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2007年7月 アーカイブ

2007年7月 1日

看護師志願

きょうのポレポレでの出会いから。


お名前はわからないけど、看護師になる勉強をしているという若い方に出会った。
10年ほど前、高校生のときに、沖縄に修学旅行に行ったのだという。
ひめゆりの生存者の話を聞くことになったが、
そのとき、うっかり眠ってしまった。
友人たちから「こんな大事な話なのに眠って」と言われた。
ひめゆりのことが心の中の傷となってしまったという。


学校を卒業し、就職もしたが、
高校時代にひめゆりで眠ってしまった後悔を払拭するため
思い切って退職し、
今は、ひめゆり学徒たちと同じ、看護活動への道を進もうと
看護学校に通っているという。


彼女のひたむきさに、僕も心打たれた。
自分の中の暗い部分を乗り越え、前向きに進もうとする力・・・。


改めて、中学・高校時代って、ほんとうに多感なんだと思い知った。
ちょっとしたことが、心のしこりとなるんだ。
ひめゆりのおばちゃんたちも、あの戦場体験をしたのは
現在の中3から高3ぐらいのときだ。
ひりひりするぐらい、多感な思春期のなかでの体験だった。


「恨み節」もない話。
傷を負いながら、希望を抱きつづける力。
慈愛に満ちた表情。


きょう出会った看護師志願の方と、
ひめゆりのおばちゃんたちの若き日の姿が
僕には重なって見えた。
近い将来病院で働いている、輝くような彼女の姿が
目に浮かぶようだ。


2007年7月 2日

明日のNHKラジオ

明日、NHKラジオ第一放送、「ラジオ夕刊」(午後6時から6時50分放送)に
生出演します。
出演時間は18:32~18:48の16分間。
お楽しみに。

2007年7月 5日

岩手での劇場公開

今週末から、岩手県宮古市の映画館、
みやこシネマリーンでの劇場公開が始まる。 

最初、みやこシネマリーンさんから映画の問合せがあったとき、
てっきり、沖縄県の宮古島のことかと思ったら、
なんと反対の方角。
岩手県の沿岸部で唯一の映画館という。
市民活動によって生まれた映画館で、
日本で唯一、生協が運営しているのだときいた。


すでに数百枚の前売券が売れているという。
僕のNHK時代の同期で、「タイマグラばあちゃん」を製作した
澄川嘉彦監督(岩手県の北上山地に住んでいる)も
この上映に向けてずっと応援をしてくれてきた。
岩手の皆さんに「ひめゆり」がどのように受け止められるのか、
とても楽しみだ。


宮古シネマリーンの問合せ先は
TEL&FAX 0193-64-5588
【7/7(土)~7/13(金)】
10:50/13:20/19:00~終21:10  ⇒詳しくはこちらへ

2007年7月 8日

子供たちの感想から

ポレポレ東中野には、小・中学生も観に来てくれることがある。
感想BOXに残された、あるいは後から僕のもとに送られてきた
子供たちの感想から。


    この映画を見て・・・私にとって少しむずかしいなぁ・・・と思うトコロが
    たくさんありました。でも、将来(何10年後)
    私が大人になった時にきっと役に立つトキが
    来ると思います。そのトキはこの映画を思い出したい
    な・・・と思います。(12歳)


    戦争がない今は平和なんだなと思いました。
    目の前で友だちが死んでいくのを見るのは本当につらいこと
    だと思います。もう戦争をしないでいてほしいです。(13歳)


    2度目の映画でした。
    1回目では分からなかったコトが
    いっぱい分かりました。
    けがをした友人をおいて自分達だけ
    にげるのが、どれだけつらいか
    何となく分かるような気がします。(13歳)


    せんそうでいろんな人がしんでしま
    うのがかわいそうだったです。(8歳)


    まだわかいのにころされたり 
    しんぢゃってかわいそうだった。(7歳)


    お家に帰り、おばあちゃんと
    おしゃべりをしようと思いました。(?歳)


    個人研究のテーマは「ひめゆり部隊」のことについてだったので
    すごくいい映画でした。証言者の方々が言っていた言葉が何冊
    かの本に書いてあったけれども、同じ言葉でも証言者の方々から
    聞くと、ぜんぜんちがうふうに感じました。言葉では表現できない
    んだけど、なんかじっさいに体験しているからかなと思っています。
    すごくいろんな思いがつたわってきたので、今日見た映画もむだ
    にしないように、個人研究もうまくやっていきたいなーと思いました。
    (6年生)


映画評論家の村山匡一郎さんが、去年11月に試写会で見てくださったときから
「この映画は小学生でも十分に見れますよ」と言っていた。
僕自身は「難しいのでは」と半信半疑だったけど、
小さな子供たちの感性は想像以上に鋭いものなのだと、
子供たちの感想文から教えられた。 


明日あさっては、大阪へ。
今月21日からの大阪・第七藝術劇場での公開のためのキャンペーンだ。
久しぶりに、高校時代の恩師や同級生とも会える。 

2007年7月12日

大阪へ行ってきた

大阪へ行ってきた。
今月21日から映画を上映してくれる第七藝術劇場で、新聞社や放送局の方々から取材を受けた後、
高校時代の恩師・同級生たちと飲んだ。
高校のときいちばんよく時を過ごした親友のN君は
お父さんが沖縄出身。
今回いろいろ話してみて、彼にもひめゆり関係者の親戚がいることがわかった。


25年以上前、僕がまだ高校生だった頃
まさか自分が将来沖縄にかかわることになるとは夢にも思っていなかった。
恥ずかしながら、大学を卒業し、NHKの新人ディレクターとして沖縄放送局に赴任するまで、
沖縄に一歩も足を踏み入れたこともなかったし、
沖縄の歴史や文化についてもほとんど何も知らなかった。
N君と飲みながら、不思議な縁だなぁとつくづく思った。


翌日は、沖縄出身の人たちが多く暮らす大阪市大正区へ。
僕のカミさんのお父さんも、戦前から戦中にかけてここで暮らしていた。
商店街を歩いて偶然入った店のYさんは名護市出身。
僕のカミさんと同郷だ。
うちとけて話をするうちに、Yさんはカミさんの大親友とマタイトコにあたることが判明。
さらに、Yさんの小学校3年時の担任が、ひめゆり学徒隊の生存者だったという。
Yさんの美しい瞳に、60年ほど前にYさんたちを導いていた
うら若き先生の姿がくっきりと映っていた。


関西沖縄文庫の金城馨さんからも、さまざまなことを教えられた。
そのことは、いずれまた書きたい。

2007年7月14日

小泉修吉プロデューサーと211人の観客

「映画の力を信じなさい」――「ひめゆり」がオギャァと小さな産声を上げたころ
プロデューサーの小泉修吉さんは言った。
僕自身は、「この人たちに見せたい」と、ある観客を思い描いて
この映画を編集してきた。だから完成したばかりのとき、
多くの人がこの映画を観るという状況は想像できなかった。


小泉さんが、ポレポレ東中野の支配人の大槻さんに
「ちょっとこの映画観てくれない」と電話をし、
そこからひとつの車輪が回り始めた。
同じ頃、大兼久プロデューサーがCoccoさんに連絡をし
「ぜひ観てください」とお願いをした。
それがもうひとつの車輪となり、
映画「ひめゆり」は、人々の心に向かってゆっくり走り始めた。


ナレーションもドラマもなし。
無名の監督による、静かな映画。
ただ、語られた言葉の強さを信じた。
観てくれる人の想像力の豊かさを信じた。


1年近い時が過ぎた。
東京・ポレポレ東中野でのロードショーが昨日で終わった。
最初は正直言って、お客さんが多いとは言えない日が続いたが、
観て下さった方々が、知人・友人やご家族に声をかけてくださり
手から手へ、口から口へと想いが伝わっていった。
おかげさまで、最終的には予想以上のお客様に観ていただけ
8月4日からアンコール上映をすることも決まった。


静かに静かに、想いを伝えようとするこの映画。
小泉さんは「英語版を作った方がいい」ともいう。
果たして、この映画は海外の人たちにも伝わるものなのだろうか。
僕が「ぜひ観てほしい」と願っていた観客
   ――それは亡くなった211人のひめゆりの少女たちなのだが、
その向こうに、
はたしてどのような人たちが、この映画を待っていてくれるのだろう。


やはり自信はない。
が、信じてみようか・・・。

2007年7月18日

辺野古の危機

いま、沖縄、 辺野古の基地建設をめぐり、
ここ数週間かなり状況が逼迫していてます。
皆さま既にご存知とは思いますが、念のため、情報をお伝えしたいと思います。
ここのところ様々な情報が僕のもとに届いています。
とても心を痛め、何かできないかと考えています。
この頁のさらなる転送大歓迎。どうぞよろしくお願いします。柴田昌平


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《以下はジャーナリスト、近田洋一さんからのメールです》


親しいみなさまへ
参院戦の最中です。新潟で大きな地震がありました。いずれも重要なニュースで強い関心を持ち、心を痛めています。地方紙も大手メディアの地域面はこの時期「夏の甲子園・地区予選」の記事で埋め尽くされています。
結構です。
だがこれでいいのでしょうか。沖縄・辺野古では連日防衛省が出動し、基地建設を強行しています。あろうことか、この先の東村高江では新たなヘリパット建設に強行着手。現地で必死に抵抗しています。メディアでは伝わってきません。
僕のもとには朝、夕、そしてこの時間、さらには明け方まで、刻々とその日の動きが入ってきます。
すべてお伝えすることはできません。
せめて、次の認識を持って頂きたいと思います。
①沖縄はかつて本土防衛の「捨て石」だった。いまもそうです。
②戦後27年米軍支配中も捨て石であった。今もそうです。
■状況は変わったか?。最悪です。総攻撃に日本軍が加わっっているのです。

就任した小池防衛大臣は辺野古ヘリ基地建設でこれまでの長官が曖昧にしていたことをずばり言ってのけました。「現地・沖縄県との位置をめぐる調整問題は理解してもらうよう努める。だが日米合意の履行が最優先だ」。
今、沖縄の辺野古・東村高江で起きている重大な事態は、この意志の貫徹です。

沖縄は、今、日米両軍から大がかりな総攻撃を受けているのです。報道も、選挙と震災報道(高校野球)に埋もれ、消されています。くたくたに疲れ切り、なお諦めない現地・仲間の声を聞いてください。
BCCでご容赦を。可能な限り転送してください。
        近田洋一  ジャーナリスト(元琉球新報記者・同埼玉新聞記者)                                 


----- Original Message -----
From: "辺野古浜集会" <>
Sent: Tuesday, July 17, 2007 9:18 PM
Subject: 辺野古浜通信-53


>
> 近田 洋一様
>
> 防衛施設局の横暴・暴力がエスカレートしています。
>
> 今朝、雷注意報が発令され、雷雲の下、落雷の危険がある中で、那覇防 衛施設局は作業員、漁民を命の危険に晒す出向命令をだし、作業を強行 させました。
>
> また、今夕、防衛施設局がチャーターした「愛華丸」船長が走っている 船の上から女性ダイバーの腕をつかんで海中を引きずり廻しました。
> 幸い引きずられたダイバーに怪我はありませんでしたが、命に関わる大 暴挙です。
>
>
> 人を殺すことを目的とした軍隊は、他国民だけでなく、自国民をも殺す 存在であるのは、60年前の事実であるだけでなく、今、現在の沖縄で も、その忌まわしい目的を遂げるためにあるという
> ことをわたし達は記 憶し、記録し、発言し、行動し続けなければなりません。
>
> 各部署への抗議活動を行うととみに、それぞれ後で関係するマスコミに この事実を伝え、辺野古の現実を報道するよう強く要請をお願いしま す。(あくまで丁寧な文章で抗議をお願いします)
> 辺野古へ、高江へ人を送って下さい。
>
> 辺野古浜集会より*******
> 基地建設阻止 http://henoko.jp/fromhenoko/
> 以上、“転送歓迎”です。
>


2007年7月19日

8.15 - 8.16Coccoさんも参加しての上映会 「ひめゆりの風」

ホームページでお知らせしている8月15日と16日の特別上映会。
構想は、4月中旬にさかのぼる。
沖縄・桜坂劇場での上映を終えたとき、
観客数はドキュメンタリー映画としては桜坂劇場始まって以来最高となったが、
若い人がとても少ないことが気になっていた。


「なぜ若い人はあまり映画を観に来てくれないのだろう」と
このブログで知り合ったCoccoさんのファンの何人かに尋ねてみた。
今では僕にとって大切な20代の相談役だ。


    「こわいっていう先入観があるから。友達に試写会の話をしたとき
     『その映画って残酷な怖いシーンない?映画って逃げられないから』
     と 怯えていました。そういうイメージってやはり強いんですね。
     怖さの壁でその先の真実を見れないことって多いから。
      『ひめゆり』はその壁は拭えないにしても門だけは大きく開かれてるはずなので
     そこからみんなに覗いて欲しいなぁと思うのでした…」


    「子供のころ平和教育で『裸足のゲン』を見てから、
     こわくて、私はこういう話題に拒否反応が出るようになっていました。
     ひめゆりは勇気をもって見てみようと思うけど・・・自信がありません」


僕は 「ひめゆり」は “希望の映画” だと思っているけど、
怖さの壁を克服してもらうための積極的なきっかけを作る必要があるのだと痛感。
そのためのきっかけ作りを、Coccoさんに相談したのだった。


折りしも、8月15日は、Coccoさんにとっては、
一年間毎日新聞で連載してきた「想い事。」が単行本として発刊される日。
ゴミゼロを、今年は「想い事。」の本として伝えたいのだという。


8月15日、16日という日本にとっては大切な節目の日。
沖縄からは、ひめゆり学徒生存者の島袋淑子さんと宮城喜久子さんも
若い人たちと平和について語り、考えたいという想いで、来てくださる。
Coccoさんを始め、出演者も裏方のスタッフもみなボランティア、
手弁当で作り上げる上映会だ。


「ひめゆり」を観ようと思いながらも、ためらっている若い人へ。
心の扉を開け、一歩踏み込んで来て欲しい。
そうすれば、もっともっと勇気をもって生きられるだろう・・・。
この上映会、そんな思いを共有しあえるよう大切な場にしたいと思っている。


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「ひめゆり」は、大阪・第七藝術劇場でもまもなく劇場公開が始まり、8月17日まで続きます。
8月中旬には、名古屋・シネマスコーレでも公開されているほか、
東京・ポレポレ東中野でもアンコール上映が行われています。
8月11日には多摩市でも自主上映会(多摩平和イベント実行委員会)があります。
8月15、16日に来れない方も、ぜひ、そうした上映の場に来ていただき、
思いを共有していただければ幸いです。

2007年7月20日

大阪へ行きます

いよいよ大阪での劇場公開が始まります。
僕も、21日(土)、22日(日)は監督トークに行きます。
すべての回終了後、ゆっくり観客の皆さんと話をする場も
設けてくれているようです。
このブログを読んでいる方、ぜひ来て下さい!
遠慮しないで、僕に声をかけてくださいね。

劇場は、第七藝術劇場、通称「ななげい」です。

2007年7月22日

大阪の若い人から届いたメールより

Coccoさんが大阪のFM番組で
金曜日に映画「ひめゆり」について話してくれた。
大阪の第七藝術劇場の上映には、ラジオ放送を聴いた
たくさんの若い人たちが観に来てくれた。
そして、こんなメッセージが届いた。


     こんにちは。
     今日、大阪の二回目の公演を見に行って、
     coccoのことと併せて感想をのべたトモエです。
     覚えていらっしゃいますか??


ちょっと解説すると、21日、22日の二日間は、
第七藝術劇場の支配人の松村さんの配慮で、
上映後、映画を観てくれた人と僕とゆっくりおしゃべりができる場を
別室に設けてくれた。
僕にとっては、映画を観てくれた方々と直接ゆっくり話せる、とてもありがたい機会だった。
トモエさんは、映画のあとも残って、おしゃべり会に参加してくれてた一人。


     あの時、本当に言いたいことを言えたかどうか、わかりません。
     ただ、若い人が、過去の悲惨な出来事から目を背けようとしていて、
     平和ボケしている事が、今の現状であることには、間違いないと思います。
     そして、私もその一人でした。
     coccoのラジオを聞くまで、私にとってあの戦争とは、「歴史」なのです。
     繰り返される「歴史」の戦い。例えば天下分け目の戦や、関が原の戦、
     その延長線上として、第二次世界大戦があります。


     学生の頃、夏休みにも関わらず終戦記念日に集合がかかって、
     戦争体験者の話を蒸し暑い体育館の中で無理矢理聞く、ってのがありました。
     あの頃は、ただただ、つまらない、と思っていました。
     それから、昨日まで、恐らく私の中でも、戦争は身近ではありませんでした。
     昨日、coccoの泣きながらの「ひめゆり」についての事を聞いて、
     私は、戦争が「歴史」から、「現実」に変わりました。


     coccoが、私を、過去と今を繋げてくれました。


     ひめゆりについて、知識はゼロ。名前と「戦争看護」というくらいでした。
     そんな私でも、ひめゆり学徒が、一体どんな事をしていたかというのが、
     痛いくらい分かりました。本当に、痛いくらい・・・・・。


     辛いことを思い出し、語ることの辛さ、覚悟、勇気。
     おばぁ達が、証言してくれた、たくさんの現実。
     そして、映像の無差別攻撃。


     其れを見て、私は、「何故?」がふえました。


     「何故」あんなに無差別に森を焼き、防空壕に爆弾を入れ、
     全てを壊滅させるほどの事をしたのか。
     「何故」沖縄だったのか。
     そして、
     そんな悲惨な状況にさせられたのに、
     「何故」今、米軍と共存している沖縄があるのか。


     其れは、今後、自ら学ぼうと思います。


     私には、そう思わせて頂いた映画でした。
     言葉で言えないケド感じる事を感じれました。


戦争が「歴史」から「現実」に変わったというトモエさんの言葉。
そこから生まれたたくさんの「何故?」。
この映画がそんな入口になったと聞き、伊丹空港でのこのメールを読んだ僕は、
疲れが吹き飛ぶくらい嬉しかった。
ありがとう。

2007年7月25日

大阪のたえこさんより

大阪のたえこさんからメールが届いた。
たえこさんは、去年11月6日にもメールをいただいたことがある。
そのときは、「8月に(ひめゆり資料館を)訪れたとき、
私の元へ歩み寄ろうとしてきてくれたおばぁから、避けるように逃げてしまいました。
今にも泣きそうになっていた私は、泣いてしまうのが恥ずかしかった」
ということだった。
このことをきっかけに、僕と何度かメールでやりとりをしてきた人だった。


     本当につよい映画で、今まで見たどんな映画よりもがっちりと
     心をわしづかみにされてしまっています。
     宮良さんの「つらいですよね」と言いながら微笑んだ、
     とてもやさしい笑顔が印象的でした。


     知らないでいようと思えば避けて通れるし、
     生きていけるけど、
     知らないで生きることと
     知った上で生きることは
     大きく違うと思います。
     私なりの方法で、
     向き合って行くつもりです。


ありがとう。
そうそう、きちんと気づかなかったけど、
7月20日のCoccoさんのラジオでは、たえこさんのメッセージを
Coccoさんが読んでくれたんだってね!!


お会いして、想像どおり、素直で包容力のある方だなあと思いました。
人生の宿題―――できなかったこと、悔やまれることがたくさんあるっていうことは、
逆にいえば、いろんな可能性があることですよね。
僕もひめゆりのおばちゃんたちから「少しは大人になったかな」と
言ってもらえる程度の人間なので、そう信じて歩んでいます。


これからも、どうか「ひめゆり」のこと見守り、応援してください。

2007年7月26日

大阪のゆかさんから

大阪のゆかさんからのメールです。


    ロビーで泣きながら監督に話しかけたのですが覚えていらっしゃいますか?


もちろん覚えています。
「こんな映画みると、おまえ2-3日は泣いて暮らすことになるから行くなよ」
とご主人に言われ、内緒で来ていたんですよね?
遅く帰って、怒られませんでしたか?


     私の帰りが遅いことに少し怒っていましたが
     どんなに映画がすばらしかったか、懇親会に出たことが
     どんなに意味のあるものだったかをたくさん話したら
     わかってくれました。大丈夫です(笑)。


よかった!!


     私事なのですが、母が16の時に突然亡くなりました。
     でも、毎日は過ぎていくし、身近な人の突然の死というのはあまりに非日常で
     そのことを自分なりに納得するまでとても時間がかかりました。
     母親がいない現実を人に話せるようになるまで、
     やっぱりかなり時間がかかりました。
     でも、強くならないとがんばれなくて必死で強くなろうとしました。
     そういうことがあったので、なんとなくおばぁたちの気持ちが
     少しわかるような気がしたのです。


そういうふうに観てもらえると、とても嬉しいです。
自分がこれまでどういう経験をしたかによって、この映画、観え方がぜんぜん違う。
ゆかさんが、映画を、自分のこととして受け止めてくれたことに感謝します。


     この映画を見て、『ひめゆり=戦争=怖い』という考えはなくなりました。
     本当に怖いのは人が人の心を無くすことだと思います。


ほんとうにそうです!!
僕も、この証言のところ、何度見てもギクッとします。


     映画を見てひめゆりのおばぁたちに会いに行きたいと思いました。


ゆかさんの行動力、すごい、まるでCoccoみたいだ!
こんどは、ご主人と一緒にぜひ!!


     今回は、本当に意味のある時間を共有できたことを嬉しく思います。
     また、2作目、3作目と映像化されることを願っています。


これからも、どうか応援してください。よろしくお願いします。

2007年7月27日

JCJ賞特別賞 受賞

日本ジャーナリスト会議(JCJ)が年に一度、
「年間のすぐれたジャーナリズム活動・作品を選定して賞を贈り、顕彰する」という
JCJ賞特別賞に「ひめゆり」が選ばれた。
映画を観てくださたある新聞記者の方が
ひとりでも多くの人にこの映画を知ってほしいという願いを込めて
JCJに推薦してくださり、選考が行われた。
ジャーナリストの方々によって選ばれた、という点が意義深い。


とても良かったと思うのは、
映画作品の受賞の場合、
通常は映画監督ばかりが受賞者となることが多いのだが、
JCJ賞では、
ひめゆりの皆さんと僕らとの共同作業の結果としての映画を評価するという見識を示し、
共同受賞者として両者をきちんと明記していただくことになった。
おばちゃんたちの長年の歩みがきちんと評価されたという意味で、本当にうれしい。


以下、JCJ(日本ジャーナリスト会議)による発表より。


    受賞作 〈ドキュメンタリー映画〉『ひめゆり』
    受賞者  監督 柴田昌平、
          共同製作 財団法人沖縄県女師・一高女ひめゆり同窓会
    受賞理由 沖縄戦から60年以上を経たが、10代の少女期に従軍看護要員として
          地獄を経験したひめゆり学徒隊の生存者は、語れない、語りたくない
          記憶を抱えている。それを元NHKディレクターの監督が13年かかって
          聞き出した証言の映像。「集団自決」問題などで歴史の改ざんが行わ
          れようとしている現在、意義深い作品というべきだ。


8月11日(土)に授賞式がある。

2007年7月28日

フィンランド・妖精との対話

大切なことを一言で表すのは難しい。
「戦争反対」「平和」と言葉でいうのは簡単だが、
その心を理解できるように伝えるのは容易ではない。


同じように、「自然との共存」――言うは易し、だが、体感するのは至難だ。
このテーマに、僕は一年間、テレビ・ドキュメンタリー番組として挑んできた。
きょう、ようやくその放送のメドが立った。


8月19日(日)21時~ NHKスペシャル
「世界里山紀行 フィンランド 森・妖精との対話」
(NHK総合テレビ)


8月27日(月)22時~ NHKスペシャル
「世界里山紀行 中国・雲南 竹とともに生きる」
(NHK総合テレビ)


この一年間のうち、120日以上を、僕はフィンランドや雲南の農村で過ごした。
数ヶ月間、徹夜の編集作業もつづけてきた。
「ひめゆり」とともに、もし時間があったら観てほしい。

2007年7月30日

長野の上映会へ

長野の上映会に行ってきた。
直前までNHKの仕事が忙しくて行けるかどうか危ぶまれたが
何とか調整でき、新幹線に飛び乗った。


女性たち4人が実行委員となっての手作りの上映会。
「当日券がたくさん売れるという、長野では信じられない状況」となり、
多くの人が観てくださった。


上映の合間に、「茶話会(さわかい)」といって、
映画をご覧になった方々との懇親会があった。
長野の人たちはみな、自分の考えをきちんとまとめて話すのが
上手だなあと思わされた。
長野市には、「松代大本営壕(まつしろ・だいほんえいごう)」といって
巨大な地下壕の跡が残る。
第二次世界大戦の末期、本土決戦になったときに、国の中枢機関を移そうと
朝鮮人労働者などが動員され掘られた人工の地下壕。
ちょうど沖縄戦が行われていたころ、
7000人以上ともいわれる朝鮮の人たちが
昼夜二交代の労働に駆り出されていた。
宮城(皇居)、政府の諸官庁の主要部、NHKなど、
天皇制国家を支える中枢機関がまとめてここに移転する計画だった。
もし沖縄戦と同じことが日本本土で行われていたら、
国の中枢のある長野はどうなったろうか・・・・
そんな問題意識を持って観に来られた観客もいらした。


    「ひめゆりは、押しつけがなく、
    自分で考えられる映画でした。
    ドキュメンタリー映画って、良いですね。
    これから、長野でこうしたドキュメンタリー映画を観られる機会を
    作っていけたらいいなぁと思いました。
    誰かにこうしてくださいと頼るのではなく、
    自分でできることをやるということが大切だと最近思っているんです」


実行委員の方がそうおっしゃっていたことが心に残った。
ものごとにじっと目や耳をこらす、そして自分できちんと考えていく、
そんな一歩としてドキュメンタリー映画が広まって行けばいいなぁ。
テレビのドキュメンタリーとはまた違う、映画としてのドキュメンタリーの存在感が
もっともっと強まればいいなぁと、思いながら家路についた。


上映実行のために奔走してくださった皆さん、
準備に忙しく、ご自身が大画面でご覧になることはできませんでしたね。
ほんとうにおつかれさま、ありがとうございました。

2007年7月31日

人生の贈りもの~小田実

作家、小田実さんが亡くなった。
その著書、「何でもみてやろう」は学生時代に読み、
夢をふくらませたものだった。


つい一ヶ月ほど前、小田さんのインタビューが新聞に出ていて
とても共感したものだった。
突然の訃報に接し驚くとともに、
偉大な先達を失ったという残念な思いでいっぱいだ。


ご冥福を祈りながら、そのインタビュー記事を紹介したい。

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人生の贈りもの 作家 小田実(75)

――(聞き手)憲法が改正されても、今の日本が軍事大国になるとは考えにくい。

(小田) 戦争を知らない人は、戦争に向かっていくときは街に軍歌が鳴り響き、みんなが日本の勝利をひたすら祈っているような異常な状況になると思っているらしい。でも私の経験では、ありふれた日常の中で進行し、戦争へと突入していった
 ヒトラーだって、議会制民主主義のルールの中で平和的に政権交代したんですよ。私が今一番憂えているのはね、民主主義の理想を説いたワイマール憲法をつぶしてナチ独裁政権ができたときと同じことが、日本でも起きるんじゃないかということです。ヒトラーは憲法改正すらしなかった。ただ「国民と国家の困窮を救う」ために憲法を一時的に「棚上げ」すると議会で決め、再軍備に乗り出した。攻撃用の兵器をつくる意図はない、もっぱら防衛用の兵器に限定し、平和の維持に資するつもりだと言ってね。反ナチの人まで「立派だ」と褒めたんだよ。でも事態はどう変わったか。
 安倍さんは「美しい国」づくりのために改憲が必要だというが、なぜ必要かはきちんと説明しない。彼はなかなかの雄弁家だよ。小泉さんみたいにハッキリ言わないから、みんな、なんとなくそうかなと聞いている。どうなるかわかんないよ。

――(聞き手)憲法9条の平和主義は非現実的とまでいう人もいます

(小田) 自衛隊は解消し、世界を非暴力の世界に変える努力をしなければならないと私がいうと、理想論だ、現実的に考えよう、自衛隊は憲法でちゃんと認めて歯止めをかければよい、自衛のためには軍隊がいるという人が増えている。でも、本当にそれが現実的なのか。
 戦争でいちばんつらかったのは飢えと空襲だった。食糧切符をもらっても現物がない。あと半年戦争が続いたら栄養失調で死んでたよ。今でも日本の食糧自給率は40%。それから空襲。日本は全然抵抗する力がなかった。石油がないから。飛行機も飛ばんよ。日本は「普通の国」じゃないんだよ。そんな国が自衛のためだろうが何だろうが、戦争なんかできますか
 いまの若い人たちは、この冷厳たる事実を知らんわけや。日本が戦争できるような顔してしゃべってる。理想でもなんでもない、現実でるよ。そこから出発しないと。

                            (朝日新聞2007年6月28日夕刊より)
下線は柴田

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