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2007年8月 アーカイブ

2007年8月 5日

Tさんからの励まし

8月15日、16日の上映会「ひめゆりの風」を
ボランティアで手伝ってくれているTさんから

    監督もヘロヘロだと思いますが、がんばりませう。

というメールをもらい、感謝感激。
僕の仕事があまりに忙しく、他人のことを考える余裕がついついなくなりがちだけど、
Tさんもお父さんが闘病中で自らも超多忙、
そんなような人たちが懸命に支えてくれていると思うと
ほんとうに頭が下がる。
ありがとう。


いま、僕自身は、8月19日放送のNHKスペシャル「世界里山紀行・フィンランド・森・妖精との対話」
という番組の最終仕上げのため、毎日スタジオ作業がつづいている。
微妙な表現をめぐってスタッフの間で大議論をしたり、
思うようにならなかったり、予期していなかった良い表現にたどりついたり。。。


相変わらず眠る時間がない状態だけど、
ポレポレ東中野でのレイトショーも始まった。
うまく時間を作って、また劇場に様子を観に行ってみたい。
映画を観てくれた人との出会いからは、必ず大きな力や新たな発想をもらえるから。

2007年8月 6日

広島のちぴぴさんから

きょう8月6日、広島は祈りに満ちた一日だったことだろう。
この世から核兵器や紛争がなくなる日まで、みなで考え、
ひとつでも行動ができたらと思う。
そんな原爆の日を迎えた広島に暮らすちぴぴさんからメールが届いた。


    いよいよ広島ですね。


そう、いよいよ9月1日には、広島で「ひめゆり」のロードショー公開が始まる。
ちぴぴさんは、まだ「ひめゆり」は観ていない。


実は、去年11月にCoccoさんの「想い事」が新聞に出たその日に
ちぴぴさんはすぐに反応してくれた。
僕らに応援のメールをくれたほか、
広島市内の映画館に「ひめゆりという映画がある、上映して」と電話してくれた。
その後、ちぴぴさんや、友人・知人たちの働きかけもあって
9月の「ひめゆり」広島劇場上映が決まったのだった。


    こんな、自分でできるとても小さな歩みが、
    わたしの中で小さな物語となって今日のわたしを創っていくようで、
    すこしづつわたしの「核」に近づいていくようで、・・・楽しくて、嬉しいのです。


    Coccoと「ひめゆり」は、わたしにとって
    自分への扉を開いてくれる大きな存在です。
    でも、まだわたしは「ひめゆり」を知りません。
    いまだ「自分自身」を知らないように。
    だから、観たいし、知りたい。


ちぴぴさんは、自ら歌を作り、歌うのだという。
今度広島に行ったとき、彼女の歌をぜひ聴いてみたい。


ちぴぴさんは、仕事の資格を取るために京都に1週間勉強に行っていたという。


    試験は合格だった。
    なんだか、わたし、とんでもなく果てしない道を
    歩き始めてしまったんだろうか。
    それが自分へと通じる道ならば、きっと歩きつづけていけると思う。
    わたしだって、もう一日だって立ち止まりたくはないんだ。
    冬眠、春眠が長かったから。


と彼女のブログにあった。
がんばれ、がんばれ。前向きに。
僕もがんばるよー。

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「ひめゆり」の広島公開は 横川シネマにて
9月1日(土)~9月21日(金) ①11:00~ ②13:30~ ③16:00~ ④18:30~
9月22日(土)~        ①11:00~
 ※ただし9月15日(土)は、1回目(11:00~)のみの上映。
 ※9/1(土)2(日)は、各回上映後に監督舞台挨拶を予定。

2007年8月13日

こんな日々です

あまりに多忙で更新がぜんぜんできなかった。


8月11日、昼はJCJ賞の授賞式へ。審査員全員一致で特別賞に決まったと聞き恐縮。


夕方からは、多摩平和イベントの上映会へ。


途中、体が持たなくなり、多摩市役所の分庁舎の一室で仮眠させてもらいながら
夜は実行委員の皆さんと懇親会へ。(皆さん、ありがとうございました)


自宅に帰ってから、夜中に、
NHKスペシャル「世界里山紀行」のナレーション原稿チェック。


8月19日(日)夜9時からNHK総合テレビで放送の
NHKスペシャル「世界里山紀行・ フィンランド・森・妖精との対話」
ようやく完成。
放映する30秒PRは、こんな感じに作った。


    寂しい時、悲しい時、
    人々は、森の妖精たちと対話します。
    童話ムーミンのふるさと、フィンランド。
    あなたも妖精に会ってみませんか?


人間って何?
生きるって何?
PRはソフトだが、番組そのものは
生きものとしての人間の根源を見つめる力を持っていると思う。

2007年8月15日

ひめゆりの風 上映会

Coccoさんと、ひめゆりのおばちゃんたちと一緒に観る
上映会、「ひめゆりの風」の初日が終わった。
ボランティアで手伝ってくれた人たちの温もりも伝わるような
手作りの素敵な上映会となった。
Coccoさんと、ひめゆりのおばちゃんたちとの交流も素敵だった。
詳しいことは後日書きます。
みんな、ありがとう。

2007年8月16日

ひめゆりの風 2日目

胸がいっぱいで、言葉にならない。
Coccoさんと、ひめゆりの宮城喜久子さん、島袋淑子さんを招いての
上映会「ひめゆりの風」の2日目が終わった。
たくさんの「心のおみやげ」をもらい、次の時代につながっていく希望が見えた。


一歩を踏み出して映画を観に来てくれた人、本当にありがとう。
ボランティアで手伝ってくれたみんな、本当におつかれさま。


きのうお昼12時3分前に、新曲「ジュゴンの見える丘」のレコーディングを終え、
12時に黙祷を捧げてから会場に駆けつけてくれたCoccoさん。
夜は、FM東京のSchool of Lockに出演。
そこでも「ひめゆり」について語ってくれた。
http://www.tfm.co.jp/lock/himeyuri/index.html
明日は、北海道へ旅立つという。


僕は、明朝のフライトで沖縄へ。


抽選で外れて参加できなかった人、ごめんなさい。
詳しい報告は、後日、想いが言葉になるまで待っていてください。

2007年8月22日

沖縄から広島へ

沖縄から広島へ飛ぶ機上で書いている。
沖縄本島北部の名護、中部のコザでの上映会に参加。
地元の人たちの熱く深い共感を、肌で感した。


若い人がどんどん増えている。
映画「ひめゆり」の会場に、若者たちの姿が目立つ。
大阪・第七藝術劇場で4週間のロードショー公開を終えたが
支配人の松村さんが「若い観客がかつてなく多かった、
映画館の存続の将来に結びつく」と言ってくれた。
松村支配人からの働きかけで、京都市の福知山シネマでの上映も決まった。


さあ、広島ではどんなことになるだろう。
広島での劇場公開に向けて走ってくれている
Coccoファンの若きおっかさん、ちぴぴさんが、
ご主人とともに空港に迎えに来てくれる。

2007年8月23日

引率教員の悔恨 ~ 広島行脚へ

広島では、ちぴぴさんに案内されて
地元の新聞社やロードショー公開をしてくれる横川シネマをまわった。
中国新聞社の佐田尾さんは、僕の尊敬する宮本常一のことを
長年にわたって調べている記者でもあった。
宮本常一は「旅する巨人」ともいわれ、日本中の農村、山村、漁村を歩き
人々の暮らしを聞き書きしていった。
宮本の書いた「忘れられた日本人」(岩波新書)を学生時代に読んだことが
いまの僕の原点になっている。


横川シネマは、支配人の溝口さんが
切符もぎり、映写技師もすべて一人で兼ねる。
ということは、溝口さんは365日勤務、
溝口さんが倒れると映画館も成り立たない。
地元の人から「横シネ」と親しまれている
ほんとうに温かい映画館。
土地に根付いた劇場で上映できるのはとても嬉しい。


午後は別行動。
今後、広島在住の沖縄関係者などにも
ちぴぴさんが映画チラシなどを配ってくれるという。


  ~  ◇  ~  ◇  ~  ◇  ~  ◇  ~  ◇  ~


午後の照りつける日差しの中、
ひめゆり学徒の引率教員だったN先生の長女Mさんが広島在住と聞き、
広島市郊外の山裾のご自宅を訪ねて行った。


Mさんは少女時代を沖縄で過ごした。
しかし沖縄戦で、幸せな生活を分断された。
奈良出身の父に連れられて本土へ疎開、
その直後、沖縄の同級生の多くが戦争で亡くなった。
ひめゆりを引率した父親は、戦後、本土に戻ったが、
家庭を省みるよりも、亡くなった学徒たちの状況を伝えるために奔走し
悔恨から身を削って行った。
1950年代、お父さんは山口県内の川で遺体になって発見された。


  ~  ◇  ~  ◇  ~  ◇  ~  ◇  ~  ◇  ~


娘のMさんも、自分では意図していなくても沖縄から逃げたのではないか、
沖縄を切り捨てる側にいたのではないかと自らを苛んんだ。
その葛藤が、Mさんのその後の人生を形づくってきた。


Mさんは日本のドキュメンタリー番組(テレビ・ラジオ)を切り拓いてきた
女性ドキュメンタリストとして、とても高名な方。
僕がNHKに入ったばかりの頃、
勉強しようと正座しメモを取りながら観た「民族と海峡」(放送文化基金賞受賞作品)も
当時、地元放送局に勤務していたMさんの作品だったことが分かった。
戦争にこだわり、広島にこだわりつづけたMさんのドキュメンタリー作品づくりの原点に
沖縄への悲しくも深い共感とまなざしがあることを知った。

2007年8月24日

阿倍野ヒューマンドキュメンタリー映画祭

大阪へ着いた。
阿倍野ヒューマンドキュメンタリー映画祭に参加するためだ。
地元のボランティア有志と、行政(阿倍野区)が協力して開催している
この映画祭は今年で5回目。
きっかけは5年前、阿倍野区に精神障害者のための福祉施設建設が
設立されようとしていた対して起こった地元の反対運動。
反対をする人は区役所前にバリケードを張って石をなげるほどの
すごい排斥運動をしていたのだという。
それに対して、もっと障害者のことを知ろう、
人間の生き方の幅広さを知ろうと呼びかけるために
福祉関係の仕事をしている人たちが伊勢真一監督の「えんとこ」を
上映したことだったという。


人と人との垣根、健常者と障害者の垣根を無くしたいという
切実な思いから始まったこの映画祭に、
「ひめゆり」が招かれたことは、光栄だ。
「ひめゆり」は単に戦争のことを伝える映画ではなく
心に傷を負いながらもそれを乗りこえようとし、
尊厳を持って生きる女性たちの姿を見つめた映画でもあるのだから。

2007年8月26日

「お菓子と娘」 Coccoさんの歌声でよみがえる

東京に戻った。
旅の間、インターネットがつながらない場所にいることが多く、
ブログも更新できなかった。

きょうは、僕が8月14日付の琉球新報に
書かせていただいた記事を紹介したい。


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    「お菓子の好きな 巴里(パリ)娘
     二人そろえば いそいそと
     角の菓子屋へ ボンジュール」


今年7月に発売された沖縄出身の歌手Coccoさんのアルバムの中の一曲
「お菓子と娘」はこんな小洒落たパリジェンヌの姿を歌っている。
「お菓子と娘」は、今から62年前、沖縄戦のまっさなか、南風原の陸軍病院で
壕掘りをしていたひめゆり学徒隊の生徒たちを励まそうと、
引率した若い女教師、親泊千代先生が歌った歌。
生徒たちは壕の中でやんやと喝采、笑い転げたという。


     「選(よ)る間(ま)も遅し エクレール
      腰もかけずに むしゃむしゃと
      食べて口拭く 巴里娘」


現代に蘇った「お菓子と娘」。
歌ったCoccoさんは、沖縄芝居の巨匠、真喜志康忠の孫娘。
いま10代から30代の若者たちの心を広く強くつかんでいるスターだ。
昨年8月15日に彼女は故郷沖縄で初めてのコンサートを開き、
約三千二百人が歌声に聴き入った。
コンサートの中ごろでCoccoさんは語った、前日ひめゆりの塔を訪れたこと。
そして、ひめゆりという場所が、みんなの祈りに満ちた、
痛いけれどもやさしい場所になっていたことを。


私は、このことを知り、Coccoさんのもとに映画「ひめゆり」を届けた。
映画を観たCoccoさんからすぐメッセージが帰ってきた。


    「“忘れたいこと”を 話してくれてありがとう。
    “忘れちゃいけないこと”を 話してくれてありがとう。
    映画の完成を待たずに 3人の証言者が亡くなっている。
    ひとつひとつ 私たちは失くしていく。 全てを失くす前に叶えたい。
    私は歌をうたいたいと願うよ。なんにも分かっちゃいない私は 
    せめておばぁたちが好きだった歌をうたおう。
    燦燦と陽の降り注ぐあの場所で待っててね。
    今、祈りの溢れるあの場所で生きていて。」 


Coccoさんのメッセージは、彼女が連載していた毎日新聞のコラム「想い事。」に載って、
全国の若い人たちのもとに届いていった。


「せめておばぁたちが好きだった歌をうたおう」Coccoさんの真意を、
当初、私は分からないでいた。
新曲を作るのだろうかとも想像していた。
答えが分かったのは、今年1月のことだった。


北風の吹く冬の雨の日、私はバスに乗って
沖縄本島北部でレコーディングをしているというCoccoさんのもとを訪れた。
国頭山中の小屋を録音スタジオに改造し、Coccoさんたちは合宿生活を送っていた。
Coccoさんから、ひめゆりのおばちゃんたちに一枚のCDを託された。
録音したばかりの曲だと言う。
「途中で絶対に開けないで」とCoccoさんは言い、CDを紙に包み
麻紐でくるっと封をして私に手渡した。
翌日、私はひめゆり学徒の生存者たちが集まる会合の席へと足を運んだ。
そしてCDをプレーヤーにかけた。
「3、2、1、はい!」というCoccoさんの掛け声につづいて、
ギターの軽やかな前奏、そして歌が始まった。
驚いたことに、Coccoさんの歌声よりも先に、ひめゆりのおばちゃんたちの歌声が
ハーモニーとなって響き渡った。「お菓子の好きなパリ娘・・・・」。
え、これがあの「お菓子と娘」なんだ!


私は13年間ひめゆりのおばちゃんたちと向き合い、
「お菓子と娘」という名の曲のエピソードも聞いていた。
しかしその音楽そのものは知らないでいた。知ろうともしないでいた。
Coccoさんは、たった一回映画「ひめゆり」を観ただけなのに、
その中で証言者がちらっと口にした「お菓子の好きなパリ娘」のエピソードを
聞き逃さなかったのだ。
そして自ら楽譜を発掘し、歌ってくれたのだった。
かつてひめゆりの学園のあった那覇市栄町市場の一角、
今はひめゆり同窓会館のある会議室に、
Coccoさんの歌声とおばちゃんたちの歌声が唱和して、響きあった。
その場に居たひめゆりのおばちゃんたちのほとんどが、
Coccoさんの歌に合わせ自然に口ずさんだ。
みなよく覚えていた。


Coccoさんの歌声で甦った「お菓子と娘」。
確かに、鮮やかに見えるようだ、壕の中の笑い声・・・。
そう、戦争はありふれた日常の背後で静かに進行し、
気づいたときにはどうにもならない状況に突入していた。

    (琉球新報2007年8月14日朝刊に寄稿した記事より)

2007年8月27日

横浜のシネマ ジャック&ベティ

東京湾って狭いんだと思った。
横浜の映画館に、千葉・房総半島の先端の館山から
フェリーにのって「ひめゆり」を観に来て下さった方々がいた。


横浜の文化って奥深いと思った。
一度は閉館になった映画館を復活させた「シネマ・ジャック&ベティ」。
表玄関は、伊勢崎町という、古き良き商店街を通り抜けて行ったところにある。


しかし裏玄関というか、実質上の最寄駅は、京急の黄金町駅。
ここは数年前まで一大風俗営業店街だった。
若い女性や子供たちには怖くて近寄れない場所だった。


そこを、市民たちの手で売春宿を一掃。
映画に出てきそうな古い巣窟のような街並みをてがかりに
新たな街づくりをしようとしている。
名づけて「黄金町プロジェクト」。
新たな街の文化交流の拠点として、
映画館「ジャック&ベティ」を数ヶ月前に復活させた。


まだ知名度が低く、市民にも馴染みの薄いジャック&ベティだが、
街をよくしたいというボランティアの若い女性たちが
映画館の広報宣伝を担当している。
数年後には、地道な取り組みが実を結び、
この街がもっと素敵なところになっているのだろうなぁと、
若いスタッフの方々の姿に接しながら感じた。
一緒にがんばろう!!


シネマ・ジャック&ベティでは、9月7日まで「ひめゆり」を上映している。

2007年8月29日

大人であることを自覚している

Coccoさんのインタビューを、沖縄にいるとき、
沖縄タイムス紙上で目にした。(8月14日夕刊)
その中の一節が、僕の心から離れない。


    (記者) (新曲の「ジュゴンの見える丘」をめぐって)
          基地反対のシンボルになっているジュゴンを歌うことに、
          ためらいはなかったのか。

    (Cocco)「広告塔になることは予想できるけど、
          そんなことどうでもいい。
          どんと来いみたいな。
          ジュゴンの見える丘を守るすべは知らないけど、
          あきらめて、受け入れてしまったら、後悔する。
          現れてくれたジュゴンに敬意を払いたい」。

              (中略)

    (Cocco)「ただ世界平和を願うだけでなく、
          私は動き出す人だ
          十年歌ってきたし、
          大人であることを自覚している


紙上のCoccoさんの写真は、大人びながらも柔和に見えた。


「大人であることを自覚している」
今の世の中で、このように堂々と言える人って
どのぐらいいるのだろう。


彼女の覚悟の言葉が、僕の心から離れない。

2007年8月30日

いざ広島 横川シネマ へ

カメラマンの川口慎一郎君が、一昨晩の夜行バスで広島に向かった。
広島では、9月1日から、1日4回上映×3週間以上という
大ロードショー公開となる。
川口君は、広島出身。
広島でのロードショー公開に向けて、恩師や旧友などに協力をお願いするという。


先にも書いたが、地元で「横シネ」と呼ばれ愛される横川シネマ
30代の若き支配人、溝口さんが、切符のもぎりから映写、会場整理まで
すべてを一人でこなす。
もし「ひめゆり」の興行が失敗すると、劇場の経営が傾く・・・。
そうはしたくない!!
僕たちスタッフ全員がそう願って、さまざまなルートで呼びかけをしている。


横川シネマの溝口支配人のmixi日記に こんなことが書いてあった。

    デイタイム3週間+モーニングショーという、
    大きめのスケジュールを組んでいるので、
    勿論、お客さんから無視されれば、
    劇場的にもまた一気に追い詰められる事は間違いないのだけど、
    映画ファンだけでなく、それ以上に
    テーマに関心を寄せてくれる一般の方たちの
    来館を待たなければならない作品には、
    効率的に…などという欲目を押さえて
    我慢する時間帯も含めたスケジュールを組まないと、
    作品を裏切る事になるのではないかという怖さがあるので。


ううむ・・・。
横シネの、妖気迫る独特のたたずまいは、
溝口支配人の孤高の志から来ているのか。
この劇場の灯火を消してなるものか。


Coccoファンのちぴぴさん、夜の帝王の長さん、頼みます!!
広島平和映画祭実行委員の皆さん、沖縄県人会の皆さん、お頼み申し上げます!!
青原先輩、無礼な後輩の作品ですが応援してください!
「タイマグラばあちゃん」の澄川君、いよいよで~す!


それにしても、僕は被爆者の方々と直接接したことはない。
広島での上映の後、広島で映像を通して平和を考えてきた人たちと
交流できるよう、民族文化映像研究所時代の先輩、青原さんが
セッティングしてくれると言っている。
過酷な記憶をいま語ることについて、いろんな意見を聞きたい。


僕もまもなく広島へ向かう。
まずは、31日昼のRCCラジオに生出演させてもらうことになっている。
その場で直接、広島の人たちに想いを伝えたい。


■RCCラジオ 午後1時15分~30分 
 本名正憲のきょうもゴゴイチ内 「こんなこと聞きたい」

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■FM横浜の9月1日(日曜)夕方6時半からのRYUKYU TIME という番組でも
 「ひめゆり」が紹介される予定です。

About 2007年8月

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