さっき、静岡県の高校生から、素敵なメールが届いた。
18歳のSKさんからのメッセージだった。
Coccoさんのページから来たという。
突然なのですが、先日授業の世界史の時間に
「第一次世界大戦」のビデオを見ました。
もちろんフィクションではなく記録だったのですが、
やたらと戦闘場面や新兵器の紹介が多かったせいもあり、
私にはどうしても
『こんなことがあったんだなぁ』
ぐらいにしか
感じることができませんでした。
残念ながらクラスの何人かは眠っていたことからも、
多くの生徒が 「歴史の通過点」 程にしか
感じなかったのではないかと思います。
ビデオを見終わったときに友達とこんなことを話しました。
「私たちの子どもが第二次世界大戦のことや原子爆弾のことを、
今私たちが思ったとおりに
『そういうことがあったのか。
遠い昔のことだ』
ぐらいにしか思わなくなる日が来るんじゃないかな。
そうなったらとても恐いし、
だからといってどうやって伝えていいのか、それも難しいね…。」
と。
私たちの世代には、まだ祖父母に戦争体験者がいます。
実際にお話を聞くこともできます。
けれど戦争を体験された方は日本からどんどんいなくなっています。
残された私たちはどうやって伝えていけばいいのか、
どんなメッセージを発信すればいいのか、
私にはまだ分からないことだらけです。
SKさんの指摘はとても大切なものを孕んでいると思う。
戦争体験をしていない人が、
戦争や平和の問題について、
今の時代の人たちと、どのように共有し
次の世代の人たちにどのように伝えていくのか。
Skさんはさらに続けて言う。
今、戦争を題材にした映画やドラマなどが多くあり、
8月になると毎年のように放映されますよね。
私はいつもそれらを目にするたびに、
何か間違っているんじゃないかとどうしても思わずにはいられません。
何となく美化されたような人間たち、映画やドラマという構成されたお話。
感動している自分自身に安心して、
ただやみくもに戦争反対と言っているようなそんな気がしてならないのです…。
「泣けたよね~」
ってそれで本当にいいのかと思ってしまうのです。
戦闘場面をいくら見ても、それにやはり限界があります。
遠い国の紛争を見ても
「またか」
なんて思ってしまう人は
日本の社会にいます。
テレビを通してでさえも感覚が鈍くなってきている私たち。
確かに、遠い国の紛争のことを見て「またか」と思う人は多い。
それだけでなく、
沖縄のことも、基地のことも「またか」と思う人が多い。
11月11日のブログで僕は
新聞記者から教えてもらったこととして
沖縄についての記事が人々にどう読まれているか、
書きかけて放ったらかしになっている。
「紙面接触率」といって、
新聞を購読している人がどの記事を読んだか、
どれぐらい時間をかけて読んだかという
調査があるのだという。
「沖縄」についての記事は
どうなのか?
読者たちがどれぐらい時間をかけて読むのか?
答えは――――「きわめて低い」
という。
その全国紙の読者の大部分は、
見出しに「沖縄」とあると飛ばし読みにする。
沖縄の記事があったことすら気づかない読者が
多いのだという。
「またか・・・」
多くの人々の間に蔓延する「またか」という感覚。
それを払拭するのは並大抵の努力ではできない。
だって、多くのマスコミ人が、深く考えることもなく、
次から次へとニュース・ショーとして
たれ流しつづけているのだから。
感覚が麻痺してしまうのも当然だ。
だから「ひめゆり」はすごくすごく大事な映画なんだと私は思うのです。
「人が語り継ぐこと」をまさにやって頂いた「ひめゆり」は
人対人の対話になるんじゃないかと、
人と人との、時代と時代との、その橋渡しになるんじゃないかと思います。
多くの人に、特に若い人に見てもらいたいです!
と、その前に自身見たいです。。。
SKさんは、僕らのことを励ますことも忘れない。
すごい、大人だ!
いいよぉ、そんなお世辞を言わなくても。まだ観ていないんだから。
観たら、しっかり感想を書いてください。
そして良いと思ったら、友達にたくさんたくさん声をかけてください!
◆ ◇ ◆ ◇
SKさんは、小学生の頃、沖縄に家族で旅行をしたことがあるという。
ひめゆりの塔を訪れ、とても衝撃を受けたという。
実は、そんな体験を1週間前に僕にメールで送ってくれた。
僕はひょっとして衝撃が強すぎて悪い影響を与えていないか心配になり
SKさんにメールで尋ねた。
きょうのメッセージはSKさんからの返信だった。
『沖縄に旅行へ行った、という表現より、
私はひめゆりの塔へ行った、という表現のほうが当てはまるくらい、
私にとって衝撃的なのものでした。』
と、前に送ったと思いますが、
そのくらい私にとってはすごく大事なことでした。
自分と何年しか違わない少女達が、どうして…と、
幼いながらに苦しかったです。
小学校高学年にも満たない年齢でしたので、
理屈より先に感情が溢れてしまいました。
先入観というものがまるでないので、
直に痛いほどの感情が私を襲ったのです。
大きくなってからだんだん「事実」というものを知り、
「考える」こともできるようになった私ですが、
あのとき感じた痛みはきっとずっと忘れないと思います。
きっと今の私たちに必要なのは
そういった「痛み」を感じること、
過ぎ去った時間を共有しあうこと、知ること。
それと現代をリンクさせながら、
そういった「事実」を伝えていくことなんだと思います。
実際現代においても戦争は終わっていないですから…。
もちろん戦争自体無なることがいちばんですが、
どうして戦争をしなければならなかったのか、
その「背景」をも理解」しなくてはいけないな、と思っています。
(注)アンダーラインは柴田
最初にも書いたけど、
戦争体験をしていない人が、
戦争や平和の問題について、
今の時代の人たちと、どのように共有し
次の世代の人たちにどのように伝えていくのか。
とっても大切なテーマだ。
ひめゆり平和祈念資料館でも、
若いスタッフたちがこのことを真剣に考え始めているし、
模索しながら苦しんでもいる。
戦争を体験した人がまだお元気な間に、
確立していかなければならない
大きな課題だと思う。
その大テーマに、SKさんは高校生なりに
果敢に挑んでいる。
僕自身、SKさんから学ばせてもらった。
ありがとう。
◆ ◇ ◆ ◇
SKさんは最後に、自らの体験と決意を語っている。
今までにひめゆり、原爆ドーム(資料館)、
アウシュビッツ強制収容所を訪れたことがありますが、
そのとき感じたことは、ずっと私の中に残っています。
戦争を思うたびに戦争の恐ろしさ、無意味さ、
自分の弱さが見えてきてなりません。
日本は本当に平和ですよね。
その平和に甘んじている自分も自分ですが、
けれど少しでも自分のできることがあれば、できるなら、
やりたいと思っています、
思うだけじゃなくて実行しないと。。。
こんなに若い世代の人が、
これほどまで真摯に考えようとしていることは
ひめゆりのおばちゃんたちにとっても
大きな励ましだろうう。
再度、お礼をいいたい。
SKさん、ありがとう。