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2007年1月 アーカイブ

2007年1月 1日

お正月さん

添い寝をしていたら、次女が言った。
「お正月さんが降りてきた、
見えた、見えたよ、
くるくる舞いながら降りてきた」
「パパには見えないよ」
「大人には見えないんだよ」
そう言いながら、すやすや寝入っていった。
さっきまで姉妹喧嘩していたことも
忘れて寝入っていった。

この子が大きくなったときも
いつまでもいつまでも
平和でありますように。

2007年1月 3日

むすぶ時 ほどく時

正月は、時の区切り。
「忙しい、忙しい」という普段の僕の時間を
少しストップしたい。


古い本棚から20代の頃の愛読書を見つけ
つい読み入ってしまった。


    つい先ごろ、知人の奥さんがこぼしていた。
    小包が届いたので、丹念に紐をほどいていたら、
    娘が来て、お母さんいつまでかかっているのよ、といって、
    ハサミで紐を切って、たちどころに小包を開いてしまった。
    紐をほどけばまだ十分に使えるのに。もったいない、
    といったら、娘は
    紐をほどく時間の方が余程もったいない。
    紐はまた買えるけれど、
    時間は二度と戻らないという。
    理屈ではかなわない。
    十六歳の娘をもて余している、と嘆いていた―――。


    娘さんは、今刻々と過ぎる時間を惜しがり、
    それを他にふりむけようとした。


    今切った時間が、よりうまく他に生きるであろうか。


    お母さんは紐にこめられている時間と、
    今、紐をほどく行為の時間を重視した。


    結ぶ心とほどく心は
    二つではなくて、一つの心である。
    仏が仏に出逢うのである。
    あるいは、二つの出来事は時と共にしている。
    同時の世界にある。


    結びほどき、ほどき結ぶ。
    時はすこしも経過しない。


    結びほどき、ほどき結ぶ。
    そのとき、宇宙がみずから宇宙であることを示す。
    宇宙の自己表現なのである。

           ――岩田慶治「カミの人類学」――



20代前半で沖縄に行き、
映像の仕事を始めた頃を思い出した。


あの頃、ちょっとした取材に行くにも
僕は乗り合いバスを利用していた。
職場としてはタクシーや自家用車を利用することが許されていたが
おばぁたちに会いに行くのに、
NHKという職場の匂いを消したかった。
「東京風(とうきょうかぜ)」を落とし、
少しでも沖縄の時間間隔に合わせたかった。
だから、バスに揺られてゆっくり行く。


途中で色んな人たちが乗り降りするのを眺めるのも楽しい。
沖縄のバスの運転手は、
ラジオを聴きながらのんびり運転する人もいたし、
乗客が僕一人だけになると、
まるで昔からの友達のようにおしゃべりをしてくる。


あんな時間があったから、今の自分があるのだと思う。


時間もお金も、常識なら考えられないことに費やしたが、
「無駄遣い」などない。


今は、ひどいときは沖縄を飛行機で
日帰りしなくてはならないこともある。
一昨年は余りの忙しさに、
バイクを買って深夜ぶっ飛ばすときだけが
自分自身を取り戻せる瞬間というほどだった。
つらい。
スケジュールを表にしたりすると
こわくなる。
でも、「時」は線状=ラインに連なるばかりではない。


結ぶ「時」、ほどく「時」。
二つで一つの「時」の花。
刻々と過ぎ行く時間のなかで
その瞬間を見つけてみよう。


今年こそ、
初心に帰りたい。


2007年1月 5日

年末年始にいただいたメッセージから(1)

年末年始の間にいただいていた
メールや日記へのコメントから、
ピックアップして紹介します。


北海道小樽市のAKさん(30)。
(11月10日の日記で紹介)

ひめゆりの塔の前まで何度も足を運びながら
資料館には入れないということが続いていたが
去年10月、ようやく一歩を踏み出せた。

年賀状に、可愛らしい手作りの切り絵で作った
イノシシ君たちのバンドのイラストを送ってくれた。
コメントが添えられていた。


    映画「ひめゆり」が多くの人と
    出会う事を願っています。

    風を受けて、わずかですが
    舟が前へ進むことができました。
    自分の力で漕いで、
    進めそうな気がしています。


ありがとうございます。


ちなみに僕は、小学校6年の10月から卒業時まで
札幌で過ごした。
短い期間だったけど、北海道の風景は
脳裏に鮮やかに焼きついている。


小樽にも何度か行ったことがある。
30年も前だけど。
AKさんは小樽の冷たい冬をどんな風に過ごしているのだろう。
  (中山美穂主演の映画「Love Letter」も好きで
   小樽というとその風景も連想します)


とにかく、互いに頑張って生きていきましょう。

2007年1月 6日

年末年始にいただいたメッセージから(2)

年末年始にいただいたメッセージから。(その2)


沖縄に移住して紅型(びんがた)の修行をしている
鳥取出身のTNさん(25)。
(12月9日の日記で紹介)


あの頃、修行を続けるという強い決意の裏で、
実は、
本土出身の人間でありながら
紅型という沖縄伝統工芸にどう向き合うか
悩んでいた。


暮れに、ひとつの作品を完成させた。
突然の癌に倒れ闘病生活を送る親友への
祈りを込めてデザインした図柄。
これをきっかけに、大きな変化があったという。


    紅型の作品の方も…今回の作品を作って
    自分のしたいことが見えたような気がしたんです。
    やっていくと、分かってくるものなんですね…★


これからも迷いがあるだろうけど、
互いに初心を忘れずに頑張りましょう。


柴田、8日夜まで東京を離れ、パソコンなどを見れません。
  その間、日記もお休みになります。 どうぞよろしくお願いいたします。

2007年1月 8日

年末年始にいただいたメッセージから(3)

年末年始にいただいたメッセージから。(その3)

神奈川県の早紀さん(27)。
(11月9日の日記で紹介)


12月末に10年ぶりにひめゆりを訪れた。


    17歳のわたし、27歳のわたしの目で見たひめゆりは、
    違うものでした。
    17歳の時は同世代の女の子達がこんな目に合っていたなんて・・・
    想像を絶するばかりでした。
    27歳のわたしは、この起きた事実を受け止め、伝えていこうと思いました。
    自分に今出来ることを考えました。


早紀さんは、高校生時代に話をしてくれたひめゆりの宮城喜久子さんに
再会することができた。
沖縄から戻ってから、「繋がり」ということを考えるようになったという。


    「繋がり」という言葉が自然に出てきたのです。
    本当に沖縄へ行ってその直後に書いた詩でした。
    人と人とは繋がっていてそして、いつか大きなものになって
    この世界が変ってゆけると信じています。
    わたしひとりでは出来ない事でも、人が繋がり合えば、
    不可能な事も可能になると本当に感じました。


「生きる」ことは自分だけで生きるのではなく、
他者から「生かされている」ということ。
早紀さんは強くやさしくなったことだろう。

2007年1月 9日

年末年始にいただいたメッセージから(4)

年末年始にいただいたメッセージやコメントから。(その4)


青森出身のかなえさん。
「もう一人のアンネ・フランク」を送ってくれた方です。
彼女が12月29日の「富山県のJSさんへ」に寄せてくれた
コメントを抜粋して再録します。


    見る側の想像力を必要とするのって
    やっぱりずごく大事なことに思います。
    見る側の想像力に任せると伝わることは計りにくいけれど、
    たとえば日常生活で扉を開けて建物に入るとき
    後ろに誰かいないかな…(お年寄りとか乳母車を押したお母さんとか)って、
    考えられる小さな想像力こそ
    平和にとって基本的で大切な力と思います。

    小さな想像力も働かせていろんな感じ方で受け止めたことを
    人と話し合ったりできれば新しい想像力も広がるし
    等身大の自分の想像力で向き合える映画であれば、
    一度ではなく一年後、二年後にまた見て気づくことも多いと思います。
    そのときの自分の想像力が何かを見つけるということだから。
 

この映画、「一年上映して終わり」にならないようにしたいと
ずっと思っていた。
そんな僕らの思いに、
嬉しい励ましの言葉をありがとう。

2007年1月10日

予告編のインタビュアー募集

映画の予告編をこれから製作します。


予告編の冒頭で、
「ひめゆり知っていますか?」という
街頭インタビューを入れたいと思っています。
11月28日の日記で書いたとおり、
僕はこの問題にとても興味があります。


そこで・・・、
ボランティアで手伝ってくれる方を募集します。
インタビュアーをやりたい人いませんか?


1月12日(金)の午後に
東京・原宿・渋谷近辺で行う予定です。
「手伝ってみよう」「楽しんでみよう」という方は
以下までメールをください。

himeyuri@asia-documentary.com


どうぞよろしくお願いします。

ポスターのデザイン固まる

映画のポスターのデザイン・イメージが固まりました。




まだラフなので拡大はできませんが、こんな感じです。

デザイナーの市川千鶴子さんが「風」にこだわって作り上げたグラフィック。
市川さんの言葉を再録します。


    私が気になっているのは、監督がブログで使っていた
    「ひめゆりの風 Coccoの風」の「風」という言葉。

    ひめゆりの方々だけでなく
    沖縄の大地と空と海も戦争の証言者ではないか。
    海岸の岩の間を、皆の想いのこもったが、
    今も吹いているのではないか。

    Coccoの言う「スカートの裾にふく風=ひめゆりの風」だとしたら
    その風はとてもやさしい生きる人を励ますようななのではないか。
    風が表現できるといいな、と考えています。

    あと、沖縄の空や海は特別の色なので、
    その鮮やかさを出したいです。


画面の中の少女は、現代の少女でもあり、過去の少女でもあり、
それが重なり合う姿としてイメージを作りました。
映画の中でも1カット登場します。


「『忘れたいこと』を話してくれてありがとう」
この言葉は、Coccoさんの『想い事。』にあった言葉です。
また、皆さんから寄せられたたくさんのメッセージにも
同じような言葉がありました。
若い世代から、ひめゆりのおばちゃんたちに対しての
もっとも美しい、優しい言葉だと思います。


皆さんのおかげで、ようやく上映に向けて
少しずつ準備が整いつつあります。
本当にありがとうございます。


今後、さまざまな調整を経て、
チラシの第一刷が2月初旬に上がる予定です。


チラシを配ってくださる方、
「こういう場所に置けば皆が興味を持ってもらえるのではないか」というアイデアのある方、
もしいらしたら、どうかご連絡ください。
よろしくお願いします。

2007年1月11日

ご応募ありがとうございました

映画「ひめゆり」予告編製作のためのインタビュアーのお願い、
ご応募をいただき、ありがとうございました。

神奈川県の早紀さんにお願いすることになりました。
お会いしたことないけれど、
生命力あふれるメッセージをこれまで送ってくださっていたので
大丈夫でしょう。

インタビューって、どういう目線で質問するかによって
帰ってくる答えが違ってきます。
僕のような40をすぎたおじさんが街角で訊いたのでは
若い人にとっての等身大の目線にならないと思い
皆さんに呼びかけた次第でした。

ありがとうございました。

2007年1月12日

街頭インタ顛末記

17年ぶりだった。
僕が最後に街角インタビューをしたのが1990年だったから、
本当に久しぶりにこんな撮影をした。
SKさん、すなわち早紀さんが来てくれて良かった。
手本を示そうと僕が若い高校生たちに声をかけても
皆、怖がって逃げる、逃げる。
早紀さんが言う、「柴田さん、それじゃ変な人にしか見えません」
やはり40過ぎのおじさんでは街頭インタビューは無理だった!


原宿駅で14:30に待ち合わせ。
SKさん、川口カメラマン、そして
岩田三四郎君という28歳の若手ディレクターも手伝いに来てくれた。
岩田君は3年前にひめゆり資料館の第二展示室の映像編集を手伝ってくれた人で
今は中国政府から奨学金をもらって北京映画学院に留学中。
たまたま一時帰国したところを昨晩僕につかまってしまった。


早紀さんは、たぶん、ものすごく緊張して来たのだろう。
最初は表情も硬く、
前の晩あまり眠れなかった様子だった。


それにしてもSKさんは勇気がある。
インタビューやったことないのに、次々と声をかけてくれる。
断られてもヘコタレナイ。
やりながら、だんだん調子が出てきた。


渋谷では、若い人たちの警戒心が強くて
8割方は逃げられてしまったけど、
原宿では比較的多くの人たちがインタビューに応じてくれた。


(早紀)「すみません、インタビューに協力してください。
    ひめゆりって知っていますか?」」
(ほとんどの若い人)「知らない」
(早紀)「ぜんぜん聞いたことないですか?」


若い人の中には、しばらくしてから、
「あ、ひめゆりの塔のひめゆり?」
と答える人もいる。


(早紀)「そうです。どんなイメージがありますか?」


ここまで来ると、答えは千差万別。
(例1)「沖縄の、何か手伝った人でしょう?」
(例2)「花の名前?」
(例3)「悲しい」
(例4)「サークル?」
(例5)「お城のような・・・・」(意味不明)


(早紀)「学校では習いませんでしたか?」
(ほとんどの人)「習わない」


(早紀)「沖縄で戦争あったの知ってますか?」
(ほとんどの人)「知ってます」
(早紀)「どう思いますか?」
(例1)「うーん(無言)」
(例2)「あっちの人に聞いてください」
(例3)「関係ない」


(早紀)「今自分たちが戦争に巻き込まれたらって考えることありますか」
(ほとんどの人)「いや、それはないです」


夜、撮影が終ってラーメン屋へ。
僕と川口君が、おしぼりで顔を拭くと、
早紀さん、にこにこ笑う。
「二人とも顔を拭くんですね」
そうなんです、僕ら、この仕事の人間は
要は土方作業員なんです・・・・。
徹夜が続いて風呂に何日も入らないことも
ごく日常なので・・・・。


というような訳で、
無事、撮影は終った。
ひめゆりの名は知っていても
何を意味するかを知っている人には
ほとんど出会わなかった。


でも、これからこの映画を上映していきながら
一人でも多くの人たちに知ってもらおう。
そういうファイトが沸いてきた。


早紀さんは「当たって砕けろ」という思いで来たという。
大丈夫、砕けてなんかいない。
あなたの粘り強さから、僕も大きなエネルギーをもらった。
質問もしっかりしていた。
本当に、ありがとうございました。


予告編、2月初旬には編集が上がるはずです。
完成したら、ホームページ上でも公開します。
乞うご期待を。

2007年1月13日

イニシャル表記と実名表記について

これまで、お寄せいただいたメッセージを
「監督日記」に掲載するとき、
基本的にはイニシャル表記にしてきました。


なぜかというと、
ネットの世界では、誰が読むか分からない、
中には悪質な人がいるかもしれません。
特に怖いのが、政治団体系・右翼系の人からの攻撃。
この映画は政治的にはまったく中立だけど、
戦争と平和のことを扱うだけでけしからんという
考えを持つ人も世の中にはいます。
嫌がらせのメールが行くと嫌でしょう?


これまでは直接お会いする機会があり、
この人ならどんな言論にさらされても大丈夫と判断した人
(僕のこれまでの友人も含む)は
実名表記をしました。


ただ、僕の少し考え方も少しずつ変わってきています。


このブログの場を介して、
これから多くの人たちが繋がっていくためには
イニシャル表記だけというのもどうかな・・・と。
若い皆さんは、僕が思っている以上に
しっかりして、強いんだということも
分かってきました。


そこで、神奈川県のSKさんは、ご本人の希望で
「早紀」という本名表記に変更しました。
姓名までは躊躇されるというので
名だけを表記しています。


名前表記のことで、もしご希望のある方がいれば
おっしゃってください。
過去に遡って訂正することもできるので、
遠慮なく言ってください。
ただ、ニックネームは無しで、
基本的には、本名かイニシャルかにさせてください。


こうは書いたものの、
僕自身がネットの世界をあまり知らないし、
ブログも初めてなので、
本当にこれで良いのか、判断しかねているところもあります。
今後、また方針変更するかもしれませんが、
どうぞご理解ください。

2007年1月14日

インタビュアーになった早紀さんより

街頭インタビューをやってくれた早紀さんから
感想が送られてきました。

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柴田監督へ。

昨日はありがとうございました。
わたしなんかのド素人にしては、
「メディアの世界」っていうのを体験でき、
また自分の度胸にもまたびっくりする限りでした。
監督さんは想像しているよりもお優しい方で、そしておちゃめだなぁって
勝手に思ってしまいました。


そして、何気なくいつも観ているテレビ、映画などの裏話は(綺麗な?)
よく観る事だけど、裏ではこんな苦労、時間をかけているだなんて
やっぱり想像は出来ないものですね。
インタビューひとつ撮るにしてもあんなに時間がかかるんですから
テレビの大規模なインタビューなんて果てしないことですね。
何気なく観ているけど製作者側の苦労を少しはわかった気がします。


中学生の時に1回インタビューを受けた事があります。
山田かまちという17歳で亡くなって、死後彼の書いた詩、絵などが見つかり、
それで群馬の高崎に美術館が建ったくらいになりました。
山田かまちがわたしの原点の人です。
巡回展などしていて、その個展に行った時に
生放送でインタビューをしてくださいって言われてやったことがあります。
でもCMあけに君たちにインタビューするから自然な感じで
振り向いてからとか打ち合わせしてからインタビューを受けた事を思い出しました。


監督ブログ読ませていただきました。
わたしとしては何も問題はありません。
ひとつは前の日にはよく眠れました(笑)


昨日は本当にいい体験ができましたし、
何よりも本当に少しですが、
映画が作られるまでの監督含め、スタッフの皆さんの熱意、
ご苦労などを感じることが出来た事、
これからも何かわたしにお手伝いが出来ることがあればさせていただきます。


「当たって砕けろ!」精神って本当にすごいパワーがうまれますね。
自分で思っている以上にその精神のパワーが出ました。


実は人混みが大嫌いなわたしでしたが、
昨日はそれを感じないくらいに集中し、取り組めました。
今日、朝起きたら
やっぱり歩き回っていただけのことはあって疲れが出てきましたが、
それはとても心地いい疲れでした。


予告編楽しみにしています。


早紀より。


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ちなみに、早紀さんは詩を書く人で
自分のブログに自作の詩や折々の思いを掲載しています。

http://ameblo.jp/saki-lotta/


2007年1月16日

ひめゆり 本村つるさんから

連日激務が続いている。
裏方で見えにくいのだが、
プロデューサーの大兼久(おおがねく・沖縄出身)も
一人でも多くの方々に観てもらおうと
寝る時間もなく全力投球中だ。
ボランティアで協力してくださる方々が何人かいて
本当に助かっている。


そんなところへ、ひめゆり学徒の生存者、
本村つるさんから、この映画に寄せてメッセージが届いた。
前に、「ひめゆり学徒生存者の“学級委員長”のような人」とご紹介した方だ。


その一部を紹介させていただきたい。


    「戦後、ひめゆりを題材に小説や映画が数多く世の中に出ましたが、
     ほとんどがフィクションであり、
     私たちはそれらが出る度に落胆し憤慨しました。
     この映画は、生き残った者の真実の叫びであり、
     亡くなった友への心の奥底からの鎮魂の思いを綴ったものです。
     生存者はほとんどが80歳を越えました。
     いつかは消えてなくなります。
     でも何年たってもこの映画は、ひめゆりの記憶を
     後世に確かに語り継ぐ大事な財産になるだろうと、確信しています。」
                   (ひめゆり学徒生存者・本村つる)


原稿用紙7枚におよぶメッセージを読ませていただき、
この映画がひめゆりの戦後の歩みの中で
どういう位置にあるのかを改めて理解した。


戦後、長く語れない日々がつづいたこと。
資料館建設を機会に、互いの戦争体験を知るように
なっていったこと。
全貌を語るには2時間では足りないこと。
映画が完成した今、ひめゆりの皆さんが
ひそかに願い始めた「超長編」の作成・・・。


僕も決意を新たにした。
この映画は未来へのひとつのプロセスにすぎず、
これで終わりではないことを。


2007年1月19日

明日から沖縄へ

明日から沖縄に行ってきます。
火曜日まで。
いい出会いがあるといいなぁ。
もっと繋がって行くといいなぁ。

2007年1月24日

桜坂劇場の上映詳細

沖縄から戻りました。


速報。
那覇・桜坂劇場での上映の詳細が決まりました。

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■沖縄・桜坂劇場での上映
3月24日(土)~4月6日(金)
連日 13:10/16:00/19:00
前売券1200円 
当日料金 一般1600円 大学1300円 シニア1100円 会員&小中高生1000円


 ※チラシをお持ちになった中・高・大学生に限り、2名以上で、お一人様500円でご入場出来ます。
   (桜坂劇場の初めての試み、1コイン料金。
    「友達と一緒に観て、一緒に語り合おう」という願いを込めて
    沖縄県内の若い人たちが見やすい料金設定にしています)


■前夜祭 3/23(金)「ひめゆり」特別先行上映会開催
 ※3月23日は、1945年にひめゆり学徒隊が動員された日です
 開場18:00 開演18:30  前売1500円 当日1800円
 ●ビデオ「ひめゆりの戦後」(特別編集版)上映(30分)
 ●柴田昌平監督と元ひめゆり学徒隊の方によるトークショー(45分)
 ●「ひめゆり」先行特別上映(130分)
 *時間は目安です。トークショーの後に15分程度休憩を挟みます。


■しーぶん(おまけ)トークショー
 3/24(土)・3/31(土)、13:10の回の上映終了後(15:30頃スタート)
 柴田昌平と真喜屋力支配人とのトーク
 ※この日の上映にご入場の方は、半券の呈示でご覧になれます。


■「ひめゆり」パネル展
 3/19(月)~4/6(金) 劇場内で開催

●前売券は、桜坂劇場窓口、チケットぴあ、沖縄県内ファミリーマート各店で2月10日発売開始。

2007年1月25日

うない

琉球新報発行の生活マガジン「うない」に
Coccoさんのインタビューが掲載されていることは
映画「ひめゆり」のHPの新着情報でご紹介している。


だけど、ほとんどの人が
この冊子を読めないでいると思う。
沖縄在住のTNさんですら
琉球新報を購読しているにもかかわらず
まだ入手できていないという。


そこで、著作権の関係で全文引用は控えるけど、
「うない」の中の、映画「ひめゆり」についての部分のみを
皆さんにお伝えしたい。


--------(琉球新報「うない」2007年1,2月号より一部抜粋)---------------------------

――沖縄でのライブは、演奏も素晴らしくて、とても印象的でしたが、MC(曲の間の語り)で、「ゴミゼロ」のことや、ひめゆりの塔に行ってCoccoさん自身が思ったことをしっかりと語っていたのも非常に印象的でした。
「でもね、沖縄のライブの直前だけ、すごく体調が悪くなったの。それまでとても充実したツアーをやっていて、どんどん体調がよくなって声がどんどん出ていたんだけど。沖縄のコンサートの前日から体がとても重くなって、リハーサルでも全然声が出ないし、涙が出てきて。なんか、すごく意識ははっきりしてるんだけど、体が自分じゃないみたいな感じで、一体なんでなんだろう?って思っていて。だけど、いざ始まってステージに出たら、とても速く走れて、声もすごく出て、びっくりした。なんか、すごい不思議だった。沖縄でやるっていうのは自分の中で想像以上に重かったんだと思った。
 それで、コンサートの前にすごく久しぶりにひめゆりの塔へ行ったから、ステージでひめゆりの話をしたけど、その時に、すごい風が吹いて。その風がスカートの中でめぐって舞い上がっていったの。そのときに、『ああ、だからあんなに重かったんだ』と思った。何か、この浄化のためだったんじゃないかっていうことを感じた。
 そうしたら、その後に縁があって『ひめゆり』という13年かけて撮り続けたっていう、ドキュメンタリー映画のコメントを書いて欲しいっていう依頼が来て。それを、今、連載している毎日新聞のコラムで書いたら、そのことでまた人と人が出会ったり、どんどん繋がっている感じがして・・・・・・。だから、そうやって、結局、全部が繋がっていったから。あの時のライブはほんとうに貴重な体験をさせてもらったんだと思う」
「『ひめゆり』のドキュメンタリー映画を見ても思ったんだけど、とんでもなく大変な思いをして生き残ったのに、おばあたちは『生き残ってしまった』と思っているのね。だから、そのおばあたちが生きている間に、一瞬でもいいから『生き残ってよかった』『勇気を出して証言してよかった』と思ってほしい。自分たちが生き残ったから、子供たちも生まれて、現在があって、こういう結果がちゃんと生まれたっていうことを何かの形で見せたい。そのために、全国の一人でも多くの人に、この事実を知ってほしい。
 それは、『ひめゆり』の映画を一人でも多くの人に観てもらうことだと思うし、そして、歌を歌っている自分にできることは、おばあたちに喜んでもらえるような歌を、たくさんの人に届くように歌うことだと思っている」
(インタビュー 長嶺陽子)


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「うない」は2ヶ月に1度、偶数月月末の発行。
琉球新報の購読家庭に販売店から届けている
A5版オールカラーの「生活マガジン」。

このインタビュー記事を読んで、
Coccoさんが今夏、沖縄で歌ったことの重みと喜びが
とてもよく理解できた。
彼女が生きていくときの
すごく前向きなエネルギーも感じた。
ぜひ以下に問い合わせて、全文を読んでみることをお勧めします。

冊子「うない」についての問合せは
琉球新報社販売局販売企画部
電話: 098-865-5111(代)


2007年1月26日

再び千葉県のHNさんから

愚痴をこぼすようで恥ずかしいが、
余りに忙しくて寝る時間もなく、
ブログへの書き込みも途絶えがち。
そんな中でも、多くの方々からメッセージをいただき
とても心動かされています。


これからしばらく、
最近いただいたメッセージを紹介していきます。


まずは、千葉県のHNさん(21)からのお便り。
以前いただいたメッセージは、11月28日のブログに
掲載させていただきました。


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    わたしは、現在心の病気と闘っています。
    実際、今のわたしの中からは「生きたい!」という
    強い想いはありません。
    Coccoに出逢い「もう少し頑張ってみよう」と
    力をもらっている状況です。


    以前募集していた街頭インタビュアー、
    本当は挑戦してみようかと迷いました。
    でもきっとそれは、今のわたしにとっては
    そびえるほどの高いハードルに変わりはなく。
    それにインタビュアーなら、
    きちんとひめゆりの歴史についてや
    沖縄の人の想い・・・他人の感覚、意見など
    きちんと受け止められないと勤まらないと思い
    自粛しました。


    なにより「生きること」「死ぬこと」とは何なのか・・・
    それをまだ理解出来ていないわたしが
    他者にたいして「ひめゆり」とは何か?と
    訊ねる事は失礼だと想い、断念致しました。


    こんなに素晴らしい作品に携さわれなかったこと、
    将来のわたしはきっと後悔することと想います(笑
    でも、これが今のわたしに出来るすべてであり、想いです。
    この想いが監督にもスタッフさんにも、作品にも・・・
    もちろんおばぁたちにも少しでも伝わってくれればと
    願っています。


    お話が変わりますが・・・
    ポスターのデザイン、とても心惹かれました。
    すべてを包むような、許してくれるような沖縄の風を感じたからです。
    Coccoの感じた風、柴田監督の感じた風、
    この作品に携わった人全てが感じた風。
    そのすべてが、此処にあるのですね。
    そしてポスターに書かれている一文。

 
      「忘れたいこと」を話してくれてありがとう


    なぜがこのポスターを見たとき、涙が止まりませんでした。
    悲しいわけでも、切ないわけでもなく・・・余りにも優し過ぎて。


    「忘れたいこと」を話してくれた、おばぁたちに
    伝えきれない感謝の想いでいっぱいです。
    心から溢れる「ありがとう」と「ごめんなさい」を伝えたいです。


    前夜祭の3/23「ひめゆり」特別先行上映会に
    出来る事なら参加したいのですが、
    金銭的に残念ながら行けそうにはありません(笑;
    出来る事なら、沖縄の土地でこの作品を見たかったです。


2007年1月27日

埼玉県のTSさんから

きょうは埼玉県のTSさん(27)からのメッセージです。


    私は今、27歳ですが、10代の頃から、
    あまり自分でも理由は分からないのですが、
    広島そして長崎について強い想いがありました。


    といっても、周りに被爆者がいるわけでも、
    広島や長崎に親戚がいるわけでもない私に
    できることといえば、
    本を読み写真集やドキュメントを見ることだけでした。
    それでも、体験者ではない自分の中に
    原爆の記憶が生まれた気がした昨夏、
    ひとり広島を訪れました。

    いつの頃からか、
    広島や長崎について触れると
    その先に沖縄を考えずにはいられなくなりました。


    広島や長崎の延長線にあっても、
    明らかに沖縄は遠かったです。
    ヤマトの人間という負い目なのかもしれません。
    広島や長崎のように、
    なんの罪もない被害者という側から
    見ることができないです。


    でもきっと、あまり時を
    待つこともできなくなるんですね。
    この間ある新聞のコラムに
    こんなことが書いてありました。


    ある国では、人の死には二通りあるそうです。
    一つは身体的な死。
    もう一つは、その人を知っているひとが絶えたとき。
    人の記憶から消えたとき、その人は本当に死ぬそうです。


    私達にはまだ、事実を残すチャンスがあるんですね。
    ひめゆりを含む沖縄戦に
    ウチナーの人と同じ想いでいることはできないかもしれない。
    後ろめたいままかもしれない。
    それでも叶うなら、
    私に持てる限りの記憶を与えてほしいと思います。


    その一歩が東京での上映になりますよう。
    私の想いだけでごめんなさい。
    名も知らない人たちが繋がりますように。

2007年1月28日

兵庫県のHFさんから

兵庫県のHFさん(20)からのメッセージです。


    母が沖縄生まれで、私自身も沖縄で生まれた事もあり、
    沖縄への関心は、以前から高かったです。
    でも、それでもひめゆりの塔へは行ったことがありませんでした。
    何度か沖縄へは行き、一般に観光地と呼ばれる場所へは行きました。
    でも、ひめゆりの塔へは一度も中へ入ったことはありません。
    それは、恐いと思ったからです。
    授業やTV、映画などで見る戦争でもとても恐いのに、
    人がたくさんなくなった場所へは、どうしても行く事ができませんでした。


    でも最近になってようやく戦争映画なども
    目を反らさずに見る事が出来るようになりました。
    自分が歳を重ね、理解できる事が増えたのも
    その原因のひとつだと思います。
    でもそれ以上に、その事実を知らない自分を情けなく思ったからです。


    これまでにも何度か足を運んでいる土地。沖縄。
    私は、勝手に沖縄の事を故郷だと思っていて
    (生まれたとはいえ殆ど沖縄には住んでいないのです)、
    行く度に「観光客とは違う!」と思っていました。
    でも、そのくせに沖縄のことをほとんど知らない自分を情けなく思います。


    Coccoが語る沖縄。
    ひめゆりのこと、海のこと、基地のこと・・・
    どれ一つとして、私はろくに知らないのです。
    全部が、ニュースの中、教科書の中のことだと漠然と思っていたのです。


    私ひとりに何かが出来る、なんて事は思わないけど、
    知ることは出来ると思います。


    過去や、今現在何があって、どういう人たちが頑張っているのか。
    なにより私は、知りたいと思いました。


    沖縄のライブでCoccoがひめゆりの事を話してくれたのも聞きました。
    今度、沖縄を訪れたときは、私も絶対にひめゆりにも行こうと思います。


    話は変わるのですが、私は今、専門学校で働いています。
    それで、チラシの配布に協力したいと思ったのです。
    これは私個人が思っているだけで、まだ学校側には話していないし、
    置いてもらえるかわからないのですが、
    いくらかでもチラシを送って頂けたら、
    学校に置いてもらえるようにお願いしてみようと思います。
    若い世代の人たちに、一人でも多くの人に知ってもらえるように、
    私も何か力になりたいです。


    Coccoのコラムが掲載されてから随分経ちました。
    監督さんのブログや、他の方の言葉を見ていて
    どうしても私の思いをお伝えしたくなりました。
    支離滅裂だし、自分でもうまくいえないのですが、
    今の私がまず出来る事は、知ることだと思います。


    ひとつずつでも、何か出来る事から始めたいと思います。

2007年1月29日

神奈川県のYKさんから

神奈川県のYKさん(34)からのメッセージです。


    私はひめゆりを始めとした女子学徒隊に強い関心を持ち、
    沖縄に何度も行っています。    
    きっかけは、5年前の7月に
    友人と初めて沖縄旅行した時、
    旅行の最終日にひめゆり平和祈念資料館を訪れた事です。


    私にとって沖縄は、綺麗な海と空、サトウキビ畑、
    独特の琉球文化、料理etc・・・とても素敵な所だと思ってました。


    資料館を訪れるまでは・・・。


    ひめゆりの塔にお参り、献花し、資料館に入って
    今までの沖縄のイメージが一掃されてしまいました。


    沢山の女学生達の遺影、どのように亡くなったのか・・・
    今まで何も知らなくてごめんなさい、と思わずにいられませんでした。
    しばらく夜も眠れないくらい、
    ひめゆりの女学生達の事が忘れられず、
    と同時に女子学徒隊達の事を知りたい!
    と言う気持ちが強くなりました。


    ひめゆり学徒隊だった宮良ルリさん、宮城喜久子さん、
    伊波園子さん、引率教師だった仲宗根政善先生etc・・・の
    著書やインターネットでの検索。
    2年程自分なりに知識を得たと思い、
    去年の8月に再び沖縄を訪れ
    平和ガイドさんの案内でひめゆりに関わる戦跡巡りをしました。


    そしてお会いしたかった宮良ルリさんに
    あの6月18日の第三外科壕の悲劇を
    直接お聴きする事が出来ました。


    宮良さんはお話を終えると、
    「有難うございました」と。
    お礼を言わなくてはならないのは私達の方なのに!
    ご自分の辛い体験をお話して下さる語り部の方々には
    本当に感謝の気持ちで一杯です。


    私の沖縄の旅は、これからも続きます。

2007年1月30日

神奈川県のSTさんから

神奈川県のSTさん(25)からのメッセージです。


    先月、沖縄旅行に行き、戦跡などを見てきました。
    今回沖縄に行くのは3回目なのですが、
    1回目の時はまだ、興味を持っていなかった。
    ひめゆり資料館は有料だったので、
    友人と二人で極貧旅行中、入ろうかどうか悩んで、
    結局入りませんでした。


    2回目は、昨年の8月15日に
    Coccoの沖縄コンサートに訪れました。
    そこで彼女がひめゆり資料館の事を話していたので、
    ぜひとも行ってみたいと思いました。
    彼女の話す事が、ひとつひとつ、心に残りました。
    戦争・平和など、重い話が苦手な彼氏が、
    Coccoの話を聞いて、ひめゆりに興味を持ったようでした。
    私が話すと苦い顔して逃げてしまうのに。
    すごい!と思いました。


    そして今回、12月6~9日にかけて、
    平和の旅ツアーに参加しました。
    3回目にして、ようやく資料館を訪れることができました。


    順路に沿って進むと、
    ひめゆり学徒隊の生存している方の
    証言映像が上映されていました。
    その方はきれいな海岸で腰掛けながら、
    カメラに向かって当時の話をしていました。
    そのときは死体がいくつも転がっていて、
    血で川のようになっていたと…。
    この話を聞いて、私は心を打たれて、
    胸が詰まるような思いでした。
    背景に写っている海岸線は、海も空もとても美しく、
    美しいからこそ、余計に悲しさがこみ上げてきます。


    残酷さを伝えるのに、残酷な映像を伝える必要があるのか?
    私はしばしば考えます。
    今の時代、本当に戦争というものが分からない。
    だからこそ、時には残酷さを伝える手段としては必要なのかもしれない。
    でも、心から平和であって欲しい、そう願うのは、
    美しいものに対峙している時だったり、
    幸せを感じている時なのではないかと思います。
    沖縄は、空も海も美しいからこそ、
    悲惨な戦争があった事実とのコントラストに衝撃を覚えます。


    後日こうやって思い直してみると、
    次世代への継承がどれほど難しく、すごい事なんだろうと思いました。
    声高に平和を叫ぶよりも、じわじわと訴えかける方が、
    ずっと人々の心に染み入る何かを残してくれると思いました。
    (映画「ひめゆり」も、じわじわ系なのでしょうか?w)


    話は反れますが、沖縄に行く前に、
    靖国神社に併設されている遊就館も観てきました。
    戦争を正当化している展示や、
    戦争はやむをえない事だったと責任転嫁している解説。
    戦況の解説映像は、日本軍が勝ち進んでいた頃ばかりを取り上げ、
    何も考えずに見ていたら
    「ほー日本軍すごいなー」と思わされてしまいそうでした。


    飛行機や特攻機、大砲も展示されていました。
    観ている最中は意識高揚、見終わった後はとくに後味は残らず・・・。
    沖縄で見た展示や、ガマを見終わった後は、
    胸に何かつかえたかのように重い気持ちになったのに。
    この後味の違いに、どうしても違和感を感じずにはいられません。


    今回は、平和をテーマにした、内容が濃厚なツアーでしたので、
    抱えきれないくらいの衝撃を受けました。


    一番もどかしい事は、
    帰ってきてもこの話をする相手が、なかなか身近にいないことです。
    「平和」という重いテーマは、なかなか切り出しにくいし、
    話をする時もトーンダウンしてしまいます。
    本当は、誰かに聞いてもらいたくて、うずうずしていたのです。


    何かしないと、何も始まらない。
    そう思い、勇気を出して柴田監督にメールを送らせて頂いた次第です。


2007年1月31日

チラシ 2種

沖縄での上映用のチラシのデザインができました。

沖縄版では、ひめゆり学徒生存者の方と
沖縄の若い世代の心を象徴するCoccoさんとの
魂の対話をテーマにしています。


こちらがポレポレ東中野での上映に向けたチラシのデザインです。

シンプルに、「“忘れたいこと”を話してくれてありがとう」という言葉が
まず目に飛び込んでくるようにしました。


予定より大幅に遅れましたが、
今日ようやく印刷屋さんに入稿しました。
来週末には印刷が上がる・・・予定です。

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