いま東京に戻った。
きょう ―― いやもう昨日になってしまったが
月曜日は、ひめゆりの「資料委員会」、
つまり、ひめゆり学徒生存者の“学級委員会”の日だった。
この日のために僕は何日も徹夜で資料を準備し
朝着いたときから、もう眠くてたまらない。
40歳になる前は、
何日徹夜しても平気だったんだけど、
今は一晩完徹しただけでも、翌日はかなりこたえる。
僕がそう言うと、おばちゃんたちは
「70代と80代でも全然違うよ」
と口々に言う。
「80歳になると、しっかり歩いているようでも
どこか足腰がおぼつかない。
かーがんぬる あっちょんどー。
(まるで影が歩いているようだよ)
平衡感覚が麻痺して、
自分が歩いているんだか、影が歩いているんだか
よく分からないような感じよ」
一見元気そうに見えるおばちゃんたちだが
たとえばスカートを履くときに
何かに寄りかからないとふらつくし、
階段を歩くのが大変だという。
このところ忙しいのか、
表情に疲れの目立つ人もいる。
おばちゃんたちは「100歳までがんばる」と
言ってくれるけど
本当にいつまでもお元気でいて欲しいと
切に思う。
色んなことを話し合ったのだが、
Coccoさんの12月4日の「想い事。」も
みんなで読んだ。
いつもの通り、声に出して音読するのだ。
いきなり
一番うれしかったこと。
ひめゆりのおばぁ達に
Coccoのライブ映像を
観てもらえたこと
で始まるから、おばちゃんたち少し緊張するが、
今年しくじったこと。
いっぱい
のところで皆、大笑い。
それからは、
まるで可愛い孫娘の手紙を読むかのように
和気あいあいと、
ときには爆笑し、
ときには「なるほどねぇ」と相槌を打ちながら、
一節一節心に響かせながら、読み終えた。
「すばらしい表現力ね」
「このまま詩みたいさ」
と、おばちゃんたちは感動している。
最後に、
「やしがこっこい、
なんくるならんどー」
という一節をめぐって、
どんな意味なのか、皆で楽しい議論になる。
「やしが」は方言で「だけど」の意。
では、「こっこい」はどういう意味なのだろう?
「こっこい」は一般には意味のある言葉ではない。
相槌を打つことば。
拍子を取って、音の響きを楽しむ方言だ。
「やしがこっこい」は、敢えて訳せば
「だけど、どっこい」という感じかなぁ。
おばちゃんたちの中で
別の説が浮かび上がってきた。
「Coccoさんの名前は
『こっこい』から来ているのだろうか。
Coccoさんは、おばあさんから幼い時に
『こっこい、こっこい』と呼ばれていたのでは?」
ひめゆりの資料委員会は、こうして
大いに脱線を楽しんだ。
ちなみに、ひめゆりの方々は数年前に
Coccoさんの祖父、眞喜志康忠さんを招いて
講演会(勉強会)を行ったことがあるという。
眞喜志康忠さんは沖縄芝居の大スター。
若い頃は「芝居しい」と馬鹿にされながらも
苦労して努力を重ね、
沖縄の文化に新たな美の基準を築き上げた人だ。
貴族の流れを汲む首里方言とは異なった、
庶民の言葉としての沖縄共通語を確立し
沖縄芝居を、村芝居のレベルから芸術の域へと引き揚げた。
ひめゆりの“学級委員長”、本村つるさんは、
お兄さんが眞喜志康忠さんと小学校の同級生だったという。
本村つるさんは、眞喜志さんの苦労と活躍を
陰ら見守ってきたのだった。
その後、Coccoさんのファンの、
青森出身のKMさんから送られてきた長い手紙を
読み合わせる。
とてもよく考え、練られた
珠玉の言葉が綴られている。
おばちゃんたちも感動するし
僕自身がとても多くのことを教えられた。
KMさんの手紙はすごく長いので、一回では紹介しきれない。
数回に分けてになると思うけど
明日以降、きちんとご紹介させてください。