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2007年4月 アーカイブ

2007年4月 1日

宮城信子さんのこと

きょうも桜坂劇場は大入りだった。
去年3月、映画完成直前に亡くなった
元ひめゆり学徒、宮城信子さんのご家族も
会場に見えていた。


   「映像を見ると、母が死んだような気がしない。
    まるでそこに生きているみたいだ」


娘さんはそうおっしゃった。


宮城信子さんには、僕は本当に助けられたものだった。
さまざまなことが重なり、
基本的に明るい性格の僕が「笑う」ことすらできなくなるような
とても落ち込んでいた時期が数年あったけど、
信子さんの元気と明るさに、どれほど励まされたことだろう。


信子さんは踊りが得意で、
新年会など宴席では率先して即興で踊り、
ひめゆりのおばちゃんたちを
笑いの渦に巻き込んだものだった。
面倒見がよく、
暗く沈みがちが同級生たちを誘って旅行に行ったりもしていた。


だから、いつも元気だった宮城信子さんが、
映画完成直前に突然亡くなったとき
僕はびっくりして、立ちすくんでしまった。
映画をもう少し早く完成させることができればと
悔しかった。


お会いした娘さんは、
宮城信子さんの面影のある
やさしそうな方だった。
ご主人も、とても誠実そうな方だった。
来ていただき、本当にありがとうございます。


夕方は、沖縄本島南部の宮本亜門邸を訪ね、
映画にコメントを寄せていただいたお礼を申し上げた。


明日の夜、東京に戻る。

2007年4月 4日

mixi & リンクバナー

mixiに映画「ひめゆり」のコミュニティーができました。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1927491


また、mixiのCoccoコミュニティーに、映画「ひめゆり」のトピックが立ちました。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=16830919&comment_count=19&comm_id=394


また、「ひめゆり」HPのリンクバナーもできました。
http://blog.livedoor.jp/documentary_himeyuri/archives/50730841.html


別の映画の応援団をやってきた方から、
   「ひめゆり」のことは全然伝わってこない、
   知られていなさすぎる、がんばって!

との激励のメールをいただきました。


確かに、知られていなければ、見てももらえない・・・。


ということで、皆さん、
「こんな映画があるんだよ」ということを広めていくことに
ご助力をいただければ幸いです。


2007年4月 7日

桜坂 楽日

昨晩で、沖縄・桜坂劇場での公開が終った。
2週間で3500人近い方に来ていただいた。
Coccoさん等の1回のライブの観客数に比べれば微々たるものだけど
沖縄でのドキュメンタリー映画上映としては
驚異的な数だ。


劇場に来ていただいた多くの方々に、
心より御礼を申し上げたい。
本当にありがとうございました。


また、ボランティアでチラシ配りなどを手伝ってくれた方々にも
「ありがとう!!」
東京に来てしまったので直接伝えられないけど、
今度また沖縄に戻ったとき、一緒に飲みましょう。


ひめゆりのおばちゃんたちも、2度、3度、
多い人は5回も劇場に足を運び、映画を観たという。


    「おばあちゃん、こんなに大変な体験をしたんだね。
    今日初めて知ったよ。」


前にも書いたけど、資料館で語り部として証言しているおばちゃんたちでも
自分の家族に体験を語ることは、ほとんど出来なかったという。


この数日は、「もっと上映して欲しい」という声が
「ひめゆり」を観る会事務局や、ひめゆり関係者のもとに殺到していた。
今年中に、別の形で、沖縄での上映を行いたいと思う。

こんどは離島や北部にまで映画を持って行きたい。
その体制ができるまで、どうかしばらくお待ちください。


2007年4月10日

多忙につき なかなか更新できず・・・

長く留守にしていたので、
東京に戻ってから、さまざまな仕事に追われている。
沖縄に全力を投入し、
その分のしわ寄せが来ているのだから、文句は言えない。


今晩は、フィンランドで撮影してきたインタビュー映像を
専門の方に来ていただいて、翻訳してもらった。
一日で終らず、金曜日につづきを行う。
この番組も、人間とは何かを考える上でとても興味深いものになるのだけど、
仕上げのプロセスが、「ひめゆり」東京上映の時期と重なるため
これから自分の体がどうなってしまうのか・・・。
でも忙しいのは僕だけでない。
スタッフ全員フル回転。
愚痴は言っていられない。がんばろう。


2007年4月14日

那覇市のKFさんから

きょうは、那覇市在住のKFさんからのメッセージ。
KFさんのお父さんは、沖縄から戦後初めて
高校野球のチームを甲子園へと率いていった
有名な監督さんです。


    こんにちは。那覇在、KFといいます。
    絵をかいたり、絵を使ってアートセラピーなどしています。


    先日桜坂で「ひめゆり」を観ました。


    私の母は昭和6年生まれで、ひめゆり学徒隊のすぐ後輩にあたり、
    毎年6月には、資料館のほうへ足を運んでいます。
    父は県立一中出身で、同期の友人をたくさん亡くしています。
    両親とも戦争体験をしていて、
    いまでもその精神的後遺症をひきずっており、
    それは次世代にも影響するほど、強いものです。


    幼い頃、私は父が怖くて、いつもおびえていました。
    母はバタバタと、毎日仕事に忙しく、
    私は両親におきざりにされたような空虚感、寂しさを抱え、
    両親は私を見ていない、どこをみているのだろう・・?と
    愛されているという自信までなくなりそうでした。
    両親とも社会的に活躍していて、はた目にはごく普通の家庭で、
    しあわせで何の問題があるようには見えなかったのですが。


    大人になってから、あのとき父は戦争の怒りを野球にぶつけ、
    また、兄弟を4人も失った母は忙しくすることで深い悲しみを忘れようとし、
    必死で心を埋めようとしていたんだと・・
    それが理解できたとき、私は両親をゆるし、自分をゆるせるようになりました。


    この時期になると、酒を飲み泣きながら戦争の話を繰り返す父を見て、
    私にできることは、何だろう?と考えていたとき、
    「ひめゆり」を見て、自分の中ではっきりわかったことがあります。
    私も父の思いを形にしよう!と、決心しました。
    そして、次の時代へのメッセージを投げかけることが
    私たち次世代の役目ではないかと思ったのです。


    この映画のおかげで、たくさんの人のココロがが解放されることでしょう。
    うちな~んちゅとして、感謝のキモチでいっぱいです。


「ココロが解放される」
その「心」って誰の心だろう。
それは、戦争を経験した世代にとっての心のことでもあり
次世代にとっての心のことでもあると
KFさんが言ってくれているのだうか。


映画は作り手のものではなく、
観客のものである。
観る人がこの映画を生かして行ってくれるものである。
KFさんの感性に、この映画が今後どこへ向かっていくのか、
どのように生かされていくのか、
大事なヒントをもらったような気がした。


2007年4月19日

ひめゆり資料館の普天間朝佳さんから

ひめゆり平和祈念資料館の学芸員、普天間朝佳さんが
「ひめゆり」の沖縄上映を終えた直後の4月4日、
次のようなコメントを寄せてくださった。


    <ドキュメンタリー映画「ひめゆり」を観て>

    桜坂劇場でのドキュメンタリー映画「ひめゆり」の上映が終わった。
    この映画は、カメラの前で語ってくれたひめゆりの生存者の方々はもちろん、
    彼女たちの話をじっくり聞き取ってくれた柴田昌平監督なくしては
    生まれなかった映画である。


    監督の柴田昌平さんは「聞き取る力」に富んだ人である。
    映画に出てくるひめゆりの人たちは
    「柴田さんの前では次から次へ話したくなる」と言う。
    体験者の話を時間をかけ、丁寧に粘り強く聞き取っていくその姿勢が、
    語る人の厚い信頼を得ているのだろう。


    柴田さんは、映画に出てきたひめゆりの人たちと本当に仲がいい。
    それはひめゆりの人を見つめる柴田さんのまなざしが
    とても温かいからに違いない。
    その温かいまなざしは、
    彼が沖縄放送局のディレクター時代に手がけた
    「ツルは千年、カメは万年、ナベは百歳まだ現役」に出てきた
    喜如嘉に住むナベおばあさんにも注がれていた。
    まなざしが温かいのは、撮影をうまく進めていくためというよりは、
    そこに出てくる人たちを柴田さんが本当に好きだから、
    その人たちの人生を柴田さんが本当に慈しんでいるからだと思う。


    この映画で語られていたのは、「ひめゆり自身が語った、
    実像に近い「ひめゆり」だった。
    もちろん柴田監督によって切り取られ編集されてはいるが、
    これまでになく、ひめゆりの思いを伝える映画であることは間違いない。
    それが可能だったのは柴田さんとひめゆりとの
    十年以上にわたる歳月があったからだ。


    この映画は豊富な証言を使うことで、
    「お国のために殉じた可憐な乙女たち」という、
    これまでつくり上げられてきた、分かりやすく、
    受け入れやすいひめゆり像とは違う側面から、
    ひめゆりを深く描きだしている。


    この映画は、フィクションのようなドラマチックな演出や
    脚色は一切ないが、
    観る者の心に静かに訴えかけてくる力がある。
    観終わった後、胸が温かいもので満たされていくような気持ちになる。


    柴田さんは試写会のチラシに
    「ひめゆりの生存者からは、しっかり生きている強さを感じる。
    それは、彼女たちの根っからの明るさ、優しさ、
    そして生命への信頼感があるからだ」という言葉を寄せているが、
    おそらく、観終わった後、胸の中に広がってくる温かさというものは、
    ひめゆりの人の根っからの明るさ、優しさ、生命への信頼感を感じるからだと思う。


    今、私たちひめゆり平和祈念資料館でも、
    体験者一人ひとりの話を可能な限り細かく聞き取り、
    記録に残していこうという仕事が始まろうとしている。
    それは時間が限られている割には膨大な仕事である。
    その膨大で大事な仕事の発想の源には、この映画がある。

         (普天間朝佳 ひめゆり平和祈念資料館学芸員)


普天間さんからこのように書かれると、恥ずかしくて穴に入りたくなる・・・。


普天間さんは、僕とほとんど同世代(正確には普天間さんがちょっと先輩)で
18年前のひめゆり資料館の開館時から、資料館の次世代を担うスタッフとして
おばちゃんたちに接し、サポートし、学び、そして数々の大事な資料をまとめてきた。
普天間さんたち、ひめゆり資料館の若いスタッフたちは、今後数年をかけて、
おばちゃんたちから徹底的な聞き取り調査をし、
ひめゆりの全貌を集大成する資料づくりに挑もうとしている。
映像ではできない、緻密で、細部にまで及ぶ記録。
その意欲と根気に、頭が下がる。


映画「ひめゆり」が出来上がったのは、
普天間さんたちの長年におよぶ努力によって
おばちゃんたちの心が若い世代に向けて開いてきた、
その土台があってのこと。
そのことを忘れてはいけないと思う。


本当にありがとうございました。

2007年4月24日

郊外へ

今週は、夜から早朝にかけて、フィンランドの編集。
いわば夜勤・・・。
電話のかかってこない落ち着いた時間帯に
じっくり考えながらやろうというわけです。


明日は、「ひめゆり」の東京での最後のマスコミ試写会。
評論家や記者、ライターの方々によって
この映画は、さらに豊なイメージや価値を
膨らませてもらことになるのだろう。


そんな多忙な中、5月半ばに、事務所を引っ越すことになった。
東京の郊外へ。
今の新宿・四谷の事務所があまりに手狭で
チラシやパンフレットを置くと足の踏み場もない。
わずか数畳の空間で、撮影・編集・企画・事務の仕事が
同時に行われている状態になっている。
同じ家賃で、今度の場所は小さな一軒家が借りられる。


スタジオ・ジブリなどアニメの会社が
すぐ近くにあるような場所で、
どらえもんを作っているスタジオから
歩いてすぐかな。


連絡先などが決まったら、またお知らせします。

2007年4月26日

いよいよ ポレポレの看板製作 

以前、ボランティアを募集した ポレポレ東中野の看板製作、
いよいよ、GW中に製作を行うことにしました。


こんなデザインです。↓



飾るとこんな感じになるイメージです。↓



参加予定者は
♪予告編の街角インタビューをしてくれたSakiさん
♪小説家としてデビューした慶應義塾大学の桑原美波さん
  (高校時代に書いた処女作でひめゆりをテーマに扱いました)
♪このブログにもよくメッセージをくれる千葉県のHNさん
♪川崎市で平和学習などにも熱心に取り組んでいるSTさん
♪デザイン・構想を練ってくれたのは「もう一人のアンネ・フランク」を送ってくれた 
  かなえさん。
  かなえさんは絵本作家をめざしています。


かなえさんからのメッセージ。


    こんにちは
    看板楽しく作れたらいいです。
    ひと塗りひと塗り祈りをこめて。
    たくさんの人が映画を見に来てくれますように

    沖縄のひめゆりさんたちに届きますように
    ユリの花はひめゆりの校章だったユリの形からイメージをいただきました。
    空色の大きな看板です。
    笑い声や歌を祈りとともに空に放っていけるような
    そんな看板にきっとなるんじゃないかなと想います。
    そうできたらいいな。

    そんな祈りもこめられた、
    パソコンじゃ見づらい小さな描きこみも…
    近くに来てもらえたらきっと見えたりすると想います。
    会場に来ていただけた際には看板もぜひ見上げてみてくださいね

    つたないペンキの塗り作業になると想いますが…
    まあ…(^^;)なんとかよろしくです。

    お日様の下をもう一度、大腕を振って歩きたい…
    亡くなった生徒さんの中にそんな言葉を
    話していた方がいたと聞きました。

    晴れやかな看板ができますように、
    どうぞ祈っていてください。


完成をお楽しみに!!
    

2007年4月29日

ポレポレ看板づくり 初日

いよいよポレポレ東中野での看板づくりが始まった。


場所はJR中央線、東中野駅すぐ隣、ポレポレ東中野の6階ベランダ。↓


昨日とうって変わり、良い天気に恵まれた。↓

           監督以外はお肌の日焼けが気になる。


まず、古い看板を白いペンキで塗りつぶす。↓

←誰の顔?
                      


かなえさんが用意してきた文字を、トレーシングする。↓

                       

こんなにペンキを塗ることは、一生のうち、そんなにないだろう。

      


高所恐怖症には怖い場所?↓

            

            

 きょうは、ここまで! おつかれさまでした。


2007年4月30日

看板完成!

ついに看板が完成した。

とても嬉しい。

映画が完成したときは、苦しい思いがいっぱいだったけど、
看板づくりはとても楽しく――若いみんなに任せきりだったので――
完成とともに喜びが湧き起こった。


まずは完成した看板をご覧ください。


詳しくはまた後日。


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