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記憶と記録(5)

富村都代子さんは、戦後すぐ故郷久米島で小学校教員になったが、
1948年に那覇に出た。
この年6月23日ひめゆりの塔の慰霊祭に列席したが、
その夜、悪夢にうなされた。
壕の中に残してきた友達が追いかけてくる夢だった。


というのは、沖縄戦末期の1945年6月18日、
ひめゆり学徒隊には解散命令が下り、
生徒たちは壕を離れ米軍が包囲する戦場の真っ只中に
出ていくことを命じられた。
富村さんがいた伊原第一外科壕には
負傷して動けない生徒9人が寝かされていたが、
彼女たちを壕内に残したまま出て行かざるを得なかったのだ。


富村さんが見た夢は、
壕の入口で友人たちがエモン掛けに吊り下げられてこちらを見ている、
自分が逃げようとすると次々と追いかけてくる、
というものだった。


富村さんは3年つづけて慰霊祭に参加したが、
その度に悪夢を見たため、
ひめゆりの塔に行くことができなくなった。


亡くなった友達のことを考えるたびに
「生き残った自分たちを恨んでいるのではないか」と苦しんだ富村さん。
亡き友たちの魂の苦しみを和らげることができないかと思っていたとき、
資料館建設の話を聞き、活動に参加した。


ひめゆり平和祈念資料館には、
亡くなった教師・生徒たちの遺影が並ぶ展示室がある。
資料館がオープンした18年前、
富村さんはこの部屋に入るのが怖かった。
学友たちの遺影が自分を睨みつけている気がした。
しかし証言員として資料館に通いつづけるうちに
遺影の表情が変わった。
今は友達が微笑みながら楽しかった学園時代の思い出を
語りかけてくるように見えるという。
語ることを通して、戦後ずっと背負ってきた心の傷を乗り越えたのだ。


ドキュメンタリー映画「ひめゆり」にはナレーションはない。
生存者たちの証言で構成されている。
語られる内容は重い。
しかし地獄を乗り越えた末に紡がれたおばちゃんたちの言葉は、
凛とした力に満ちている。
過酷な記憶を掘り起こし、自らの言葉にするまで、
おばちゃんたちには数十年の時間が必要だったのだ。


(琉球新報への連載から)(終)

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2007年3月23日 02:28に投稿されたエントリーのページです。

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