東京に戻った。
旅の間、インターネットがつながらない場所にいることが多く、
ブログも更新できなかった。
きょうは、僕が8月14日付の琉球新報に
書かせていただいた記事を紹介したい。
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「お菓子の好きな 巴里(パリ)娘
二人そろえば いそいそと
角の菓子屋へ ボンジュール」
今年7月に発売された沖縄出身の歌手Coccoさんのアルバムの中の一曲
「お菓子と娘」はこんな小洒落たパリジェンヌの姿を歌っている。
「お菓子と娘」は、今から62年前、沖縄戦のまっさなか、南風原の陸軍病院で
壕掘りをしていたひめゆり学徒隊の生徒たちを励まそうと、
引率した若い女教師、親泊千代先生が歌った歌。
生徒たちは壕の中でやんやと喝采、笑い転げたという。
「選(よ)る間(ま)も遅し エクレール
腰もかけずに むしゃむしゃと
食べて口拭く 巴里娘」
現代に蘇った「お菓子と娘」。
歌ったCoccoさんは、沖縄芝居の巨匠、真喜志康忠の孫娘。
いま10代から30代の若者たちの心を広く強くつかんでいるスターだ。
昨年8月15日に彼女は故郷沖縄で初めてのコンサートを開き、
約三千二百人が歌声に聴き入った。
コンサートの中ごろでCoccoさんは語った、前日ひめゆりの塔を訪れたこと。
そして、ひめゆりという場所が、みんなの祈りに満ちた、
痛いけれどもやさしい場所になっていたことを。
私は、このことを知り、Coccoさんのもとに映画「ひめゆり」を届けた。
映画を観たCoccoさんからすぐメッセージが帰ってきた。
「“忘れたいこと”を 話してくれてありがとう。
“忘れちゃいけないこと”を 話してくれてありがとう。
映画の完成を待たずに 3人の証言者が亡くなっている。
ひとつひとつ 私たちは失くしていく。 全てを失くす前に叶えたい。
私は歌をうたいたいと願うよ。なんにも分かっちゃいない私は
せめておばぁたちが好きだった歌をうたおう。
燦燦と陽の降り注ぐあの場所で待っててね。
今、祈りの溢れるあの場所で生きていて。」
Coccoさんのメッセージは、彼女が連載していた毎日新聞のコラム「想い事。」に載って、
全国の若い人たちのもとに届いていった。
「せめておばぁたちが好きだった歌をうたおう」Coccoさんの真意を、
当初、私は分からないでいた。
新曲を作るのだろうかとも想像していた。
答えが分かったのは、今年1月のことだった。
北風の吹く冬の雨の日、私はバスに乗って
沖縄本島北部でレコーディングをしているというCoccoさんのもとを訪れた。
国頭山中の小屋を録音スタジオに改造し、Coccoさんたちは合宿生活を送っていた。
Coccoさんから、ひめゆりのおばちゃんたちに一枚のCDを託された。
録音したばかりの曲だと言う。
「途中で絶対に開けないで」とCoccoさんは言い、CDを紙に包み
麻紐でくるっと封をして私に手渡した。
翌日、私はひめゆり学徒の生存者たちが集まる会合の席へと足を運んだ。
そしてCDをプレーヤーにかけた。
「3、2、1、はい!」というCoccoさんの掛け声につづいて、
ギターの軽やかな前奏、そして歌が始まった。
驚いたことに、Coccoさんの歌声よりも先に、ひめゆりのおばちゃんたちの歌声が
ハーモニーとなって響き渡った。「お菓子の好きなパリ娘・・・・」。
え、これがあの「お菓子と娘」なんだ!
私は13年間ひめゆりのおばちゃんたちと向き合い、
「お菓子と娘」という名の曲のエピソードも聞いていた。
しかしその音楽そのものは知らないでいた。知ろうともしないでいた。
Coccoさんは、たった一回映画「ひめゆり」を観ただけなのに、
その中で証言者がちらっと口にした「お菓子の好きなパリ娘」のエピソードを
聞き逃さなかったのだ。
そして自ら楽譜を発掘し、歌ってくれたのだった。
かつてひめゆりの学園のあった那覇市栄町市場の一角、
今はひめゆり同窓会館のある会議室に、
Coccoさんの歌声とおばちゃんたちの歌声が唱和して、響きあった。
その場に居たひめゆりのおばちゃんたちのほとんどが、
Coccoさんの歌に合わせ自然に口ずさんだ。
みなよく覚えていた。
Coccoさんの歌声で甦った「お菓子と娘」。
確かに、鮮やかに見えるようだ、壕の中の笑い声・・・。
そう、戦争はありふれた日常の背後で静かに進行し、
気づいたときにはどうにもならない状況に突入していた。
(琉球新報2007年8月14日朝刊に寄稿した記事より)