく、
女性ながらも建設現場で土方をしたり、
本土に出稼ぎに行ったりしながら
たくましく生きてきた人の言葉だ。


     人間の魂の生きる道には
     「ありがとう」と
     「ごめんなさい」
     この二つしかない。


これは、あくまで
「魂」のあり方についての教えである。
魂の道はどうあるべきかを語ったものだ。
だが、この神人の言葉をきいて、
Coccoさんの言葉の意味が
少し分かった気がする。


     ありがとうね。
     おばぁたち、ありがとう。
     ごめんなさい。
     ありがとうございます。


Coccoさんは、
何かに対して「ありがとう」と言ったのではなく、
明快な対象があって「ごめんなさい」と
言ったのではなかったのではないか。
これはCoccoさんの魂の叫びなんだ。

     「ありがとう、ありがとう、ごめんなさい、ありがとう」

ひめゆりのおばぁたちに対して
魂をささげた
完全なる愛の表現なのではないだろうか。

そうな風に思えるようになった。


もちろん、Coccoさんの真意は
僕にも分からない。
また、Coccoさんは僕の知っている神人のおばぁと
会ったことがない。
「人間の魂の道には、ありがとうと ごめんなさい 
この二つしかない」という
神人のおばぁの言葉は
沖縄の諺でもない。
沖縄の誰もが知っている慣用句でもない。
神人のおばぁの叫びのようなものである。

でも、どこか、Coccoさんの詩と
沖縄の神人のおばぁの祈りの言葉と
通じあっているように思えてならない。

     「ありがとう、ありがとう、ごめんなさい、ありがとう」



・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


さらに続けたい。

神人のおばぁは、こうも言った。


     今の世は、
     何に対して「ありがとう」と言い
     何に対して「ごめんなさい」と言うかが
     分からなくなっている。
     だから、おかしくなっている。


魂の道についての言葉だから、
くどいようだが、
日常生活に直接あてはめて考えるのは
ふさわしくないが、
今の世の中の動き、
日本を率いようというリーダーたちの行動を見ると
「ありがとう」「ごめんなさい」の使い方を誤るどころか、
そうした言葉を口にすることさえないように思う。
他者に「謝れ、詫びろ、反省しろ」というばかりで、
自ら「ごめんなさい」と言ったり、
「ありがとう」と心より感謝することが
彼らにあるのだろうか。

マスコミも何か事件が起こるとすぐ告発するばかりで、
「ありがとう」とか「ごめんなさい」という言葉が
テレビやラジオから聴こえることは
少なくなった。


ひるがえって僕らの日常生活を考えてみると
僕らも最近、「ありがとう」や「ごめんなさい」
という言葉を
あまり使わなくなったような気がする。
「すみません」
この一言で済ませてしまうことが多い。
「すみません」は便利な言葉で、
「ありがとう」のシチュエーションにも
「ごめんなさい」のシチュエーションにも
使えてしまう。
簡単に口から出せる言葉だ。
でも、
「ありがとう」というときの喜び、
「ごめんなさい」というときの勇気の感情が
薄れてきているのかもしれない。

そんなことも思った。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

皆さんから送られてきたメッセージを紹介したい。


埼玉県のNIさん(24)からのメッセージ。

     「愛するものが傷つき、悲しむのを見るのは
      とてもつらいです。
      かといって、自分に何かできるとも
      思っていませんでした。
      この映画を観ることは、
      とてもしんどい行為になると思います。
      でも、きっかけを与えられた私たちには、
      それをする義務があると思う。
      目をそらさずにしっかり観て、よく考えて、
      分からずやの大人たちにも説明できるように
      ならなければいけないと思うのです。
      たくさんの人がこの映画に触れることで、
      ひめゆりたちの魂が慰められ、
      Coccoと沖縄の抱える悲しみが和らぐことを
      祈っています。」

ありがとう。
鎮魂まで考えてくれているあなたに
心より感謝します。


佐賀県の高校生REさん(17)からのメッセージ。
 (REさん、ごめんなさい。お返事を書くとき、
  あなたの苗字を書き間違っていたと思う。
  人の名前を間違えるのは最もよくないと
  普段、とくに気をつけているのだけど、
  忙しくバタバタしていました。
  ごめんなさい。)

     「私は、特別Coccoという歌手が
      好きだったのではありませんが、
      Coccoが活動を開始して出したシングル
      『陽の照りながら雨の降る』を聞いて
      吃驚しました。
      Coccoの沖縄に対する想いが
      とても重かったからです。
      私も佐賀に生まれ住んでおり、
      佐賀のことは大好きですが、
      Coccoのように必死に地元を思うことは
      できません。
      そこでもっと沖縄のことを知ってみたい。
      沖縄に触れたい。
      そう思ったのです。
      自分の地元のこともよく知らずに
      何を言うのかと思われるかもしれませんが…。
      それでも、私には一番大切なことのように
      思えるのです。
      他の、どんなことよりも。
      本当は、沖縄に直接出向き、自分の目で
      防空壕や、いろいろなところを見て歩き、
      体で沖縄のことを感じたいと思ったのですが、
      何分学生であり、本分は勉学であるので…。
      機会ができれば必ず出向きたいと思います。」

ありがとう。
沖縄のことと同時に、
自分のふるさと佐賀県のことも
たとえ少しでも考えようとしているところが
素敵だと思った。
(少なくとも考えていない自分に気づいている)


2006年11月17日

娘の死

お世話になっている方の娘さんが亡くなった。

21歳だった。

事故死だった。

父親――僕のようなダメ男の面倒を厭わず
見てくれる優しい人だ――の顔は
泣きつづけたからだろう、
顔中が細波のように皴うっていた。

       ◆     ◇     ◆     ◇

僕には2人の娘がいる。
小学校6年生と1年生だ。
夜遅く家に帰ると、いつももう寝息を立てている。
6畳の畳間、布団を3枚しか敷けないところに
僕とカミさんと2人の娘、都合4人が所狭しと寝る。
あまりに日本的なウサギ小屋のこの風景こそが
海外に長くロケに出たとき
もっとも懐かしく思い出される情景だ。
家族の原風景となっている。
そうした時間を共有して育った娘が、
もし僕より先に黄泉の国へと川を渡ってしまったら、
僕はきっと気が狂ってしまうだろう。
誰よりも取り乱し、
暗い心のトンネルから出て来れなくなってしまうだろう。

それほど、
子の葬式を出すというのは
親にとって辛いことだ。
自分が親の身となってみて
痛みが切々と分かる。


       ◆     ◇     ◆     ◇

ひめゆり学徒でも、
多くの親たちが子を失う悲哀に暮れた。
一家全滅もたくさんあったが、
親は疎開をして生きのびられたのに
子は亡くなってしまったケースも多かった。


ひめゆりの搭の起源も
学徒隊で2人の娘を失った親御さんらが
あたりに散乱する遺骨を拾い
納骨して祀ったことにあった。
1946年4月のことだ。
戦後1年近く経っても
一帯には白骨が散乱し、
身の毛のよだつ状況だったという。


「信子よ 貞子よ いとし子よ
 うちつれだちて
 いずこへゆきし」

  (信子よ、貞子よ、愛しい我が子よ
   2人そろって、どこへ行ってしまったのか)


一人の母親が板切れに書いた詩が、
一木一草も残らぬ荒涼とした大地に立つ
ひめゆりの塔に添えられた。

姉の金城信子さん(19)は、茶目っ気たっぷりの人気者だった。
動物の真似をしたりして
皆を爆笑の渦に巻き込んだりする
ひょうきんな人だった。

妹の貞子さんは「ブーちゃん」の愛称で呼ばれていた。
底抜けに明るく、彼女の周りはいつも笑いが絶えなかった。
ひめゆりの壕の中で
ガス弾攻撃を受ける直前まで
戦場で暗く沈みがちな友達に
クリクリした丸い目で語りかけては
励ましていたという。


これが「ひめゆりの塔」の始まりだった。


       ◆     ◇     ◆     ◇

学徒隊に参加した生徒たちの多くは
1週間もすれば学校に戻れるだろう、
と思っていた。
赤十字の旗の立つ
戦場からはるか離れた病院に行くつもりで、
学校から陸軍病院へと向かった。
知識がなかった。
情報が与えられていなかった。

親の中には
上層部から「この戦争は負け戦だ」という情報を得て
わが子が戦場に行かないよう説得した人もいる。
「16歳になるまでお前を育てたのは、
 戦場で死なすためではない」
と。
しかし娘は、
「お父さん、何を言ってるの。
 そんなこと言ったら『非国民』と呼ばれるよ」
と家出同然で飛び出し、学徒動員に駆けつけた。

多くの親たちは、
娘たち同様に無知だった。
学校と一緒に病院に動員されることが
最も安全だと信じる親が
大部分だった。


       ◆     ◇     ◆     ◇

学校の首脳の中に、
戦場がいかに危険かを熟知していた人物がいる。
沖縄県立第一高等女学校の校長、
GN氏(沖縄師範学校女子部長を兼務)だ。
GNは、日常的に軍司令部に取り入っていた。
軍司令官を接待し、点数稼ぎに勤しんでいた。
そして戦況がどうなるか
事前に予測がついていた。

1945年3月23日、
ひめゆり学徒隊を戦場動員するその夜
GNは演説をした、
「学校の誇りを持って、戦場で働いて欲しい」
と。
生徒たちは希望に燃え陸軍病院へと向かって行った。

一方、校長(部長)のGNはどこへ行ったのか・・・。
彼は、軍総司令部壕へ行った。
最も安全が保障された壕である。
軍との緊密な連絡が必要であるとの理由で
自らは安全地帯にかくまわれた。


       ◆     ◇     ◆     ◇

ところで、GN校長(部長)は
軍や県のトップに気に入られるために、
いかに多くの生徒たちを動員するかを
画策した節がある。

1944年8月、つまり
沖縄戦が始まる7ヶ月前のこと。
八重山や久米島など離島の生徒たちは
夏休みで帰省した。
学級担任や生徒指導の先生からは
「夏休みが終わっても
 学校には戻らなくてもいいよ」
と言われた。
既に沖縄近海には米軍の潜水艦がうようよし
危険な海を渡っての帰省だった。


しかし、夏休みが終わる頃、
離島の生徒たちのもとに
「スグ帰校セヨ」
との電報が学校から届いた。
特に師範学校の生徒には
帰らなければ教員免許を与えないと
半強制的な連絡だった。

帰省させる時には、
「もう学校に戻らなくてもいい」
と、学校ナンバー2の生徒指導の先生が
送り出した。
にもかかわらず、数週間後には
「帰校せよ」
との半強制的な命令を電報で送りつける
事態となった。

GNが、動員する生徒の数を確保するために
決定を下したと考えられている。


なお、沖縄戦で最も安全な軍司令部へ逃げたGNは
死の恐怖にさらされることも ほとんどないまま、
生きのびた。


       ◆     ◇     ◆     ◇

しかし、僕らの映画では、
このエピソードには一切触れていない。

なぜか。

それは、この問題を追及するという態度が
ひめゆりの人たちの心ではないからだ。


 「『怒り』をそのまま相手に返すなよ。
  じっと我慢しなさい。
  それは神さまが返してくれるから。」


ひめゆりのおばちゃんたちの”学級委員長”
ひめゆり資料館の本村つる館長はそう言った。
それは、先輩たちから受け継がれた
教えなのだという。

怒りを怒りで返すと、
憎しみの連鎖が止まらなくなる。
今のパレスチナとイスラエルの紛争のように。
「目には目を」の精神では
憎しみの感情が螺旋階段を駆け上っていく。

   (注) この「神様」は特定の宗教の神様ではなく
       沖縄土着の祖先神であったり、
       大気の中にあふれるように存在している
       目に見えない存在たちである。
       沖縄だけでなく、日本人の中に普通に存在している
       神さまのことである。


       ◆     ◇     ◆     ◇

なお、生徒たちを無理に戦場に動員し
自らは生き残ったGNは
戦後、東京学芸大学の教授となった。
教員を養成する役割を負った国立大学で
戦後も悠々と教鞭を取ったのだった。

日本という国では、
戦前に若い命を蟻のように踏みにじった幹部が
戦後も悠々と生き続ける例が、
教育界だけでなく、政界、官界、財界、医療の分野など
あらゆる現場で見られたことを
事実として肝に銘じておきたい。

亡民の輩ともいうべき、卑劣な大人たちが、
まるで悪霊のように、
今の時代にも各界で
はびこっているように思える。

一人の親として、
しっかりと目を見張りたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Coccoファンの若い方々からのメールに混じって、
子を持つ親の立場からのメッセージも寄せられている。

岩手県のTTさん(56)からの便り。

    「毎年8月に戦争を題材にした芝居を上演しています。
     今年は、ひめゆり学徒隊の朗読劇『摩文仁の丘』を上演し、
     それに出させてもらいました。
     その際、当時の悲惨さを垣間見て 三人の子供の親として、
     人間として とっても深く考えさせられました。
     何らかの 力になりたいと思っています。」


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今後、サブタイトルから
「ひめゆりの風 Coccoの風」という書き方を省略します。
今から書く全てのブログは
Coccoの風のもとにあることは確かだからです。

Coccoさんのおかげで、
このブログも、多くの若い読者を得ました。
その人たちに向けて、
僕は書いています。

「Coccoの風」と書いていなくても、
「Coccoの風」なんだという前提でお読みください。

また、随時、いただいたメッセージを
紹介させていただきます。
メッセージは送りたいけど掲載はして欲しくない場合は、
「掲載はしないで」と明記していただければ幸いです。

2006年11月18日

試写会

昨晩、東京で初めての試写会を行った。
沖縄以外の地での
初めての上映だった。


一般の皆さまに公開するまでに
ひとつ、ひとつ
大事にしなけれなならない
ステップがある。


まず第一に
これまでお世話になってきた方々に
 観ていただきたかった。
私を育ててくれた方々に
 観ていただきたかった。
映画の完成までの遠い道のりを一緒に歩んでくれた方々に
 観ていただきたかった。
心より「ありがとう」と言いたい方々に
 観ていただきたかった。


ひめゆりの東京の関係者の方々。
戦後沖縄を離れたひめゆり学徒も多い。
NHKの先輩や同期の仲間たちは
陰に陽に僕を励まし支えてくれ、
生活が成り立たなくなりそうなときには
仕事の機会を与えてくれた。
記録映画制作会社の金字塔ともいえる
民族文化映像研究所は、
NHKを飛び出した僕を暖かく迎え
厳しく性根を据えてくれた。
そして目標としてきた映画人たち。
数歩先の道のりを照らしつづけてくれた。


尊敬する女性ドキュメンタリストで、
世界でもトップクラスの作品を作りつづけている
NHK同期の仲間から励ましのメールが届いた。


    「先ほどは、感極まってしまい、ご挨拶もそこそこに失礼をしました。
     帰り道、映画の時空から逃れることができず、
     電車を乗り間違えながら帰途につきました。
     大切な、仕事をなさったと思います。
     先ほど、うまくこの気持ちを表現できませんでしたが、
     この大切な仕事をしてくれてありがとうございます、
     という意味で、ありがとう、と言いました。
     拝見して、ホロコーストを記録した『ショアー』を思いました。
     きっと、この映画も2時間では納まらない、
     長さの可能性をもっていると思います。
     どうか、臆することなく、いつか、
     撮影したすべての映像を使い切るような編集を
     して見せてください。
     きっとその意味がある記録だと思います。
     インタビューにこたえてくれた沖縄の方々に、
     心から御礼をお伝えください。」


ありがとう。
僕がNHKを去っていくときに
あなたが主宰して開いてくれた送別会のこと、
一時たりとも忘れたことはない。
恩返しをするには、作品で答えるしかない。
あなたの言葉のなかには、
同期ゆえの共感があって書いてくださっっている
面もあると思うけど、
素直に受け止めたいです。


昨晩の打ち上げの席で、
プロデューサーやスタッフたちと語り合った。
僕らの映画は、沖縄を知らない人の心にも
きちんと届くんだ。
いま、Coccoファンを中心に
多くの若い人たちからもメールをいただいている。
嬉しい。
これまで経験したことのない喜びだ。
めざそう。
これまでドキュメンタリーとは縁の無かった
若い人たちに一人でも多く観てもらえるように。
そのための方法を考え、努力しよう、と。

いま、ドキュメンタリー映画を観るのは
中高年世代が中心。
だけど、
僕らの映画はそれで終らせたくない。
ひめゆりのおばちゃんたちの命のバトンを
きちんと渡したい。


今後の予定。
こうした「報恩の試写会」ともいえる会を持った後、
来年に入ってからは、
プレス試写といって、
マスコミ向けの試写会を始める。


皆さんのもとに映画を届けるのが
遅くなってしまい、ごめんなさい。
この作品を多くの方々に届けたいと思うなら
あせってはいけない、
そう肝に銘じ、
一歩、一歩、進みたいという
僕たちの気持ちをどうか理解し
待っていて下さい。



2006年11月20日

18歳のSKさんから

さっき、静岡県の高校生から、素敵なメールが届いた。

18歳のSKさんからのメッセージだった。
Coccoさんのページから来たという。


    突然なのですが、先日授業の世界史の時間に
     「第一次世界大戦」のビデオを見ました。
    もちろんフィクションではなく記録だったのですが、
    やたらと戦闘場面や新兵器の紹介が多かったせいもあり、
    私にはどうしても
     『こんなことがあったんだなぁ』
    ぐらいにしか
    感じることができませんでした。

    残念ながらクラスの何人かは眠っていたことからも、
    多くの生徒が 「歴史の通過点」 程にしか
    感じなかったのではないかと思います。

    ビデオを見終わったときに友達とこんなことを話しました。

      「私たちの子どもが第二次世界大戦のことや原子爆弾のことを、
       今私たちが思ったとおりに
       『そういうことがあったのか。
        遠い昔のことだ』
       ぐらいにしか思わなくなる日が来るんじゃないかな。
       そうなったらとても恐いし、
       だからといってどうやって伝えていいのか、それも難しいね…。」

    と。

    私たちの世代には、まだ祖父母に戦争体験者がいます。
    実際にお話を聞くこともできます。
    けれど戦争を体験された方は日本からどんどんいなくなっています。
    残された私たちはどうやって伝えていけばいいのか、
    どんなメッセージを発信すればいいのか、
    私にはまだ分からないことだらけです。


SKさんの指摘はとても大切なものを孕んでいると思う。

戦争体験をしていない人が、
戦争や平和の問題について、
今の時代の人たちと、どのように共有し
次の世代の人たちにどのように伝えていくのか。


Skさんはさらに続けて言う。


    今、戦争を題材にした映画やドラマなどが多くあり、
    8月になると毎年のように放映されますよね。
    私はいつもそれらを目にするたびに、
    何か間違っているんじゃないかとどうしても思わずにはいられません。
    何となく美化されたような人間たち、映画やドラマという構成されたお話。
    感動している自分自身に安心して、
    ただやみくもに戦争反対と言っているようなそんな気がしてならないのです…。
    「泣けたよね~」
    ってそれで本当にいいのかと思ってしまうのです。

    戦闘場面をいくら見ても、それにやはり限界があります。
    遠い国の紛争を見ても
     「またか」
    なんて思ってしまう人は
    日本の社会にいます。
    テレビを通してでさえも感覚が鈍くなってきている私たち。


確かに、遠い国の紛争のことを見て「またか」と思う人は多い。

それだけでなく、
沖縄のことも、基地のことも「またか」と思う人が多い。

11月11日のブログで僕は
新聞記者から教えてもらったこととして
沖縄についての記事が人々にどう読まれているか、
書きかけて放ったらかしになっている。
「紙面接触率」といって、
新聞を購読している人がどの記事を読んだか、
どれぐらい時間をかけて読んだかという
調査があるのだという。

「沖縄」についての記事は
どうなのか?
読者たちがどれぐらい時間をかけて読むのか?

答えは――――「きわめて低い」
という。
その全国紙の読者の大部分は、
見出しに「沖縄」とあると飛ばし読みにする。
沖縄の記事があったことすら気づかない読者が
多いのだという。

「またか・・・」
多くの人々の間に蔓延する「またか」という感覚。

それを払拭するのは並大抵の努力ではできない。
だって、多くのマスコミ人が、深く考えることもなく、
次から次へとニュース・ショーとして
たれ流しつづけているのだから。
感覚が麻痺してしまうのも当然だ。


    だから「ひめゆり」はすごくすごく大事な映画なんだと私は思うのです。
    「人が語り継ぐこと」をまさにやって頂いた「ひめゆり」は
    人対人の対話になるんじゃないかと、
    人と人との、時代と時代との、その橋渡しになるんじゃないかと思います。

    多くの人に、特に若い人に見てもらいたいです!
    と、その前に自身見たいです。。。


SKさんは、僕らのことを励ますことも忘れない。
すごい、大人だ!
いいよぉ、そんなお世辞を言わなくても。まだ観ていないんだから。
観たら、しっかり感想を書いてください。
そして良いと思ったら、友達にたくさんたくさん声をかけてください!



       ◆     ◇     ◆     ◇

SKさんは、小学生の頃、沖縄に家族で旅行をしたことがあるという。
ひめゆりの塔を訪れ、とても衝撃を受けたという。
実は、そんな体験を1週間前に僕にメールで送ってくれた。
僕はひょっとして衝撃が強すぎて悪い影響を与えていないか心配になり
SKさんにメールで尋ねた。
きょうのメッセージはSKさんからの返信だった。


    『沖縄に旅行へ行った、という表現より、
    私はひめゆりの塔へ行った、という表現のほうが当てはまるくらい、
    私にとって衝撃的なのものでした。』
    と、前に送ったと思いますが、
    そのくらい私にとってはすごく大事なことでした。

    自分と何年しか違わない少女達が、どうして…と、
    幼いながらに苦しかったです。

    小学校高学年にも満たない年齢でしたので、
    理屈より先に感情が溢れてしまいました。
    先入観というものがまるでないので、
    直に痛いほどの感情が私を襲ったのです。

    大きくなってからだんだん「事実」というものを知り、
    「考える」こともできるようになった私ですが、
    あのとき感じた痛みはきっとずっと忘れないと思います。

    きっと今の私たちに必要なのは
    そういった「痛み」を感じること
    過ぎ去った時間を共有しあうこと、知ること

    それと現代をリンクさせながら、
    そういった「事実」を伝えていくことなんだと思います。

    実際現代においても戦争は終わっていないですから…。

    もちろん戦争自体無なることがいちばんですが、
    どうして戦争をしなければならなかったのか、
    その「背景」をも理解」しなくてはいけないな、と思っています。

                 (注)アンダーラインは柴田


最初にも書いたけど、
戦争体験をしていない人が、
戦争や平和の問題について、
今の時代の人たちと、どのように共有し
次の世代の人たちにどのように伝えていくのか。

とっても大切なテーマだ。

ひめゆり平和祈念資料館でも、
若いスタッフたちがこのことを真剣に考え始めているし、
模索しながら苦しんでもいる。

戦争を体験した人がまだお元気な間に、
確立していかなければならない
大きな課題だと思う。
その大テーマに、SKさんは高校生なりに
果敢に挑んでいる。

僕自身、SKさんから学ばせてもらった。
ありがとう。


       ◆     ◇     ◆     ◇

SKさんは最後に、自らの体験と決意を語っている。


    今までにひめゆり、原爆ドーム(資料館)、
    アウシュビッツ強制収容所を訪れたことがありますが、
    そのとき感じたことは、ずっと私の中に残っています。
    戦争を思うたびに戦争の恐ろしさ、無意味さ、
    自分の弱さが見えてきてなりません。

    日本は本当に平和ですよね。
    その平和に甘んじている自分も自分ですが、
    けれど少しでも自分のできることがあれば、できるなら、
    やりたいと思っています、
    思うだけじゃなくて実行しないと。。。


こんなに若い世代の人が、
これほどまで真摯に考えようとしていることは
ひめゆりのおばちゃんたちにとっても
大きな励ましだろうう。
再度、お礼をいいたい。
SKさん、ありがとう。

2006年11月21日

埼玉県のYAさんから

今週は、皆さんから寄せられているメッセージを
素直に紹介していきたい。

きょうは、埼玉県のYAさん(24)からのメッセージ。


    私は修学旅行で一度だけ
    沖縄を訪れた事があります。
    その時に、ガマの見学をする
    機会がありました。
    足元も見えないくらい真っ暗な中、
    一番奥までたどり着き
    全員が懐中電灯を消して
    ガイドの方のお話を聴きました。
    半世紀前と同じ暗闇の中、
    自分には想像もつかないほど
    辛い経験をされた沖縄の方達を想いました。
    涙が止まりませんでした。

    でも、そのガマの天井付近からは
    一筋の陽光が差し込んでいました。
    あの光がもし半世紀前にも見られていたのなら
    ここに居た人たちはその陽光を目に、
    何を想ったのか。
    希望を、勇気を、抱けていたら嬉しい。

    それから、沖縄戦のみではなく大東亜戦争についても
    自分なりに調べるようになりました。

    私も昨今のメディアでの戦争体験の取り上げ方に
    疑問を持ち続けていました。
    主観で話す司会者、発言に責任をもたないコメンテーター・・・ 
    番組自体が、取り上げている局の主観で構成されているのを感じ、
    とても嫌でした。

    どこまでも語り部に耳を傾け、
    その心を観ている人にそのまま届けたい、
    という柴田さんの姿勢に大変感銘をうけました。


            (注)アンダーラインは柴田

YAさん、ありがとう。

2006年11月22日

香川県の高校生AFさんから

今日は、香川県の高校生、AFさん(18)から届いたメッセージを紹介したい。


    Coccoの毎日新聞の連載から、この映画を知りました。
    監督さんのブログも拝読致しました。

    沖縄には中学のときの修学旅行で行き、
    とても好きな場所です。
    ひめゆりの祈念館にも行きました。
    資料をずっと下を向いて読んでいたために
    具合が悪くなり、
    残念ながら最後の部屋を見ることが
    できませんでした。
    もう一度、大学生になったら
    自分で行ってみたいと思います。

    沖縄やヒロシマなどの書籍は多くありますし、
    読むと心がしめつけられるくらい
    伝わってくるものがありますが、
    やはり生の体験者の声は、本当に、
    心に沁みてきます。
    修学旅行の時に、夜ホテルで
    ひめゆりの方からのお話を学年全員で
    お聴きしました。
    泣きながらそれでも私たちに
    伝えようと話してくださったこと、
    今でも本当に感謝しています。
    糸数壕にも行って、実際中を歩きました。

    憎しみや哀しみはいつまでも残すべきだとは
    思いませんが、
    想いは残していかなければならないものだと
    本当に強く感じました
    それを伝えていかなければならないのは、
    私たちなのだとも思います。
    日常の中では忘れてしまいがちな事たちも、
    心のどこかに常に置いておきたいです。


             アンダーラインは柴田

AFさん、ありがとう。

2006年11月23日

鹿児島県のAMさんから

きょうは、鹿児島県のAMさん(28)から届いたメッセージ。


    鹿児島には特攻隊員を奉った記念館がいくつかあり、
    私も何度か足を運んだこともありますが、
    訪れる度に悲しい気持ちになります・・・。

    そんなこともあり、今まで沖縄に行っても
    ひめゆりの塔には行ってみようと思ったことは
    ありませんでした。

    でも、Coccoが一生懸命ひめゆりや沖縄の戦争の話をしてくれて、
    涙が止まりませんでした。
    次、沖縄に訪れたときは必ずひめゆりの塔に行こうと決めました。
    ひめゆりについてもっと知りたいと思いました。

    この映画のこともCoccoのH.Pからの記事を読んで知りました。

    私たちのような戦争を知らない世代は、
    過去に目をそらさないで、もっと戦争のことを
    知るべきだと思いました。

    大好きな青い空と青い海がいつまでも続きますように・・・
    もっともっと平和な世界になりますように・・・
    戦争について少しでも理解できたらな・・・と思いました。


AMさん、ありがとう。
ひめゆりの塔を訪れることのできなかった
あなたのような人にこそ。
この映画をぜひ観て欲しい。

ひめゆりの人たちの
悲しいけれど、大きく包んでくれる心に
触れられると思うから。

「ひめゆりの風」があなたにも
吹くと思うから。

2006年11月24日

東京のMMさんから

きょうは、東京都のMMさん(31)から届いたメッセージ。


    初めまして。
    coccoのコラムからこちらに辿り着きました。

    沖縄が大好きで何度も足を運びながら、
    ひめゆりの塔は
    入り口のところまでしかいけてません。

    なんだか恐かったんです。
    広島の原爆資料館に修学旅行で訪れたとき、
    あまりの衝撃に気分が悪くなり、
    目をそむけながら、
    足を早めながら、
    ちゃんと自分の心で受け止めることが
    出来なかったことが
    トラウマになっているのかもしれません。

    平和のために私なんかが
    出来ることがあるのだろうか?

    私にできることは事実を受け止めること
    そして伝えようとしている声に耳をかたむけること
    そう素直に思えたから
    目をそらさずに向き合いたいと思いました。

    東中野で待ってます。
    たくさんの人にこの映画がとどきますように。


(注)アンダーラインは柴田


MMさん、ありがとう。
耳を傾ける、とても素晴らしいことだと思う。
ミミズクのように耳をすます。
語る人の心臓の音までも聞こえるぐらいに。
それだけで、多くの人が救われると思うのです。


2006年11月25日

兵庫のNMさんから

きょうは、兵庫県のNMさん(29)から届いたメッセージ。


    わたしは、今から8年ほど前、はじめて沖縄を旅行した時、
    ひめゆりの塔を訪れました。
    でも、本当は怖かったんです。
    わたしは、戦争物にものすごく弱く、ずっと目を逸らしてきました。
    それは、戦争の持つ、あまりにもの哀しみ、惨さ、恐怖を
    体全部で受けてしまうからです。

    小学校3年の時、初めて観た「裸足のゲン」。
    その衝撃に、何日も、何年経っても、
    例えば夜ベッドに就いた時、
    眠れない夜を幾度となく過ごしてきました。

    それからというもの、あらゆる戦争に関する物から
    目を逸らすようになりました。
    授業で戦争のことを習っても、あまり深く考えないようにしました。
    あんなに話題になった「シンドラーのリスト」も観れませんでした。

    でも、本当は解っていたんです。このままではいけないこと。

    湾岸戦争が起こった時、
    いくら考えないようにしていたといっても、哀しかった。
    昔話ではない戦争が、わたしの生きている同じ時に起きている。
    なんでだろう。そう思うと、哀しくて仕方なかった。

    戦争で受けた玉が足に入りっぱなしだった祖父は、
    毎年夏にやる「火垂るの墓」が始まると、
    決まってテレビを消しました。
    男の従兄弟に戦争の話をしたこともあったようですが、
    女であるわたしには一度もしたことがありませんでした。
    戦争に、家を奪われ、家族を奪われ、時間を奪われ。。。
    計り知れない哀しみがあったんだろうと思います。

    でも、わたしも、知らなくては、と思う。
    coccoが言ったみたいに、
    忘れたいことを話してくれるおばぁの話に
    耳を傾けることがどんなに大切か。

    きっと、もうすぐ聞けなくなる。
    失ってからじゃあ、遅いんだよ。

           (注)アンダーラインは柴田
    
NMさん、ありがとう。

「裸足のゲン」を観て何年も眠れない夜を過ごした・・・。
きっと、映画で描かれている世界と日常との間に横たわる
目に見えない深い溝に落ちないよう
必死だったのですね。

僕は、この作品を編集しているときが
たいへんでした。
毎晩、夜横になると、
自分が戦場に放り出されたように
イメージがつぎつぎと湧き上がり、
寝付いたあとも、夢に出てきました。

でも、僕らのひめゆりの映画は、
つらい事実も語られますが、
トンネルの向こうの出口は見えると思います。
映画を観てしばらくはまた眠れなくなるかもしれないけど、
その後は、自分自身の中で
しっとりと落ち着くものが生まれると思います。
恐怖というものはなくなり、
「ひめゆりの風」も感じられるようになり、
現実を見据えられるようになると
僕は信じています。
(そう信じないと、監督できないし・・・)


2006年11月27日

再び埼玉のYAさんから

11月21日にご紹介した埼玉県のYAさん(24)のメッセージ、
実は最後の部分が文字化けしていたため、
僕が省略して掲載しました。
そこに何が書いてあったのか、
YAさんからメールが届きました。

彼女の一番言いたいことはそこにあったということで
きょうは、そのYAさんからのメッセージとともに
きちんとご紹介します。


    掲載にあたり、わざわざご連絡を頂きまして
    ありがとうございます。

    先日こちらがお送りしたメッセージの
    最後の文章が文字化けしてしまっていますね・・・。
    すみませんでした。
    でも、最後の
    『最も悲惨な経験をした島だからこそ、
    沖縄から平和の心が弘まる事を信じています。』

    というのが、私の一番強く思っている気持ちです。

    先日、父に「ひめゆり」の話をしたところ、
    自分も観たい、と言っておりました。
    これからも友人・知人に「ひめゆり」の事を話し、
    沢山の人たちが「ひめゆり」を目にする事が出来る様に
    微力ながら応援させて頂きたいと思います。
    中野での上映を心待ちにしております。

    ご多忙とは存じますが、
    どうかお身体にはお気をつけ下さい。


ありがとう。
最後の文字化けの部分、趣旨よくわかりました。
きちんと確認しないで、ごめんなさい。

お父様も観ていただけるかもしれないのですね。
ありがとうございます。
ご友人にも声をかけていただけるなんて、
とてもうれしいです。

ところで、この作品は、ひたすら「語り」です。
普通のドラマや、テレビ・ドキュメンタリーとも
ぜんぜん違う手法です。
ですから、お父様やご友人に話をするときも
ドラマチックなものは期待しないように言ってくださいね。
でも、日本映画の歴史の中で、
これだけ語りに耳をかたむけた作品は
例がないと思います。

観ている方々の想像力を強く求めるという
この作品の作りは
きっとあなたなら共感していただけると、
あなたからのメッセージを読みながら思いました。

掲載させていただいた日、つまり11月21日は、
そんな願いをこめながら掲載させていただいたのですが、
先週からずっとあまりに忙しくて疲れきっており、
きちんとコメントもできないままでした。
ごめんなさい。

それでは、今後ともどうぞよろしくお願いします。

2006年11月28日

千葉県のHNさんから

きょうは、千葉県のHNさん(21)からのメッセージ。


    以前からCoccoを好きだったわたしは、
    彼女を通じて沖縄を愛するようになりました。
    そして、今年の10月に沖縄に行く機会を持つことが出来ました。
    本島に行くのは初めてでした。

    しかし、そこには
    今まで彼女を通して想い描いていた沖縄とは
    かけ離れた過去が刻まれていました。

    あの地を踏むには、まだわたしの足は幼く、脆く。
    全てを受け止めるには心が幼かったです。
    魂が揺さぶられるようなそんな感覚を起こしました。
    身体がすくみました。

    海が余りにも深く、
    太陽は目眩を起こすほど燦々としていて、
    大地は何処までも広がっていたから。
    どこまでも、いつまでも…
    そんな沖縄を想い描き続けていました。

    わたしは自分の
    現代に浸かり過ぎた幼稚な自分を
    恥ずかしいと感じました。
    涙が止まりませんでした。
    身体の震えも治まりませんでした。

    それでも、ひめゆりの風は
    わたしの涙に優しく触れてくれました。

    わたしたちはほとんど知りません。
    知る術すら社会は教えてはくれません。

    …でも、絶対に伝え紡いでいかなければならないと想います。
    過去から心が解放されることはないかもしれません。
    それでもわたしたちの心は、開放することは出来ます。
    心におばぁたちの痛みを受け入れる心は持てます。

    一度訪れただけではカケラすら
    触れることさえ許されないのかもしれません。
    それでも、わたしは触れ続けて生きたい…
    そう想います。

    少しでも多くの方が「沖縄」という地の過去を知れますように。

    此処から祈り続けさせて頂きます。


HMさん、ありがとう。
沖縄の、青い海と空というイメージと、
過去にあった出来事とのギャップ。

HNさんの心にも「ひめゆりの風」が吹き、
優しく包んでくれたときき、
うれしいです。


皆さんに質問です。 

この映画の撮影をしてくれたカメラマン4人の中で
もっとも若い川口慎一郎君(27)が言います。

「もしこの映画に携わらなかったら、
 ひめゆりのことは何も知らなかった。
 多くの若い人は、『ひめゆり』という言葉を
 聞いたことがないのではないか」
と。

その言葉に、僕は
とても衝撃を受けています。
本当なのだろうか?
「ひめゆり」という言葉を知らない人が
若い世代では主流なのだろうか?

皆さんのまわりはどうですか?

「ひめゆり」知らない?
 
   ※もちろん映画のことではなく
     ひめゆり学徒隊のことです・・・。


川口君によると、
沖縄で地上戦があったことすら
知らない人が若い世代では多いと言うけど、
それもどうですか?

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