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引率教員の悔恨 ~ 広島行脚へ

広島では、ちぴぴさんに案内されて
地元の新聞社やロードショー公開をしてくれる横川シネマをまわった。
中国新聞社の佐田尾さんは、僕の尊敬する宮本常一のことを
長年にわたって調べている記者でもあった。
宮本常一は「旅する巨人」ともいわれ、日本中の農村、山村、漁村を歩き
人々の暮らしを聞き書きしていった。
宮本の書いた「忘れられた日本人」(岩波新書)を学生時代に読んだことが
いまの僕の原点になっている。


横川シネマは、支配人の溝口さんが
切符もぎり、映写技師もすべて一人で兼ねる。
ということは、溝口さんは365日勤務、
溝口さんが倒れると映画館も成り立たない。
地元の人から「横シネ」と親しまれている
ほんとうに温かい映画館。
土地に根付いた劇場で上映できるのはとても嬉しい。


午後は別行動。
今後、広島在住の沖縄関係者などにも
ちぴぴさんが映画チラシなどを配ってくれるという。


  ~  ◇  ~  ◇  ~  ◇  ~  ◇  ~  ◇  ~


午後の照りつける日差しの中、
ひめゆり学徒の引率教員だったN先生の長女Mさんが広島在住と聞き、
広島市郊外の山裾のご自宅を訪ねて行った。


Mさんは少女時代を沖縄で過ごした。
しかし沖縄戦で、幸せな生活を分断された。
奈良出身の父に連れられて本土へ疎開、
その直後、沖縄の同級生の多くが戦争で亡くなった。
ひめゆりを引率した父親は、戦後、本土に戻ったが、
家庭を省みるよりも、亡くなった学徒たちの状況を伝えるために奔走し
悔恨から身を削って行った。
1950年代、お父さんは山口県内の川で遺体になって発見された。


  ~  ◇  ~  ◇  ~  ◇  ~  ◇  ~  ◇  ~


娘のMさんも、自分では意図していなくても沖縄から逃げたのではないか、
沖縄を切り捨てる側にいたのではないかと自らを苛んんだ。
その葛藤が、Mさんのその後の人生を形づくってきた。


Mさんは日本のドキュメンタリー番組(テレビ・ラジオ)を切り拓いてきた
女性ドキュメンタリストとして、とても高名な方。
僕がNHKに入ったばかりの頃、
勉強しようと正座しメモを取りながら観た「民族と海峡」(放送文化基金賞受賞作品)も
当時、地元放送局に勤務していたMさんの作品だったことが分かった。
戦争にこだわり、広島にこだわりつづけたMさんのドキュメンタリー作品づくりの原点に
沖縄への悲しくも深い共感とまなざしがあることを知った。

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2007年8月23日 23:59に投稿されたエントリーのページです。

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