1時間ほど前に家に戻った。
一度編集室に入るとその日は徹夜作業・・・。
明日また編集室に入ると、帰れるのは下手をすると土曜の朝になる。
家にいられるわずかな合間だが、
26、27日のゲストトークのとき、与那覇百子さんから聞いた話を記しておきたい。
その鮮やかな印象が薄れないうちに・・・・・・。
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与那覇百子さんは、笑顔の愛くるしい人だ。
いつもニコニコ。
沖縄の太陽のような、明るく弾ける笑顔をしている。
何でそんなに笑顔でいられるの?
尋ねてみた。
するとそこには百子さんの強い決意があったのだった・・・・
百子さんは、沖縄戦で父と二人の姉を亡くした。
本土に疎開していた母親が沖縄に戻るまで、身寄りなく、一人ぼっちだった。
あまりに暗く寂しい顔をしていたのだろう、
ある日、近所の人から言われたのだという。
「百子、悲しい顔をしていてはダメだよ。
泣きっ面に蜂というでしょう。
悲しい顔をしていては、何も良いことはないよ。
悲しいのは、お前だけではない。
沖縄の人はみんな悲しいんだ。
それを乗りこえていかなければならないんだよ」
以後、百子さんは、努めて笑顔で過ごそうとしているのだという。
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会場に、たまたま百子さんの娘さんが来ていた。
娘さんから、僕の知らなかった話をうかがった。
百子さんの娘さんは、いま東京・晴海に暮らしている。
東京湾の大花火を見るには最高のロケーションだ。
ある年、親孝行をしようと娘さんは百子さんを花火鑑賞に招いた。
すると百子さんはパニックとなり
「音がきこえないところはないの?」と
狭いアパートの中を逃げ回っていたという。
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また与那覇百子さんは、今でも雷の音を聞くと、
戦場を思い出し、パニック状態になるのだという。
戦場の記憶がトラウマとなって、心の奥にうずいているのだ。
弾けるような笑顔の秘密。
そしてその奥にある心の傷。
その両方を教わった2日間だった。
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ひめゆりのおばちゃんたちと話していると
いつも発見がある。
聞いても、聞いても、尽きることはない命の不思議。
映画「ひめゆり」は、僕は暗い悲壮感で作ったのではない。
未来に向かっての希望の光を感じるために、撮りつづけているのだ。