正月は、時の区切り。
「忙しい、忙しい」という普段の僕の時間を
少しストップしたい。
古い本棚から20代の頃の愛読書を見つけ
つい読み入ってしまった。
つい先ごろ、知人の奥さんがこぼしていた。
小包が届いたので、丹念に紐をほどいていたら、
娘が来て、お母さんいつまでかかっているのよ、といって、
ハサミで紐を切って、たちどころに小包を開いてしまった。
紐をほどけばまだ十分に使えるのに。もったいない、
といったら、娘は
紐をほどく時間の方が余程もったいない。
紐はまた買えるけれど、
時間は二度と戻らないという。
理屈ではかなわない。
十六歳の娘をもて余している、と嘆いていた―――。
娘さんは、今刻々と過ぎる時間を惜しがり、
それを他にふりむけようとした。
今切った時間が、よりうまく他に生きるであろうか。
お母さんは紐にこめられている時間と、
今、紐をほどく行為の時間を重視した。
結ぶ心とほどく心は
二つではなくて、一つの心である。
仏が仏に出逢うのである。
あるいは、二つの出来事は時と共にしている。
同時の世界にある。
結びほどき、ほどき結ぶ。
時はすこしも経過しない。
結びほどき、ほどき結ぶ。
そのとき、宇宙がみずから宇宙であることを示す。
宇宙の自己表現なのである。
――岩田慶治「カミの人類学」――
20代前半で沖縄に行き、
映像の仕事を始めた頃を思い出した。
あの頃、ちょっとした取材に行くにも
僕は乗り合いバスを利用していた。
職場としてはタクシーや自家用車を利用することが許されていたが
おばぁたちに会いに行くのに、
NHKという職場の匂いを消したかった。
「東京風(とうきょうかぜ)」を落とし、
少しでも沖縄の時間間隔に合わせたかった。
だから、バスに揺られてゆっくり行く。
途中で色んな人たちが乗り降りするのを眺めるのも楽しい。
沖縄のバスの運転手は、
ラジオを聴きながらのんびり運転する人もいたし、
乗客が僕一人だけになると、
まるで昔からの友達のようにおしゃべりをしてくる。
あんな時間があったから、今の自分があるのだと思う。
時間もお金も、常識なら考えられないことに費やしたが、
「無駄遣い」などない。
今は、ひどいときは沖縄を飛行機で
日帰りしなくてはならないこともある。
一昨年は余りの忙しさに、
バイクを買って深夜ぶっ飛ばすときだけが
自分自身を取り戻せる瞬間というほどだった。
つらい。
スケジュールを表にしたりすると
こわくなる。
でも、「時」は線状=ラインに連なるばかりではない。
結ぶ「時」、ほどく「時」。
二つで一つの「時」の花。
刻々と過ぎ行く時間のなかで
その瞬間を見つけてみよう。
今年こそ、
初心に帰りたい。