きょうは、兵庫県のNMさん(29)から届いたメッセージ。
わたしは、今から8年ほど前、はじめて沖縄を旅行した時、
ひめゆりの塔を訪れました。
でも、本当は怖かったんです。
わたしは、戦争物にものすごく弱く、ずっと目を逸らしてきました。
それは、戦争の持つ、あまりにもの哀しみ、惨さ、恐怖を
体全部で受けてしまうからです。
小学校3年の時、初めて観た「裸足のゲン」。
その衝撃に、何日も、何年経っても、
例えば夜ベッドに就いた時、
眠れない夜を幾度となく過ごしてきました。
それからというもの、あらゆる戦争に関する物から
目を逸らすようになりました。
授業で戦争のことを習っても、あまり深く考えないようにしました。
あんなに話題になった「シンドラーのリスト」も観れませんでした。
でも、本当は解っていたんです。このままではいけないこと。
湾岸戦争が起こった時、
いくら考えないようにしていたといっても、哀しかった。
昔話ではない戦争が、わたしの生きている同じ時に起きている。
なんでだろう。そう思うと、哀しくて仕方なかった。
戦争で受けた玉が足に入りっぱなしだった祖父は、
毎年夏にやる「火垂るの墓」が始まると、
決まってテレビを消しました。
男の従兄弟に戦争の話をしたこともあったようですが、
女であるわたしには一度もしたことがありませんでした。
戦争に、家を奪われ、家族を奪われ、時間を奪われ。。。
計り知れない哀しみがあったんだろうと思います。
でも、わたしも、知らなくては、と思う。
coccoが言ったみたいに、
忘れたいことを話してくれるおばぁの話に
耳を傾けることがどんなに大切か。
きっと、もうすぐ聞けなくなる。
失ってからじゃあ、遅いんだよ。
(注)アンダーラインは柴田
NMさん、ありがとう。
「裸足のゲン」を観て何年も眠れない夜を過ごした・・・。
きっと、映画で描かれている世界と日常との間に横たわる
目に見えない深い溝に落ちないよう
必死だったのですね。
僕は、この作品を編集しているときが
たいへんでした。
毎晩、夜横になると、
自分が戦場に放り出されたように
イメージがつぎつぎと湧き上がり、
寝付いたあとも、夢に出てきました。
でも、僕らのひめゆりの映画は、
つらい事実も語られますが、
トンネルの向こうの出口は見えると思います。
映画を観てしばらくはまた眠れなくなるかもしれないけど、
その後は、自分自身の中で
しっとりと落ち着くものが生まれると思います。
恐怖というものはなくなり、
「ひめゆりの風」も感じられるようになり、
現実を見据えられるようになると
僕は信じています。
(そう信じないと、監督できないし・・・)