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2007年5月 アーカイブ

2007年5月 1日

未来の自分たちに大きく手を振る

完成した看板に、みんながそれぞれ
小さな文字で、想いを書き込んでいった。


慶應義塾大学在学中の小説家、桑原美波さん。

    「未来の自分たちに大きく手を振る」


彼女が高校生のとき初めて書いた小説――ひめゆりを題材にした――
の中の一節だという。


美波さんより届いたメールから。


    私にとって、同年代の女の子たちと
    ひめゆりを語り合えたのは、
    本当に大きな収穫でした。


    炎天下でお喋りして笑いながらペンキを塗っていて、
    「ひめゆりの人たちもこんな感じで壕掘りしてたのかなぁ」と
    みんなで思いを馳せて言い合ったりしていました。
    たった2日だったのに皆すごく仲良くなれて、とっても楽しかったです!


    みんなアクティブでクリエイティブで、すごく刺激を受けました。
    本当に、いつかみんなとひめゆりでコラボした作品が創れたらいいなあ。
    私も負けていられない。




こちらこそ、本当にありがとう。
みんなが笑い転げながら楽しそうに作っているのを観て
僕自身も、腹の底から笑え、嬉しくなりました。


美波さんたち、みんながカラオケも上手いのにビックリでした。

(つづく)


2007年5月 2日

遠い朝ひびいていた 君の歌はつづいている

完成した看板に、みんながそれぞれ
小さな文字で、想いを書き込んでいった。


かなえ

    「遠い朝ひびいていた 君の歌はつづいている
    わらいごえ ゆれるえがお
    なくせないものばかり」



かなえさんは、昨年夏にひめゆり資料館を訪れた。
その後、ギターを弾きながらこの歌を作り、
自らの気持ちを探ったのだという。



看板完成後に、この歌を口ずさむ。
電車の音にかき消されながらも・・・・。



(つづく)

2007年5月 3日

アイシテルとありがとう

完成した看板に、みんながそれぞれ
小さな文字で、想いを書き込んでいった。


千葉県のHitomiさん。


    「アイシテルとありがとう」


Hitomiさんからのメール。


    ここ数年、わたしにとって「生きる」ってことは痛みでしかなかった
    3月に沖縄へ足を運んだときも痛みしか感じなかった
    初めて戦場跡地を訪れたからだとも想うけれど、
    わたしには風が突き刺すように感じた


    でも看板制作の途中で何度も吹いた風は、
    邪魔をしつつも優しかった
    わたしたちがはしゃいでいるのを見て、
    ひめゆりのおばぁたちが駆け抜けていった…
    そんな感じだった
    一緒に遊ぼうとしたのかな?笑


    線路沿いでバカみたいに笑っていた怪しげな5名(笑
    その瞬間が一番眩しかった
    帰り道すぐに詩が出来た


        彼女の詩が刻まれて
        僕らは線路沿いで歌を口ずさんだ
        明日という名のきらきらが散りばめられて
        そこは愛で溢れた


        すべてが優しく
        風が僕らを此処へ導いた
        あの風は
        未来でもきっと吹き抜けるよね


        そのために僕が出来ること
        僕らが出来ること


        愛したい
        伝えたい
        受け取りたい
        だから踏み出す
        ありがとうの一歩



    みんなすごいパワーを秘めていた


    とりあえず、今出来るわたしの愛し方ひとつが終わった
    風が浄化されたような
    これから何が出来るのか分からないけど、
    歌をうたって歩いていきたい


    「アイシテル」の意味を柴田さんは聞きましたよね?
    多分、愛には変わりないんだろうけど
    今想うと「逢い」も含んでいたように感じます
    ひめゆりの風が巡り合わせた、わたしたち
    出会えてよかったと想います



ありがとう。
Hitomiんのブログの詩、素敵だね。
少しずつ、みんな(もちろん僕も含めて)歩んでいるね、
そう思いました。


(つづく)

2007年5月 4日

楽しいと平和の世界 おみやげを届けます!!

完成した看板に、みんながそれぞれ
小さな文字で、想いを書き込んでいった。

Sakiさん。


    「楽しいと平和の世界 おみやげを届けます!!」



Sakiさんが、この言葉で何を伝えようとしているのかは、
映画の中の重要なシーンと絡んでくるので、僕からは今は言えないけど・・・。
  (Sakiさんは、沖縄での上映を観ているんだね。
   皆さんもぜひ、映画「ひめゆり」を観てください)


Sakiさんより届いたメールから。


    点が線になって、繋がってゆくのをまた感じました。
    これもみんな、それぞれの「ひめゆり」の想いが結びつけてくれたのだと
    想います。


    美波ちゃんも言っていたけど、
    ひめゆりの女の子たちもわたしたちみたいに
    楽しく、笑い合い、じゃれ合い、歌いながら、
    個性豊かにのびのびと学園生活をしてたんじゃないかなぁなんて想いました。


    そこで浮かんできた詩を。。。


        初夏の香りと風の吹く中
        太陽の下
        笑い声と青い空
        歌声が聴こえるよ


        時々吹くあの優しい強い風は
        「ひめゆりの風」


        わたしたちの背中を押してくれた
        「ひめゆりの風」


        風になびいて空まで届け
        わたしたちの想い


        わたしたちには
        ちゃんとあなたたちの想いが
        届いています


        あなたたちの想いを祈りを込めて
        キレイな空色に輝く百合の花


    みんなの個性がすごく良く出ている看板になったと想います!!
    そして、この看板を見た人が少しでも足を止めてくれると
    いいなぁって想います。


Sakiさん、ありがとう。
きょうは色々あって、僕、酔っ払って家に帰ってきました。
今は前後不覚なので、また明日以降に、コメントしますね。
では。

2007年5月 5日

メイ シネマ祭

東京の下町、江戸川区にある小さな区民ホールで
素敵なドキュメンタリー上映会が行われた。


「メイ シネマ祭」(5月映画祭)という。


地元でプロパンガス屋を営む藤崎和喜さんが中心となって
15年前から細々と続いている手作り映画祭。
今年は5月3日から5日まで、3日間にわたって
全15作品が上映された。


「ひめゆり」は今月26日からのポレポレ東中野での公開が
日本本土での初の一般上映となるが、
きょうは、「特別試写会」という形で招かれた。
地元でドキュメンタリー映画祭を支えてきた常連の方々、
映画祭に出品した映像作家のお歴々、百余名に
「ひめゆり」は暖かく迎えられた。
皆さん、「ポレポレの上映時にも友人・知人を連れて行きます」と
励ましてくださった。


来場者の中に、懐かしい人の顔があった。
梶山弘子さん。
1995年に製作された劇映画「ひめゆりの塔」(沢口靖子ほか主演)の
脚本を担当された方だ。
当時、僕は沖縄戦記録フィルム(1フィート映像)の調査にも関わっていて、
梶山さんたちから沖縄戦の実写映像の詳細について尋ねられ
お答えした記憶がある。


「あれから随分と年月が経ちました。
 記録するのにこんなに時間がかかったのですねぇ」
梶山さんは感慨深げにおっしゃった。
梶山さんが脚本を書いていた時期には、
まだ、ひめゆりの方々の証言もあまり世に出ておらず、
彼女たちは、資料が少ない中、なるべく史実に沿おうと努力していた。


梶山さんは今、栃木県那珂川町で
映画にまつわる私設ミニ図書館を開いているという。
きょうはゆっくりと話す時間もなかったので、
機会があったら、一度訪ねてみようと思う。


さあ、今晩はまた徹夜。
フィンランドの編集・原稿作りだ。


2007年5月10日

かけがえのない「記憶の束」を両手で抱え・・・「天声人語」に寄せて

本日の天声人語で、「ひめゆり」が取り上げられた。


ひめゆりの人たちが卒業式で歌おうと練習をしながら
歌うことのできなかった「別れの曲(うた)」をモチーフに、
ひめゆりの人たちがいま語ることの意味と重みを綴っている。


    歌われなかったことで、永遠の生命を与えられた歌がある。
    1945年春、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高女の卒
    業式のために準備された「別れの曲(うた)」だ。



から始まる全622文字。


    「別れの曲」は毎年の慰霊祭で歌い継がれているが、
    証言者のうち3人が映画を待たずに亡くなった。
    忘れたくて、一度は砕き捨てた記憶かと思う。
    その破片をカメラの前でつなぎ合わせてくれた
    元ひめゆりたち。
    かけがえのない「記憶の束」を両手で抱え
    次世代に運び届けたい。



で締め括られる。


「かけがえのない『記憶の束』を両手で抱え・・・」
この言葉を読み、僕は胸が詰まった。


「『記憶の束』を両手で抱え・・・」
何と慈愛に満ちた言葉だろう。
書いた人の心根が伝わってくる。
目に見えない気持ちを、目に見えるイメージにする力、
大事な言葉の宝物を頂いたという思いだ。


ポレポレ東中野での上映にあたっても、
せっかく100席しかないミニシアターで上映するので、
「両手で抱えて運び届け」るような、手ざわりのある
上映にしたいと思う。


僕たちに、あらたな指針と力をいただいたこと
深く御礼を申し上げます。

2007年5月12日

オールナイト

「ひめゆり」の上映は、「記憶の束を両手で抱えて運び届け」るような、
手ざわりのある上映にしたいと昨日書いた。


色んなことを考えている。
たとえば、このブログでやっているようなことを、
瓦版としてガリ版刷りにして、来ていただいた方に配るとか。
そうすふことで、普段コンピューターを苦手とする世代に人の思いと
若い人たちとの思いがうまく結びつかないかなと
思ったりする。

僕がどれだけ時間を捻出できるかにもよるのだけど・・・。




それと、ポレポレ側が企画して、6月2日(土曜日)に
オールナイトの上映イベントが行われる。
オールナイトでは「ひめゆり」そのものはやらないけど、
沖縄に関連した4作品を上映。


このとき、僕と、素敵な2人のゲストを交えてのトークショーも予定している。
・當眞嗣光さん(沖縄出身の写真家)
・上里忠之さん(沖縄出身の劇作家)
けっして有名人とはいえないけど―――これは僕も含めてだ―――
すっごくユニークで、ユーモアがあり、心優しい2人だ。
4本の映画はともかく、この2人の話が聞けるだけでも価値がある。


以下は、オールナイト・イベントの詳細。
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2007.6.2(土)
23:00開場 23:15開映
前売2000円 取扱:ポレポレ東中野窓口、およびチケットぴあ(Pコード553-007)※ぴあは、5月16日より発売。
当日2300円
★当日a.m.10:20より整理番号を配布いたします。

<上映作品>
「あゝひめゆりの塔」 舛田利雄監督 主演:吉永小百合 1968
「1フィート映像でつづるドキュメント沖縄戦」 柴田昌平監督 1995
「島ノ唄」 伊藤憲監督 吉増剛造 2004
「嘉手苅林昌 唄と語り」 高嶺剛監督 1994
合計4本上映

<トークゲスト>
當間嗣光(写真家)、上里忠之(劇作家)

2007年5月13日

学生友情プライス

この映画を次の世代、若い人たちに届けたいという願いから
ポレポレ東中野での学生の入場料を、特別価格に設定した。
名づけて「学生友情プライス」


学生が3名以上一緒で来館したら、窓口で申告すると・・・
   大学・専門学校生 1300円→1000円
   中学・高校生 1000円→800円


チラシなどには刷り込んでいない情報なので、
少しでも広く告知できるよう、
この場も借りてお伝えします。


若い方々へ。
友達と一緒に来て、そして映画を観たら
一緒に語り合ってもらえたら本望です。
 (僕もオジサンっぽい言い方をするようになったなぁ)


どうぞよろしく!!

2007年5月16日

手作りのホームページ

東京公開が近づき、映画「ひめゆり」のホームページへのアクセスも
うなぎのぼりに増えている。


映画「ひめゆり」のホームページ、信じられないかもしれないが、
まったくの素人の手作り。


最初のベースは、初代の事務局スタッフ、勝方未来さんが作ってくれた。
勝方さんは美大出身で、HTML言語も分かっていた。
彼女が11月に大学編入試験に合格してしまって以来、
まったく素人である僕が、簡単なソフトを使い、参考書を読みながら
ページを作ったり、更新したりしている。


プロデューサーの大兼久は
まったくのアナログ人間。


最近は、広報担当の澤口佳代さんも手伝ってくれるが
彼女は新着情報などの更新に忙しい。


もう少し洒落たデザインにできないかとか
問合せフォームを作れないかとか
上映情報をカレンダー形式にできないかと
思ったりするが、
金もマンパワーも不足する僕らには余裕もない。


さあ、今晩は、このところ急激に問合せが増えている
自主上映の案内のページを作ろう。
うまく行くかな・・・。


2007年5月19日

同窓会

きょうは高校の同窓会だった。
卒業して25年ぶり、初めての同窓会だった。


懐かしい顔、覚えているけどすぐに思い出せない顔、
クラスが違っていたためほとんど覚えていない顔・・・・。
みなこの25年間で多くのものを背負いながらも
まっすぐに生きているなぁと思わされた。


ひめゆりの人たちが
戦後ずっと自らが「ひめゆり学徒の生き残り」であることを隠すほど、
苦しく孤独に生きてきた中、
再び同窓生たちと集うようになったのは
戦後34年目を過ぎてからだった。
1979年、「ひめゆり学園」の「34年目の卒業式」が開かれた。
それがひとつの契機となった。


昭和20年3月25日、戦場で仮の卒業式が行われたが、
「天声人語」でも書かれていたように、
歌おうと準備してきた「別れの曲」を歌うことができず、
「海ゆかば」を歌った。
3ヵ月後、沖縄戦がほぼ終ったとき、
半数以上が亡くなっていた。


戦後34年目に行われた「卒業式」には、亡くなった友達にかわって遺族が参列。
このとき皆で流した涙を、
平和資料館建設というプラスのエネルギーへと変えて行ったところが
ひめゆりの人たちのすごさだ。
良きリーダーがいたのだった。


きょうの僕の同窓会では、多くの友達が
映画の前売券を買ってくれた。
25年ぶりでも、会うと不思議に25年前にタイムスリップする。
僕、高校時代は、どちらかというと生意気で、
皆から孤立しがちの生徒だったと思うけど、
暖かい友情を示してくれた友たち、
ほんとうにありがとう。


さあ、明日はいよいよ事務所の引越作業開始だ。
体力が持つかなぁ。


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ちなみに、僕の高校生活は
* 1年~2年2学期 大阪府立清水谷高校
* 2年3学期~卒業 東京都立駒場高校
子供の頃から転校つづきでした。

2007年5月21日

引越し

きょう、事務所の引越しをした。
東京のど真ん中の四谷から、東京西郊へ。
西武新宿線の西武柳沢駅から歩いて4~5分。


このあたりは、アニメーターの人たちが多く暮らす。
そう、家賃が安く、のんびりとした地域。
大型スーパーも量販店もない。
あのハンカチ王子が練習する早大グランドから歩いて10分ぐらいだ。


さあ、明日の夜は、ポレポレ東中野で、上映映像の画質と音のチェックをする。
とにかく、前を向いて進んでいくしかない。


2007年5月23日

画面・音のテスト

いまさっき、ポレポレ東中野の画面・音テストから戻った。
一般上映がすべて終ってからの試写なので、こんな時間になってしまった。


いつも思うけど、ポレポレ東中野の上映環境はとても素晴らしい。
大画面で切れ味のよい画質、
音もやわらかく、しかも天井が高いので、どの座席に座っても程よい音質だ。
こじんまりとした空間で、
「暗闇の共通体験」(一之瀬カメラマンから教えられたキーワード)をするには
うってつけでもある。


これまで試写会を含めて、僕は何度も「ひめゆり」を観て来たが
ポレポレの空間で観る「ひめゆり」は、とても新鮮だった。


映写技師の小原さん、川口カメラマン、そして広報担当の澤口さんも一緒になって、
黒の締まりや発色について微調整をし、
劇場をあとにした。


上映まで、いよいよあと3日。
明日は、劇場のロビー展示などを製作する予定だ。


2007年5月26日

いよいよ今日から

いよいよ今日から、東京ロードショーが始まる。
色んなハプニングが重なり、いま家に戻った。
これから3時間ほど仮眠して
劇場に向かう。


劇場の壁面の展示がまだ完成していないが、
「進化していく展示」ということで
今後、少しずつ、心こめてやっていこう。
映画そのものは、きちんとご覧いただける。


さあ、お客さんに来ていただけるのか、どうか・・・。
あとは天に祈るばかりだ。


2007年5月27日

ポレポレ初日報告

ポレポレでの初日が終った。
僕にとっては生まれて初めての劇場公開作品の
東京ロードショーの初日、
とても緊張して迎えた。


幸いにも青い空の好天。
「この映画はついてますね」と支配人の大槻さんから言われた。
二人の娘の運動会と重なり、
娘たちの方には、またもや行くことができなかったが
映画にとってはとても良い日和だった。
映画を観終わった方には、
劇場から出てきて仰ぎ見るこの青空が
何よりも美しく見えたことだろう。


一回目は満席。
パイプ椅子の補助席を出し、
さらに「座布団」といって、
場内の廊下に座布団を敷いてご覧いただいた方もいる。
お疲れにならないかと心配したけど、
座布団に座った方から「かえって観やすかった」と言っていただき
ほっとした。
お年寄りから若い人まで、
幅広い層の方々がいらして下さったことが
とても嬉しかった。


1回目のあと、宮本亜門さんとのトーク。
緊張していて、何を話したのか覚えていない・・・。
亜門さんに話してもらおうと思っていたが、
逆に亜門さんがインタビュアーになって僕が答える格好になる。


午後3時、ひめゆり学徒隊の生存者、
与那覇百子さんが沖縄からかけつけてくれた。
百子さんには、上映後のトークで
沖縄戦の始まる前夜のエピソードを語っていただいた。
映画では構成に入れることができなかった話だ。


夜、百子さんを囲んで懇親会。
これまでボランティアでこの映画上映のサポートをしてきてくれた
ふたつのグループ―――
東京在住の沖縄出身の人たちと
そして、主にCoccoさんのファンを中心とする若い人たち
―――ポレポレの看板を作ってくれたので「看板娘」と呼んでいる―――
ふたつのグループが初めて一緒に会して食事した。


ありがとう、こういう皆さんのおかげで
日本本土での初ロードショーまでこぎつけた。
「ありがとう」「ありがとう」と頭を下げながら飲んでいるうち
すっかりほろ酔い加減となり、
最後は、東中野の駅前を指笛を吹き鳴らしながら
帰路につく。
沖縄の言葉で「嘉例をつける」、
つまり船出を祝って鳴らす指笛。
この映画よ、無事に旅立って
多くの人の心の届いてほしい。


2007年5月28日

ポレポレ2日目

ポレポレでのロードショー、2日目も大盛況だった。
満席になり、補助席を用意してご覧いただいた方もいる。
ゲストとして沖縄から来ていただいた元ひめゆり学徒の
与那覇百子さんもとても喜んでいらした。


その報告もしたいけど、
僕は今晩も徹夜で、NHKドキュメンタリー番組の仕上げをしている。
でもこのおかげで生活を維持できているんだ。


13年前にひめゆりの撮影を始めてから今に至るまで、
映画ではもちろん食べてはいけない。
そもそも「ひめゆり」は最初は作品にすることも考えず
ただ記録をしたいと撮影を始めた。
その間、テレビ番組やビデオ制作の仕事で生活を立ててきた。


僕は大学を卒業して4年間、NHKの職員だった。
入局してすぐNHK沖縄放送局に赴任。
3年半後に東京の特報部に転勤になったが
半年で退職した。
わがままに退職した僕を、
NHKの先輩や同僚たちがその後ずっと助けてくれ、
仕事がなく困っているときにそっと手を差し伸べてくれたりした。
きょうも同僚たちが観に来てくれた。
とても感謝している。


疲れたなんて文句は言っていられない。
番組の方も精一杯作ろう。
今週が仕上げの山場なんだ。

メッセージ ありがとうございます

昨晩からの徹夜の仕事を中断し、
さきほど家に戻った。
さすがに今夜は眠らないと。


この間、多くの励ましのコメントやメールをいただき
とても嬉しい。
体はへとへとだけど、おかげさまで気持ちは充実している。


すぐに返事を書けないので心苦しいけど
本当にありがとうございます。

ポレポレ上映アルバムから

劇場の様子を、写真でお伝えします。


大勢のお客様が来てくださっている


      
      宮本亜門さんと



ゲストトーク


      
      与那覇百子さんと



“看板娘”長女のかなえさんが新たに描いてくれた懸垂幕(右側)

2007年5月31日

与那覇百子さんトークから

1時間ほど前に家に戻った。
一度編集室に入るとその日は徹夜作業・・・。
明日また編集室に入ると、帰れるのは下手をすると土曜の朝になる。


家にいられるわずかな合間だが、
26、27日のゲストトークのとき、与那覇百子さんから聞いた話を記しておきたい。
その鮮やかな印象が薄れないうちに・・・・・・。


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与那覇百子さんは、笑顔の愛くるしい人だ。
いつもニコニコ。
沖縄の太陽のような、明るく弾ける笑顔をしている。


何でそんなに笑顔でいられるの?


尋ねてみた。
するとそこには百子さんの強い決意があったのだった・・・・


百子さんは、沖縄戦で父と二人の姉を亡くした。
本土に疎開していた母親が沖縄に戻るまで、身寄りなく、一人ぼっちだった。
あまりに暗く寂しい顔をしていたのだろう、
ある日、近所の人から言われたのだという。


  「百子、悲しい顔をしていてはダメだよ。
   泣きっ面に蜂というでしょう。
   悲しい顔をしていては、何も良いことはないよ。
   悲しいのは、お前だけではない。
   沖縄の人はみんな悲しいんだ。
   それを乗りこえていかなければならないんだよ」


以後、百子さんは、努めて笑顔で過ごそうとしているのだという。


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会場に、たまたま百子さんの娘さんが来ていた。
娘さんから、僕の知らなかった話をうかがった。


百子さんの娘さんは、いま東京・晴海に暮らしている。
東京湾の大花火を見るには最高のロケーションだ。
ある年、親孝行をしようと娘さんは百子さんを花火鑑賞に招いた。
すると百子さんはパニックとなり
「音がきこえないところはないの?」と
狭いアパートの中を逃げ回っていたという。


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また与那覇百子さんは、今でも雷の音を聞くと、
戦場を思い出し、パニック状態になるのだという。
戦場の記憶がトラウマとなって、心の奥にうずいているのだ。


弾けるような笑顔の秘密。
そしてその奥にある心の傷。
その両方を教わった2日間だった。


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ひめゆりのおばちゃんたちと話していると
いつも発見がある。
聞いても、聞いても、尽きることはない命の不思議。


映画「ひめゆり」は、僕は暗い悲壮感で作ったのではない。
未来に向かっての希望の光を感じるために、撮りつづけているのだ。


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