きょうから何回かにわたって、青森出身のかなえさんからの手紙をお伝えします。
手紙なのでタイトルは無いのだけれど、
後半になって彼女が語る大きなテーマを踏まえ
「もう一人のアンネ・フランク」と題しました。
この手紙から僕は多くのことを教えられました。
長くなるけど、全文をご紹介します。
きょうは、その第一回目―――。
こんにちは、始めまして。
ひめゆりの風、柴田さんの風、Coccoの風を受けて、
今、私の風として、手紙を書かせて頂きます。
28歳、東京でアルバイトをしながら、
絵本を作りたいなと日々のことから学んでいます。
私は“三沢基地”という米軍にとっての重要な基地の1つを持つ
青森県の南部に生まれました。
戦争に関してはずっと反対の立場で生きてきたけれど、
9.11以降、戦争に対する世界の意識の盛り上がりの中で、
“戦争反対”“平和を”という言葉さえ、どこか言葉ばかりが先走り、
一人歩きしているようで(自分の中でも、世の中でも。)
いつの間にか、それを自分の力で、“自分の言葉”として、
しっかり掲げられる自信がなくなってきていました。
ふと気づくと、私は戦争の事をあまりよく知らない。
戦争を知らなければ戦争を反対できないし、
平和を感じられなければ平和を求めることができないかもしれない。
イラク戦争の時も、アフガニスタンの戦争の時も、
もっともっと自分の言葉に自信が持ちたかったから、
何か知りたいと想うようになりました。
そんな中、2006年夏、私は沖縄へ行き、
ひめゆり平和祈念資料館を訪れました。
以前からいつか訪れよう・・・そう想っていましたが、
大きなきっかけを与えてくれたのはCocco。
彼女が沖縄戦のことに触れる事は以前からあって、
雑誌などで読み聞くごとに想いは強くなっていました。
2006年8月15日、
「たくさんの人が世界平和を願うその日に
自分の愛する場所をちゃんと愛したい。
皆がそれをしたら、それが世界平和だから」
そんな想いが込められたCoccoさんのライヴが
沖縄で行われました。
これを機に、私は今回ひめゆりを訪れることにしました。
8月15日、ちょうどこの日、ライヴでCoccoさんは、
柴田さんや資料館の皆さんもご存じの通り、
ひめゆり平和祈念資料館についての話をしてくれました。
訪れることを決めた時から、どこか心の中にありました。
柔な恐れ。平和ボケ。
よく戦争や平和(の活動)に興味がないという人から聞く
遠い国の出来事、遠い過去の出来事。
知らないほうが楽で、楽しく生きられる・・・
というような(私にとっては)ちょっと逃げ腰の気持ち。
知るのであれば中途半端に受け止めたり、
通り過ぎたくはなかったです。
でも受け止めるとなると、これからどんな、
どれだけ重たいものを引き受けるのかしら・・・
そんな力が自分にあるの?
そういうことに自信がなかったんです。
Coccoさんの話してくれた元ひめゆり学徒の皆さんの勇気、
私の見たCoccoさんの勇気。
それがすごく美しいと想ったから、
知ることで背負うものがあるのなら、
私もこの肩をさし出そう。
ライヴの後、そんな気持ちでした。
翌日、ひめゆりの搭を訪れました。
観光客の間をぬって平和祈念資料館へと
足を進めました。
夏の暑い日差しのその奥に静かに存在していた
ひめゆり平和祈念資料館。
館内に入ると穏やかな広いエントランスの空間に、
窓から自然光が心地よく届いていたように記憶しています。
展示室の展示品1つ1つ、
私はできるだけ丁寧に目を通していきました。
自分の中にちゃんと覚えておきたかったから。
そしてある展示室・・・
私が元ひめゆり学徒の方々の“ビデオでの語り”を
見ていた時です。
お話する声が別の場所から聞こえてきました。
見ると、そちらに老婦人がいらして、
病棟となった壕の説明をされているようでした。
「語ってくれる人がいる・・・」
(つづく)