昨日に引き続き、青森出身のかなえさんからのメッセージを紹介します。
(前回からつづく)
何年か前、もしかしたら、あれは、
ひめゆりの方だったのかもしれません。
私、自宅であるテレビを見ていて、
沖縄のある平和祈念資料館で
戦争体験を語ってくれる人がいることを知りました。
「戦争を若い人たちに体験して欲しくはない。
でも追体験はして欲しいのです」と。
その言葉は、何故だか、強く心に刻まれていました。
だから、語って下さる方を見つけた時、
「追体験しにきたんだよ」
そんな気持ちで近づいていきました。
その人は、広島から来たという目の不自由な2人の男性に
語っていらっしゃいました。
壕の中の様子・・・。
壕の中での生活や治療、仕事の様子。
お話を聞いて驚きました。
お話の内容以上に、むしろ自分の反応。
涙は出てきませんでした。
胸のあたりがひっかかれ、乱され、
ボロボロ落ちていくような、
そんな感覚を覚えました。
心が・・・泣いているということ?
私は戸惑いました。
お話の1つ1つ、
戦時下においての“日々の事”として語られる1つ1つが、
私にはどうしても上手く想像できないし、
ありえない事でした。
頭では上手く理解できない、
感情でも寄り添えない。
でも自分自身が“戦争だから”で飲み込みたくない事実。
小さな事なんです、傷口を消毒するとか、水を飲むとか・・・。
そこに“戦争だから”で許されてはいけない、
飲み込めないものがありました。
今まで私は教科書、映画、TV、本、
様々な方法で(受身ですが)
いくらかは戦争のことを学んでいました。
でも多くは、やはり児童、学生であるからとか、
公衆のメディアであるからとか色々で、
たぶん表現の調節もされ、
ショックを受けるような事実も
伝わる時にはオブラートに
包まれたものだったのだと感じています。
理解できる範囲で導かれていくので、
飲み込むこともできたし、
涙にもすんなりたどり着いてしまえました。
語られたお話は、
簡単には行けない場所にありました。
人間として受け入れたくないということ、
自分の体験からは想像を超えてしまっているということ、
そのハードルにぶつかったまま、
私はお話を、
“わからない痛み”や“わからない恐ろしさ”や
“わからない気持ち悪さ”として
自分に手繰り寄せ、
わからないなりに感じようとしました。
今まで遠目で“わかった”としていたものを、
手さぐりさせてもらっていたのだと想います。
(つづく)