« もう一人のアンネ・フランク(2)  | メイン | もう一人のアンネ・フランク(4)  »

もう一人のアンネ・フランク(3) 

引き続き、青森出身のかなえさんからのメッセージを紹介します。

(第3回)

    そして何より、語る彼女の“今”を見ては
    当時の“彼女”を頭の中で重ね、
    “そんな場所”にいた人が今、
    こんな平穏(とも言いきれはしませんが)な
    “私と同じ日々”の中に生きている・・・。
    そういう、1人の人物に対する2つの背景のギャップを
    埋められずにいました。

    自分と同じ“平和”を共有しているその人が、
    自分が決して共有することのない一つの“戦争”を
    抱えて生きているという目の前の事実。
    そしてそのギャップを埋められない自分がいるということ。

    私はいつの間にか、紛争の絶えない地域の人々を見る時も
    心のどこかで
    「そんな風に生まれたら戦争って
     あたり前になってしまうのかもしれないな・・・」
    というように、
    自分のいる所から線を引いていたんじゃないかな、
    そんな気がしたんです。

    あの時、目の前にいらした元ひめゆり学徒の方・・・
    1人の人間が、戦争がなければこうして暑い夏の日、
    静かな建物の中で整った服も着て、
    くつもはいて人と話をしている。
    のどが渇けば水だって飲める・・・。
    あたり前の事なんですけれど、そのあたり前を
    改めて感じていたのです。
    ずっと、バカみたいに情けないけれど、
    頭でわかったつもりになって、リアルに感じていなかったんです。

    戦争を知らない私達が
    メディアなどを通して心に刻んでいく多くの戦争には、
    いくらか予想できる感情の流れや訴えが組み込まれていて、
    そこに答えも用意されているものも多いです。
    でもその答えが事実とは限らない。
    そんな中ですんなり涙や悲しみにたどり着いてしまって、
    くり返すごとに、
    その“流れに慣れたこと”を “わかった”と勘違いして
    しまうかもしれません。

    体験者の方のお話の1つ1つを
    五感で感じとろうとした時、
    私は戸惑いました。
    でもその戸惑いの中で受けとめた感覚は、
    勘違い・・・よりは少し、真実に近いもので
    あったのではないかなと想います。

(つづく)

About

2006年12月16日 20:30に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「もう一人のアンネ・フランク(2) 」です。

次の投稿は「もう一人のアンネ・フランク(4) 」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。