沖縄の「親」の一人、山内昌英お父さんが、3/23の沖縄タイムスの論壇に投稿してくれた。
20代後半の僕をよく知る人だ。
お父さんが投稿した原文をここに掲載させていただきます。
(ただし、このブログの読者はまだ映画を観ている方は少ないと思うので、
映画の内容を紹介している部分だけは除かせていただきました。)
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この映画を監督した柴田昌平は、1988年東大の文化人類学科を卒業した。
卒業の年にNHKのディレクターに採用され、初任地の沖縄放送局に赴任した。
巨躯に鎧われていなければ、内に秘めた繊細さと頼りなげなさが今にも外に溢れ出て、
存在そのものが消えてなくなりそうな危うさを感じさせる青年であった。
3年半の沖縄勤務を経て東京へ転勤したが、
内に湛える繊細さが組織との折り合いを悪くしたのか、
ほどなくNHKを退社してフリーのドキュメンタリー作家になった。
これまで何本ものドキュメンタリーを制作して数々の賞を受賞しているが、
なかでも中国に取材したドキュメンタリーを得意にしており、
一昨々年には文化庁の助成を得て1年間の中国留学も経験している。
これまで「ひめゆり」は4度映画化されている。
いずれも16,7歳の乙女が、国のために若い命を捧げるという
殉国美談の「ひめゆり」である。
およそ自分達とは似ても似つかぬ香川京子や
吉永小百合が演じる美女に大きな隔たりを感じ、
フィクショナルに構成された映画が上映されるたびに、
ひめゆりの生存者の方々は落胆と憤慨を繰り返してきたという。
柴田が沖縄局の報道特報部に勤務していたころ、
そのような映画で見知った「ひめゆり」に対する成心から、
トンチンカンな質問を発して生存者の失笑を買うこともあったようであるが、
ひたむきに接する真摯な姿勢が次第にひめゆりの方々に信頼されるようになった。
ひめゆり平和祈念資料館の開館5周年に製作された、
生存者の戦争体験を映像に遺すドキュメンタリーの監督を
依頼されたのもそのような信頼があってのことであろう。
それが1994年に完成した「平和への祈りーひめゆり学徒の証言」である。
歴史的1回性の悲惨な体験を生々しく語る生存者の物語は重く、
極限を生きた体験は万言を費やしてもなお語り尽せなかったため、
その後も13年に亘って22名の生存者の物語を撮り貯めてきた。
使用された16ミリのフィルムは100本以上にもなったが、
2時間10分に編集し直おされた本ドキュメンタリーは、
その時間の長さを全く感じさせない。
この世のものとも思えない体験談が次々と語られるが、
戦場の修羅場に投げ出された証言者の物語は、
言葉が内包する思惟を喚起し、
証言の合間に挿入される即物的な実写フィルムをはるかに凌ぐ
想像世界を拡げてくれる。
思春期の過酷な体験がトラウマとなり、
いまだにその戦場体験を口にしえない生存者の方も多くいると聞くが、
この映画で物語られる戦場の実相は、
どのような過酷な状況の中でもそれに耐えて生き抜く命の尊さと、
失われた命に対する大いなる慈しみに満ちている。
私の父も防衛隊員として摩文仁で戦死したと聞かされている。
もちろん死に場所も分らなければ遺体もない。
墓室には摩文仁で拾ってきた数個の石が入れてあるだけである。
証言者の語る物語を聞いていて、父がどのように死んでいったのか、
おぼろげながら見えるような気がする。
多くの人にこの映画を見ていただき、生の沖縄戦がどのようなものであったのか、
是非追体験して欲しいものである。
山内 昌英 (戦争孤児、63歳)