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ひめゆり資料館の普天間朝佳さんから

ひめゆり平和祈念資料館の学芸員、普天間朝佳さんが
「ひめゆり」の沖縄上映を終えた直後の4月4日、
次のようなコメントを寄せてくださった。


    <ドキュメンタリー映画「ひめゆり」を観て>

    桜坂劇場でのドキュメンタリー映画「ひめゆり」の上映が終わった。
    この映画は、カメラの前で語ってくれたひめゆりの生存者の方々はもちろん、
    彼女たちの話をじっくり聞き取ってくれた柴田昌平監督なくしては
    生まれなかった映画である。


    監督の柴田昌平さんは「聞き取る力」に富んだ人である。
    映画に出てくるひめゆりの人たちは
    「柴田さんの前では次から次へ話したくなる」と言う。
    体験者の話を時間をかけ、丁寧に粘り強く聞き取っていくその姿勢が、
    語る人の厚い信頼を得ているのだろう。


    柴田さんは、映画に出てきたひめゆりの人たちと本当に仲がいい。
    それはひめゆりの人を見つめる柴田さんのまなざしが
    とても温かいからに違いない。
    その温かいまなざしは、
    彼が沖縄放送局のディレクター時代に手がけた
    「ツルは千年、カメは万年、ナベは百歳まだ現役」に出てきた
    喜如嘉に住むナベおばあさんにも注がれていた。
    まなざしが温かいのは、撮影をうまく進めていくためというよりは、
    そこに出てくる人たちを柴田さんが本当に好きだから、
    その人たちの人生を柴田さんが本当に慈しんでいるからだと思う。


    この映画で語られていたのは、「ひめゆり自身が語った、
    実像に近い「ひめゆり」だった。
    もちろん柴田監督によって切り取られ編集されてはいるが、
    これまでになく、ひめゆりの思いを伝える映画であることは間違いない。
    それが可能だったのは柴田さんとひめゆりとの
    十年以上にわたる歳月があったからだ。


    この映画は豊富な証言を使うことで、
    「お国のために殉じた可憐な乙女たち」という、
    これまでつくり上げられてきた、分かりやすく、
    受け入れやすいひめゆり像とは違う側面から、
    ひめゆりを深く描きだしている。


    この映画は、フィクションのようなドラマチックな演出や
    脚色は一切ないが、
    観る者の心に静かに訴えかけてくる力がある。
    観終わった後、胸が温かいもので満たされていくような気持ちになる。


    柴田さんは試写会のチラシに
    「ひめゆりの生存者からは、しっかり生きている強さを感じる。
    それは、彼女たちの根っからの明るさ、優しさ、
    そして生命への信頼感があるからだ」という言葉を寄せているが、
    おそらく、観終わった後、胸の中に広がってくる温かさというものは、
    ひめゆりの人の根っからの明るさ、優しさ、生命への信頼感を感じるからだと思う。


    今、私たちひめゆり平和祈念資料館でも、
    体験者一人ひとりの話を可能な限り細かく聞き取り、
    記録に残していこうという仕事が始まろうとしている。
    それは時間が限られている割には膨大な仕事である。
    その膨大で大事な仕事の発想の源には、この映画がある。

         (普天間朝佳 ひめゆり平和祈念資料館学芸員)


普天間さんからこのように書かれると、恥ずかしくて穴に入りたくなる・・・。


普天間さんは、僕とほとんど同世代(正確には普天間さんがちょっと先輩)で
18年前のひめゆり資料館の開館時から、資料館の次世代を担うスタッフとして
おばちゃんたちに接し、サポートし、学び、そして数々の大事な資料をまとめてきた。
普天間さんたち、ひめゆり資料館の若いスタッフたちは、今後数年をかけて、
おばちゃんたちから徹底的な聞き取り調査をし、
ひめゆりの全貌を集大成する資料づくりに挑もうとしている。
映像ではできない、緻密で、細部にまで及ぶ記録。
その意欲と根気に、頭が下がる。


映画「ひめゆり」が出来上がったのは、
普天間さんたちの長年におよぶ努力によって
おばちゃんたちの心が若い世代に向けて開いてきた、
その土台があってのこと。
そのことを忘れてはいけないと思う。


本当にありがとうございました。

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2007年04月19日 02:40に投稿されたエントリーのページです。

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