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Coccoの「ありがとう ごめんなさい」 :ひめゆりの風 Coccoの風(6)

Coccoさんの書いた「想い事。」の文章は
次のように締め括られている。


     ありがとうね。
     おばぁたち、ありがとう。
     ごめんなさい。
     ありがとうございます。


とっても感動的なことばだ。
口に出して読むと、
心がしめつけられるような詩だ。

でも、
なぜ「ごめんなさい。」という
一句が入っているのか、
僕はこれまできちんと理解していなかった。
何に対してCoccoさんは「ごめんなさい」と
言っているのだろう?
ずっと疑問だった。



「ありがとう」の意味は文中にも記されている。


     “忘れたいこと”を
     話してくれてありがとう。
     “忘れちゃいけないこと”を
     話してくれてありがとう。


言い換えれば、
「勇気をもって語ってくれてありがとう」
「生きていてくれてありがとう」
「希望を与えてくれてありがとう」

生きる勇気と、共に生きる喜びの賛辞だろう。



では、「ごめんなさい」の意味は?


最初、僕が推測していたのは
「すぐに歌を届けられなくてごめんなさい」
とか
「まだきちんと生きるとはいえないこと
 ごめんなさい」
とか・・・。

うむむ、でも、しっくり来ない。
分かるようで、分からなかった。


なぜCoccoさんは「ごめんなさい」と書いたのだろう。
それが、少し分かるきっかけがあった。


おととい、沖縄に行ったときに、
「神人(カミンチュ)」という
神と対話するおばぁから
大事な言葉をもらってきた。
沖縄には、神人といって
巫女のような、
霊力が高く、神々と対話し
人々の悩みを解決する役割の女性が
たくさんいる。
神の霊が乗り移り
神の霊や祖霊と語り合う。
下北半島のイタコと似ているけど
イタコの多くが盲目だったりするのと違い、
沖縄の神人たちはごく普通の人で、
ごく普通に町や村に暮らしている。
僕は、1988年にNHKに入局し
一ヶ月後、24歳で沖縄放送局に赴任した。
那覇に着いて3日目に
偶然のことからある神人の一家と出会い
以後、家族のようにつきあい、
多くのことを教えてもらっている。
僕にとっては、親のような人だ。


今回の駆け足の旅では
神人のおばぁに直接は会う時間がなかったが
娘さんから、大切な言葉として、
つぎの詩のようなメッセージを聞かされたのだ。


     人間の魂の生きる道は
     「ありがとう」と
     「ごめんなさい」
     この二つしかない。


と。

「神人(カミンチュ)」といっても
本土にいる人にはなかなか正確には
イメージしにくいかもしれない。
神社にいるわけでもなく
寺にいるわけでもなく、
那覇の下町の古臭いアパートに暮らす
ごく普通のおばぁの言葉だ。
学校を出たわけでもなく、
女性ながらも建設現場で土方をしたり、
本土に出稼ぎに行ったりしながら
たくましく生きてきた人の言葉だ。


     人間の魂の生きる道には
     「ありがとう」と
     「ごめんなさい」
     この二つしかない。


これは、あくまで
「魂」のあり方についての教えである。
魂の道はどうあるべきかを語ったものだ。
だが、この神人の言葉をきいて、
Coccoさんの言葉の意味が
少し分かった気がする。


     ありがとうね。
     おばぁたち、ありがとう。
     ごめんなさい。
     ありがとうございます。


Coccoさんは、
何かに対して「ありがとう」と言ったのではなく、
明快な対象があって「ごめんなさい」と
言ったのではなかったのではないか。
これはCoccoさんの魂の叫びなんだ。

     「ありがとう、ありがとう、ごめんなさい、ありがとう」

ひめゆりのおばぁたちに対して
魂をささげた
完全なる愛の表現なのではないだろうか。

そうな風に思えるようになった。


もちろん、Coccoさんの真意は
僕にも分からない。
また、Coccoさんは僕の知っている神人のおばぁと
会ったことがない。
「人間の魂の道には、ありがとうと ごめんなさい 
この二つしかない」という
神人のおばぁの言葉は
沖縄の諺でもない。
沖縄の誰もが知っている慣用句でもない。
神人のおばぁの叫びのようなものである。

でも、どこか、Coccoさんの詩と
沖縄の神人のおばぁの祈りの言葉と
通じあっているように思えてならない。

     「ありがとう、ありがとう、ごめんなさい、ありがとう」



・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


さらに続けたい。

神人のおばぁは、こうも言った。


     今の世は、
     何に対して「ありがとう」と言い
     何に対して「ごめんなさい」と言うかが
     分からなくなっている。
     だから、おかしくなっている。


魂の道についての言葉だから、
くどいようだが、
日常生活に直接あてはめて考えるのは
ふさわしくないが、
今の世の中の動き、
日本を率いようというリーダーたちの行動を見ると
「ありがとう」「ごめんなさい」の使い方を誤るどころか、
そうした言葉を口にすることさえないように思う。
他者に「謝れ、詫びろ、反省しろ」というばかりで、
自ら「ごめんなさい」と言ったり、
「ありがとう」と心より感謝することが
彼らにあるのだろうか。

マスコミも何か事件が起こるとすぐ告発するばかりで、
「ありがとう」とか「ごめんなさい」という言葉が
テレビやラジオから聴こえることは
少なくなった。


ひるがえって僕らの日常生活を考えてみると
僕らも最近、「ありがとう」や「ごめんなさい」
という言葉を
あまり使わなくなったような気がする。
「すみません」
この一言で済ませてしまうことが多い。
「すみません」は便利な言葉で、
「ありがとう」のシチュエーションにも
「ごめんなさい」のシチュエーションにも
使えてしまう。
簡単に口から出せる言葉だ。
でも、
「ありがとう」というときの喜び、
「ごめんなさい」というときの勇気の感情が
薄れてきているのかもしれない。

そんなことも思った。


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皆さんから送られてきたメッセージを紹介したい。


埼玉県のNIさん(24)からのメッセージ。

     「愛するものが傷つき、悲しむのを見るのは
      とてもつらいです。
      かといって、自分に何かできるとも
      思っていませんでした。
      この映画を観ることは、
      とてもしんどい行為になると思います。
      でも、きっかけを与えられた私たちには、
      それをする義務があると思う。
      目をそらさずにしっかり観て、よく考えて、
      分からずやの大人たちにも説明できるように
      ならなければいけないと思うのです。
      たくさんの人がこの映画に触れることで、
      ひめゆりたちの魂が慰められ、
      Coccoと沖縄の抱える悲しみが和らぐことを
      祈っています。」

ありがとう。
鎮魂まで考えてくれているあなたに
心より感謝します。


佐賀県の高校生REさん(17)からのメッセージ。
 (REさん、ごめんなさい。お返事を書くとき、
  あなたの苗字を書き間違っていたと思う。
  人の名前を間違えるのは最もよくないと
  普段、とくに気をつけているのだけど、
  忙しくバタバタしていました。
  ごめんなさい。)

     「私は、特別Coccoという歌手が
      好きだったのではありませんが、
      Coccoが活動を開始して出したシングル
      『陽の照りながら雨の降る』を聞いて
      吃驚しました。
      Coccoの沖縄に対する想いが
      とても重かったからです。
      私も佐賀に生まれ住んでおり、
      佐賀のことは大好きですが、
      Coccoのように必死に地元を思うことは
      できません。
      そこでもっと沖縄のことを知ってみたい。
      沖縄に触れたい。
      そう思ったのです。
      自分の地元のこともよく知らずに
      何を言うのかと思われるかもしれませんが…。
      それでも、私には一番大切なことのように
      思えるのです。
      他の、どんなことよりも。
      本当は、沖縄に直接出向き、自分の目で
      防空壕や、いろいろなところを見て歩き、
      体で沖縄のことを感じたいと思ったのですが、
      何分学生であり、本分は勉学であるので…。
      機会ができれば必ず出向きたいと思います。」

ありがとう。
沖縄のことと同時に、
自分のふるさと佐賀県のことも
たとえ少しでも考えようとしているところが
素敵だと思った。
(少なくとも考えていない自分に気づいている)


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2006年11月14日 20:20に投稿されたエントリーのページです。

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