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2007年12月 アーカイブ

2007年12月 2日

アニメにむけて

きょう、明日とまた沖縄へ。
沖縄戦の体験を子供たちにも伝えられるよう
ひめゆりをテーマにしたアニメ制作を
ひめゆり平和祈念資料館から相談され
1年以上前から計画を練っている。


20年たっても、30年たっても色あせないアニメ作品、
そして沖縄戦を体験したおばちゃんたちにも納得してもらえるアニメ作品を
果たして作れるのか、作るとしたらどうすればよいのか。


いろいろな人に会い、また調査を重ねてきた結果、
アニメの原画作者を、学生を含む一般から広く公募しようと思い定めた。
計画の最終的な詰めのための打合せに行く。


マッドハウスの丸山正雄さんらにも選考委員に加わっていただく。
丸山さんは、『はだしのゲン』『アンネの日記』といった戦争に向き合った作品のほか、
『千年女優』『茄子 アンダルシアの夏』『東京ゴッドファーザーズ』『時をかける少女』など
すぐれた劇場公開アニメ作品を手がけてきた大プロデューサーだ。
「ドキュメンタリー映画『ひめゆり』にかなうアニメは作れない」と丸山さんはおっしゃたが、
僕は、ドキュメンタリーとは違った次元の、既存の発想にはないアニメを模索したいと伝えた。
「新しい発想で力強い作品を描いてくれる作家を探し出し、生み出すのは
 宝くじを買うような、万に一つしかない可能性を求めるようなものだが、
 引かないよりは引いた方がいいでしょう」
との丸山さんの言葉を背中に聞きながら、まもなく飛び立つ。

2007年12月 7日

学習院女子大学へ

学習院女子大学の授業の一環での『ひめゆり』上映があり、
レンガの落ち着いた建物がならぶキャンパスに出かけた。
日本文化学科の木村直恵先生から、
ポレポレ東中野でこの映画をご覧になった上で、次のようなメールをいただいたことが
きっかけだった。


     学徒隊の方々が師範学校付属の高等女学校生であり、
     生存者が戦後は学校教員をなさるなど、たいへん知的で、
     語る言葉を持った女性たちであった
     ということを、たいへん印象深く思いました。
     本学も女子大学であり、在学生の多くは
     当時の彼女たちとあまり年齢も変わりません。
     学生たちと年も変わらない、若く知的な女性たちによって体験された
     戦争のもっとも凄惨な側面を明らかにする「ひめゆり」を通じて、
     戦争についての具体的な真実を知るとともに、
     考えるきっかけとしてほしいと思っています。


若い人に『ひめゆり』を観て欲しいと願っている僕らにとっては
とてもありがたい機会だった。
僕のつまらない話も含めて、熱心に受け止めてくれた学生さんたち、
ほんとうにありがとう。


少しずつ、学校で上映する機会が増えて来ている。
一般公開でないのでホームページの上映情報には載せていないが
これまでに、数多くの中学校、高校で上映していただいているほか、
大学では
青山学院大学、明治学院大学、藤女子大学で上映の機会を得た。
12月12日は、立命館大学 (これは一般公開もする ⇒詳しくは12月の上映情報
1月には、東京大学の「死生学の展開と組織化」というプロジェクトの一環での
上映が予定されている。

2007年12月 9日

北海道へ

ふだん僕は飛行機に乗ると、離陸も着陸もわからないぐらい、眠りこける。
疲れのたまっている僕にとって、飛行機は安眠の場なのだ。
が、昨日の、東京から札幌へ向かう機内では、一睡もできなかった。
わくわくする気持ちと、緊張する思いとがあって、前の晩から眠れなかった。


その理由は二つ。


僕は、札幌の街外れの小学校を卒業した。
その後、東京の中学校へと転校した。
30数年ぶりの札幌。
どんな風になっているのだろう、人生の思い出の欠片が見つかるだろうか、
そんな期待感があった。


もうひとつは、北海道と沖縄戦との関係。
沖縄戦では、北海道出身の方々の犠牲者がとても多い。
平和の礎」に刻まれているだけで1万人以上。
沖縄県民に次いで、北海道の人の犠牲が多いのだ。
3番目は福岡県出身者4千名余りだから、北海道の多さは桁外れ。
沖縄戦の死者の20人に1人は北海道の人だった。
北海道・東北の人を中心に、ひとつの師団(第24師団)が編成され、
最前線に投入された。
「棄民」のごとく、殺されるべき運命を背負わされたのだった。
『ひめゆり』では、北海道出身の兵隊さんと、女学生との交流が語られている。


北海道での上映では、きっと沖縄戦で亡くなった方のご遺族に出会うのだろうと
心して出かけて行ったのだ。


その通りだった。


昨日、岩見沢のお寺、廣隆寺さんの企画・主催による上映会。
上映後、男子学友のほとんどを沖縄戦で亡くしたというご婦人に出会った。
「その悔しさが忘れられず、この上映会にやってきました」
80歳のご婦人の瞳には、亡き学友たちの姿がいまも映っていた。


それにしても、心あたたまる上映会だった。
廣隆寺の住職、廣瀬さんご一家は、10年ほど前に、ひめゆり学徒生存者の
宮城喜久子さんと出会ったことをきっかけに、沖縄や広島などを結んでの平和活動を行ってきた。
門徒さんや地元の学校をうまく巻き込んでいる。
昨日は、『ひめゆり』上映後に
立命館慶祥中学・高校(江別市)のコーラス部員によるミニコンサートがあった。
「別れの曲」「さとうきびの歌」など、美しいハーモニーが奏でられた。
映画を観終わった人たちの心に、歌声はあたたかい灯のように響いたと思う。


歌ってくれた高校一年生の女の子が言った。
「歌う直前に『ひめゆり』を観て、みんなの歌い方が変わりました。
 やさしく、包み込むような歌い方をしたいと、みんなで話し合った。
 歌いたくても、戦争で歌えなかった人たちの思いを包み込むように・・・」
みな、とっても素敵なことを学んだんだね。

2007年12月10日

思い出の欠片

朝のわずかなオフタイムを利用して、
小学校6年のときに通っていた母校を訪ねた。
教頭先生らが親切に対応してくださり、
卒業アルバムをコピーしていただいた。
転校、また転校という子供時代を送っていたため、
僕の手元には思い出の品などというものはほとんど残っていない。
自分の知らない一面に出会ったような気がした。

32年前に暮らしていたマンションがまだ残っているというので
訪ねてみた。

あの奥の白い建物の7階、生まれて初めての「高層階(当時としては)暮らし」だった。
倉庫街の一角、この公園の人口の小山で、僕は毎日、
ミニスキーで遊んでいたんだった!!

苫小牧へ

札幌でのプレスを終え、「すずらん4号」で苫小牧へ。
ミニシアター、シネマ・トーラスの代表、堀岡勇さんに
会うためだった。
堀岡さんは、9月15日から3週間にわたって、
『ひめゆり』を上映してくださった。
そのお礼を申し上げたかった。


堀岡さんからは、今年早々に『ひめゆり』を上映したいと電話があった。
ただ、そのときに堀岡さんは、次のように言っていた。
「まずは札幌で劇場公開をするように努力してください。
 そうしたら話題になり、苫小牧でもお客さんが入りますので」
しかし当時は僕らの力及ばず、札幌の映画館からは相手にしてもらえなかった。
「では、苫小牧だけでも上映しましょう」と、堀岡さんは
北海道で最初の上映の場を作ってくださったのだった。


シネマ・トーラスに着くと、地元の方々40人余が迎えてくれた。
やはり沖縄戦に関係する人がいらした。
父親が沖縄戦に動員され辛うじて生還したが
亡くなるまで毎晩のようにうなされていたという。
多くの皆さんと映画論、沖縄論、さまざまな議論を楽しく交わし、
心温まる時間を過ごすことができた。


~ ~ ~ ~  ~ ~ ~ ~  ~ ~ ~ ~  ~ ~ ~ ~

なお、札幌での劇場公開がようやく決まった。
来年1月19日から2週間の予定だ。
また苫小牧では、『ひめゆり』のパンフレットを地元の各学校に寄贈するほか、
来年6月にまた『ひめゆり』を上映しようと
皆さんが言ってくださった。


ほんとうにありがとうございました。

2007年12月12日

立命館大学へ

きょうは京都、立命館大学での上映会に行く。

上映時間は、
(1)2:45~16:55 (2)18:05~20:15
秋林こずえ准教授と、僕との対談が、17:00~18:00の予定だ。

問い合わせは、立命館大学国際平和ミュージアム
TEL: 075-465-8151

2007年12月13日

立命館 上映会の方法に学ぶこと

画期的な上映会だった。
大学内の上映だが、映画としての入場料金も設定し、
一般の方々も観に来ることができる。
全部で2回の上映だったが、
1回目上映376名 2回目上映199名
合計575名 
(授業として参加162名、その他の立命館生364名、
 他大生2名、一般30名)
こんなに多くの学生に観てもらえるとは思っていなかった。
立命館大学の学内映画上映としても最高記録だったという。
みなさん、ありがとう。


「授業としての参加」というのは、授業振替(1回分)としてこの映画を観てレポートを書くのだという。
良いなあと思うのは、「強制」ではないこと。
別に、『ひめゆり』を観なくてもよい、その場合は別のレポートを書けばよいのだ。


学生や教官など、学内関係者たちには、500円という低料金の設定もあった。
⇒詳しくは


どうしてこの上映会が可能だったのだろう。
主催の立命館大学国際平和ミュージアムが、京都シネマ(如月社)の企画協力を得て、
これまで何度か、平和に関する映画を上映する場を築いてきたという。
地元の劇場と、大学ミュージアムとの、見事なコラボレーションだったのだ。
京都シネマが関わっているので、画質・音質はまったく問題なかった。
また立命館大学国際平和ミュージアムでは、
日ごろから平和活動するボランティアや学生ミュージアスタッフの養成に力を入れ、
学生たちが上映運営をサポートしてくれていた。  


終了後、ある学生が言っていた。
   「私はこれまで、こういうテーマは避けてきた。
    沖縄に行っても、ひめゆりの塔にだけは行かなかった。
    行きたくなかったし、見たくなかった。
    今回、先生から薦められて観ることにした。
    ほんとうによかった。
    自分が大事なことから逃げてきていたことがわかったし、
    くやしかった。
    これから、しっかりと見つめて生きて行きたい」


立命館の皆さん、本当にありがとうございました。


他の大学の関係者で、立命館大学の方法に関心のある方は
ぜひ、立命館大学国際平和ミュージアムまでお問い合せを。
こうした上映方法が広まって行くといいなぁ。

2007年12月17日

札幌のみずえさんからの便り

嬉しい便りが届いた。
きょうは札幌のみずえさん(26)からのメールを紹介したい。
短く要約しようとも考えたけど、
そのまま掲載した方が、彼女の気持ちの深化、今の立ち位置が
よく伝わるだろうなぁと思い直した。

 ~ ~  ~ ~  ~ ~  ~ ~  ~ ~  ~ ~ 

    初めてメールを送らせていただいたのは、もう1年以上前になります。
    ご丁寧なお返事をどうもありがとうございました。

    9月15日、苫小牧のシネマ・トーラスにて“ひめゆり”を観ました。
    観客は私を含め3名でした。
    絶対に、無責任な涙を流すまいと決めていました。

    上映が開始され、おばぁたちの証言が次々に流れ...
    私は、その場でゆったりと椅子に腰掛けてその映像を観ているのが
    申し訳なくなりました。
    正座して、向き合うべき内容だと思いました。
    どんな些細な表情の変化も見逃さないよう、
    どんな言葉もどんな声も聞き逃さないよう
    スクリーンを睨み付けるように瞬きも忘れて観ていました。
    微動だにできなかったです。
    恐らく米軍機なのでしょうか...
    爆音も聞こえました。
    何もわかっちゃいない私が、簡単に涙を流しちゃいけない。
    そう思っていたけれど、やっぱり涙は溢れてきました。

    私は、まだまだ何もわかっていません。
    簡単に踏み入れてはいけないような気もします。
    だけど、知らなければいけない。
    そう思いました。
    強く、思いました。

    映画館に入ったとき、ブログにお名前が挙がっていた
    代表の堀岡さんだったのでしょうか...
    『何処から来たの?』
    と話しかけてくださいました。
    『この映画は若い人達に観て欲しい。辛過ぎる内容だけど...』
    とも仰っていました。

    そして、監督のブログにて沖縄戦に北海道民が深く関わっていたことを
    初めて知りました。
    今まで、ひめゆりのことや沖縄戦のことについて
    もっともっと知りたい、知らなきゃいけない、
    そして繋げていけなきゃいけないと思っていました。
    でも、それと同時に自分は生まれ育った北海道が抱える問題や
    北海道と戦争の関わりなど何も知ってはいないのに
    それを差し置いて沖縄のことばかりに捕われている自分にも気付いていました。
    単なる自己満足なんじゃないか。
    私が大好きなCoccoの故郷で、Coccoがひめゆりについて深く語っているから。
    だからじゃないのか。
    Coccoが言うことだから関心を持っただけじゃないのか...
    Coccoがこんなにも関わっていなければ、
    私はこの事実に見向きもしなかったんじゃないか。
    沖縄が抱える問題についても、興味を示そうともしなかったんじゃないか。
    そんな想いがずっと何処かにありました。

    だけど、繋がっていたんですね。
    日本で一番離れている北海道と沖縄が、こんなに密接な関係にあったとは...

    基地建設の問題やジュゴン絶滅の危機など、
    一刻を争う問題が沖縄には沢山あると思います。
    私には何ができるのかわからないけど、
    もし何かができるのなら声を上げ続けたいです。
    そして、沖縄だけではなく自分の故郷である北海道を、
    まずは知らなければいけないと思いました。
    そこで初めて、沖縄をもっともっと身近に感じられると思うし
    誠実に向き合うことができるのではないかと思います。

    映画“ひめゆり”から若干話が逸れてしまいましたが
    こうして行動し、発信し続けてくださっていることにとても感謝しています。
    どうもありがとうございます。
    札幌での上映も決まったんですね。
    また観に行きたいと思います。
    苫小牧で上映されるということを知って、実際に自分で観に行って
    周りの方たちに呼びかけることもしてみました。
    だけど、『戦争ものは怖い』という方もいました。
    まずはそこを突破しなければいけないと思います。
    札幌で上映される際には、また呼びかけてみようと思います。
    少しでも多くの人に、事実を知ってもらえるように。
    事実を知る勇気を持ってもらえるように。
    微力ながら、お手伝いさせていただきたいと思っています。

    おばぁたちの、“忘れない強さと前へ進む勇気”。
    Coccoの言葉を借りてしまいますが、
    それを私たちが繋げていかなければと思っています。

    長くなってしまいましたが、これが今の私の気持ちです。
    読んでいただき、ありがとうございました。

2007年12月22日

世界里山紀行の再放送(ご案内)

このブログでも何回か書いているが、
去年から今年にかけて一年にわたって
フィンランド、そして中国雲南省で撮影をしてきたNHKの番組
「世界里山紀行」のシリーズが、
再放送されることになった。


①まずNHKハイビジョンのチャンネルでの、90分完全版の再放送。


    ・12月24日(月)13:15~14:44 
      「フィンランド・森とともに生きる」 (90分・完全版)
      (クリスマスにちなんだフィンランド特集の中の一環)


    ・1月1日(火)  (大晦日、行く年来る年のあと)
            02:05~03:34 「中国・雲南・竹とともに生きる」 (90分・完全版)
            03:35~05:04 「フィンランド・森とともに生きる」 (90分・完全版)


   ハイビジョンだから、観れる人は少ないだろうなぁ。
   でも、僕としては、こちらの90分版をぜひ観てほしい。

②次に、NHK総合テレビでの49分版の再放送。

    ・1月4日(金)13時05分~13時54分
     「NHKスペシャル・世界里山紀行 雲南 竹とともに生きる」(49分版)


    ・1月6日(日)14時00分~14時49分
     「世界里山紀行 フィンランド 森・妖精との対話」(49分版)

2007年12月23日

北海道新聞から

北海道新聞の記事。
12月8日に上映会をしてくださった岩見沢の廣瀬さんが送ってくれた。



「人欄」で取り上げてくれた安宍一夫編集委員は、廣瀬さんたちを通じて出会った。
    情熱と志の深い人で、岩見沢でたっぷり飲んだときの何となく橙色の情景が心に残る。
    札幌駅まで見送ってくれた安宍さん。列車を待ちながら言った。
    「初恋の人に会いたくて札幌に来たんでしょう・・・・?」
    本当に鋭い人だ。だからこんな短い文で、的確な表現ができるんだ!
    (初恋の人、探してくれるそうです・・・・)


閑話休題 ―――――――――――――――――。


苫小牧に行ったとき、観客席の一人からこう聞かれたのを思い出す。
「沖縄戦についての教科書をめぐる動きはどうなるのでしょうか?
 私たちの子供たちに、きちんとした歴史を伝えられなくなるのではないかと
 心配しています」
と。
質問をした方のお父さんは、沖縄戦に動員され、
亡くなるまで、夜になると悪夢にさいなまれ、
ウーウーとうなっていたという。

クリスマスの悪夢

クリスマス気分の、年の瀬の連休で、
文科省と教科書会社との間で恐ろしい事態が
進みつつあるようだ。
教科書から「住民の集団自決には軍の強制があった」とする
「軍強制」の記述が、削られる方向で調整中というのだ。


北海道新聞の第一面の報道で知った。
沖縄でも、もちろん報道されている。
共同通信経由で、他県の新聞でも報じられているかもしれない。
でも、東京にいる限り、このニュースは、よほどアンテナを立てていないと
誰も気づかない。


まだ間に合うのか?
もしこの教科書検定が通れば、沖縄が本土復帰してから最大の
沖縄への侮辱だと思う。


 ~ ― ~ ― ~ ― ~ ― ~ ― ~ ― ~ ― ~ ― ~ ― ~ ―


『ひめゆり』を編集していた、ちょうどその頃、
日本の過去を美化したい一派が沖縄に通い始め
裁判をしかけたり、教科書を改悪したりする動きを始めていた。
まさか、こんな早く、デタラメの企みが、まかり通るとは予想していなかった。


「住民の記憶による証言は信頼できない」と、過去を美化したい人たちは言う。
「物的な記録が残っていないと証拠にならぬ」と、軍を美化したい政府は言う。
戦争で焼き尽くされた沖縄戦の実相を知るには、
記憶と証言の積み重ねこそが、きわめて大切なのだ。
霞ヶ関の人々よ、ぜひ本気で、沖縄の人々の声に耳を傾けてもらいたい。


 ~ ― ~ ― ~ ― ~ ― ~ ― ~ ― ~ ― ~ ― ~ ― ~ ―


「”軍の強制”という言葉を残し、さらに複合要因も述べる」なら
僕は良いと思っていた。
しかし、「”軍の強制”という表現を削除し、ただ複合要因を述べる」だけとなると
沖縄の、そして日本の現代史を抹殺するプロセスを
歩み始めたことを意味する。


クリスマスも近いが、
真実を見つめない歴史教科書を作ろうとしている日本の子供たちに
本物のサンタクロースはやってくるのだろうか?


    (余談)NHKでは、クリスマス・イブにフィンランドから生中継するというが、
        『フィンランドでサンタクロースが生まれた』というのは
        アメリカ (コカコーラ) が作り上げた、ニセモノ文化。
        フィンランドでは、19世紀まで、クリスマスはなかった。
        ドイツやスウェーデンからクリスマスとサンラクロース文化が伝わり、
        20世紀に入ってから、アメリカによって新たなイメージを付け加えられた。
        フィンランドでは、伝統的には、冬至の夜に
        貧しい人々が、家々を巡り歩き、ささやかな贈物をもらったり、交換していた。
        あるいは、日本の「なまはげ」や、トカラ列島の「トシドン」のような
        異様な姿をした来訪神たちが、家々をまわる習慣もあった。

2007年12月25日

Coccoコンサート with ひめゆり

きょうから沖縄へ。
Coccoさん沖縄ライブに、
ひめゆりのおばちゃんたち十数名とともに行く。


今夏8月15日、16日のCoccoさんとの上映会以来、
ひめゆりのおばちゃんたちは
 「Coccoさんのライブに行きたい」
と言い出した。
おばちゃんたち、自分でチケットを買うと言ったけど、
Coocoさんが招待席を用意してくれた。


「大音響だし、まわりの若い人たちが
 飛び跳ねて踊るかかもしれないから
 驚かないでね」
僕がそう言うと、
 「私たちの方が踊るかもしれないよ」
と、おばちゃんたち、大笑いしていた。
とっても楽しみにしているようだ。

2007年12月26日

きょうから下高井戸シネマ

きょうから、下高井戸シネマでの公開が始まる。
劇場スタッフの人が、たまたま8月15日-16日のCocooさんとの上映会で観てくれて
劇場支配人に『ひめゆり』上映を働きかけてくれたという。

東京近郊の方、ぜひこの機会に。
12月26日(水)~30日(日) 午前10:50~ (モーニングショー)

2007年12月27日

Coccoライブに行って

想像以上にすばらしいライブだった。
ひめゆりのおばちゃんたちも、
大音響に圧倒されながらも、
背伸びしながら立って見ていた。
最後はCoccoさんに手を降り、
僕が見たこともないようなほがらかな笑顔をしていた。


「こんなの初めてさぁ」
そうだね、81歳、いや18歳の「永遠の乙女」たち。
これから10年間、91歳(いや19歳)になるまで
毎年、Coccoライブに通えば、
きっと舞台に飛び出し、誰よりも美声で歌い出すのではないかなぁ。


この感動は、すぐには言葉にできない。
僕は熱狂的なCoccoファンというわけではないが、
 (正直言うと、去年まではCoccoさんのことを、ほとんど知らなかった)
彼女を、人間として、アーティストとして、心より尊敬する。
僕なんぞは、命をかけて歌う彼女の、足元にも及ばない。


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教科書検定の続報。
「軍の強制」、あるいはそれにつながる記述は
教科書から消された。
このことで、僕は本当に悲しい気持ちでいる。
手に入る人は、きょうの琉球新報、沖縄タイムスの朝刊を買い
読んでほしい。
きちんと詳しく書かれている。

2007年12月28日

アメとムチ

ひめゆり資料館の学芸課長、普天間朝佳さんと
教科書の問題について話していたとき、
僕は、つい、こんなことを言った。
「でも、この結果を“80点だ”と言ってしまう
 知事がいるから・・・」


それに対し、普天間さんは、こう言った。
「でも、教科書問題を受け入れたとか、
 沖縄の県民が基地を容認したとか言って、
 責任を沖縄の人だけに背負わせるのはちがうと思う。
 これはすべての人の問題なんだよ」


そう・・・、沖縄史であり、日本史である。
日本人としての問題なんだ。
北海道で出会った人も、次のように言っていたっけ、
「自分の子供たちに、戦争のことを
 きちんと伝えられなくなるのではないかと
 心配している」
と。


普天間さんは、さらに続けた。
「Coccoさんがライブで言っていたように、
 青森の六ヶ所村の核燃の建設のような
 つらい立場の人が、日本中に、世界中にたくさんいる。
 知らないだけで、たくさんある。
 僕も『六ヶ所村ラプソディー』を見たとき
 沖縄だけではいんだと衝撃を受けた。
 沖縄は被害者意識だけを持っていてはダメで
 常に目を外に向け、アンテナをめぐらせていないと」


政治によって歴史を歪めたり、辺野古の基地建設強行など
国は、やりたいことをやるために、さまざまな手を使う。
まずは地元の人どうしを争わせる。
地元の人が選んだかのように見せかける。
沖縄の人々も、六ヶ所の人々も、その選択の背景には、
容認か拒否かの二者択一ではなく、
日本政府による「アメとムチ」政策のもたらした
苦渋の選択なんだ・・・・。


僕も、このブログのなかで何度かそうことを書いてきたけど、
僕の意識の奥の方に、
東京人の高みからの視点が残っているのだなぁと気づいた・・・。
普天間さん、気づかせてくれてありがとう。
僕はまだまだ未熟だ。

2007年12月29日

Coccoさんとの上映会 報告ページ完成 (8月15日-16日)

Coccoさんと、ひめゆりの島袋淑子さん、宮城喜久子さんが参加しての
上映会『ひめゆりの風』(2007年8月15日、16日)の報告ページが
できあがった。

http://www.himeyuri.info/event/20070815_16/kaze.html

全部で9頁にわたる。
上映担当の富士さんが、家庭の引越しをあさってにひかえながらも
「何とか今年じゅうに」と
毎晩遅くまでかかって、仕上げてくれた。
これから表現の微調整をすると思うけど、まずは皆さんにご報告します。

2007年12月30日

エッセイストの森下美加子さんから

岡山県倉敷在住の小説家・エッセイスト、森下美加子さんから届いた便り。
忙しくてパツパツの僕の心を、ほっと暖かくしてくれるお手紙だった。
長いけど、ご本人の承諾を得て、掲載させていただく。


  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇    


念願叶って、世界里山紀行「フィンランド 森・妖精との対話」を見ることができました。
再放送の情報を教えてくださって、ありがとうございました。
おかげで一昨日は、素敵なクリスマスプレゼントをいただいたようで、
幸せな気持ちで一日を過ごすことができました。


番組は、想像以上に素晴らしかったです。
フィンランドの自然や、
そこに生息する生き物(植物も昆虫も鳥も動物たちも)、
暮らしていらっしゃる人々の心根(寡黙の内に秘められた強さやあたたかさ)などに触れることができ、
強く心を打たれました。
森に妖精が住んでいる、という発想と観念が、とにかく素敵だと感じました。


中学三年の二男も一緒に見ていたのですが、普段は寡黙な彼が、
フクロウのひなに目を細め、
お気に入りの木を抱きしめるオッリさんに、思わずクスッとほほえんだりしていました。
「あんな風に、森にお気に入りの木があるなんて、いいわね」と私が言うと、
「うん」と二男はうなずいていました。
「ああいう森に行って、お気に入りの木を探してみたいわね」と、また私が言うと、
「うん・・・でも、その木を切られたらどうするんだろう?」と二男は、ちょっと心配そうな顔をしていました。
木を叩いて「切るよ」と知らせて、木の精霊が森のどこかへ行ったとしても、
自分が友だちのように語りかけていた木が、ある日突然なくなったら、
やっぱりショックだろうな、と私も考え込んでしまいました。
それとも、木は、誰でも勝手に切っていいというわけではないのでしょうか。
森の中の木の実などは、誰でもとっていいみたいですけれど。


二男のような現代の日本の子どもは、
自然の中で暮らすということも殆ど体験したことがないですし、
ましてや、森や木や自然に対する信仰心などは、未知数なものだと思います。
けれど、様々な物を擬人化して、それらを大切に扱い、それらに愛情を注ぐ、ということなら、
日本の子も、多少なりとも体験したことがあるのではないでしょうか。


例えば、二男は、彼がまだ小学生の頃のことですけれど、
それまで家族で乗っていた車を、ほんとうに家族の一員のように感じていたようで、
新車に買いかえるとき、かなり本気で反対していました。
「あのこ、どうなるの?いなくなったらいやだ。あのこも、きっと悲しがるよ」と、
ずっと言い続けていました。
どんな時代の人間にも、どんな国の人間にも、
純粋な心を持つ人間には、
精霊のような存在を欲する心が、自然に宿っているものなのかもれませんね。


それにしても、日本の子どもたちは、やっぱり、ちょっと不幸だと思います。
先日、国際的な学習到達度調査(PISA)の結果が出ていましたが、
フィンランドの子どもは、科学的応用力が世界1位で、読解力も世界2位でした。
日本は、調査の始まった7年前こそ数学的応用力などで1位でしたが、
今回は相当(10位まで)順位を落としたみたいです。
フィンランドの子どもは、宿題もそんなに出ないからしないし、
暗記もしないけれど、読書は、よくするそうです。
読書をしているうちに、興味を持って、自然に知識を吸収するのだとか。
今回のPISAでも、「フィンランドの子どもは書いて間違っているのに、
日本の子どもは書かないで間違っていた」と指摘されています。
実際、二男に聞くと、
「そういうテストをしたとき、成績に関係ないからって、白紙で答案を出していた子が、けっこういた」
と言うので、唖然としました。
そういう国に成り下がってしまったのかと、本当に失望しました。


沖縄の教科書問題も、ショックです。
国は、どうして、そんなに現実を隠そうとするのでしょうか。
先日、南京大虐殺のときに兵隊として南京にいたという男の方たちの証言を、
テレビで見聞きしましたが、
中国人にはどんなことをしてもいいと軍から言われた、とか
毎日何十人もの人たち(女性も子どもも含めて)を銃殺した、とか、
倉庫に人をいっぱい詰め込んで蒸し焼きにした、とか、
信じられない話をしていました。
一緒にテレビを見ていた高校二年の長男も、
「そこまでは学校でも教わったことがないし、教科書でも読んだことがない」と、
ひどく驚いていました。


そういえば、ちょっと話はそれますが、
岡山で「ひめゆり」を観たという私の高校の恩師(岡山県内の名だたる高校の校長も歴任された方)が、
数週間前に手紙をくださいました。
とてもいい映画を紹介してくれてありがとう、という言葉の後に、
貴重な意見も添えてありました。(数枚の資料と共に)


1945年6月29日に岡山空襲があり、1737人(一説には7500人とも言われる)の死者が出たことは、
歴史の闇に葬られていて、今も昔も誰も話題に取り上げないし、語り継ぐ人もいない、と先生は、おっしゃいます。
当時5歳だった先生も、北九州から岡山へ疎開してきて、この空襲に遭遇したそうです。
母親とはぐれ、先生は、たった一人で戦火の中を逃げまどい、
死んでいく人たちを大勢目の当たりにしながら、命からがら逃げのび、奇跡的に助かったそうなのです。
先生のような人たちから見ると、
「被害者としての日本」「犠牲者としての一般庶民」は、
沖縄以外にも、日本中に沢山いて、
沖縄の人たちと同じように国からは軽んじられているけれど、
それらを語り継ぐ一方で、
今はあえて「加害者としての日本」についても考えたい、と思うのだそうです。


岩波新書の「アジア・太平洋戦争」を読んで愕然とした、とも先生はおっしゃっていました。
この戦争で犠牲になった日本人は約310万人(内一般市民80万人)で、
アメリカ軍は10万人。それに対して、
日本以外のアジアの戦没者は全体で1900万人以上だと記されていたそうです。
沖縄も、岡山も、その他の日本中の空襲にあった土地も、
アジアの人たちからすれば、全て敵国日本です。
「加害者」ということになってしまうのです、悲しいことですけれど。
その立場についても真剣に考えていかなくてはならない、
と先生は訴えておられました。
「アウシュビッツをはじめとする自分たちの負の遺産を究明し、
 裁き、次代に伝え続けているドイツと、えらい違いだと思うのです。
 だから、『ひめゆり』だけでなく、この立場からの作品もぜひほしい・・・などと思った次第です」と、
最後は、才能ある柴田監督へのお願いとなって、話を結んでおられました。


なかなか難しい問題ですよね。
でも、私も、少しずつでも、そういうことに目を向けていきたいと思いました。


なんだか話が暗い方へそれてしまいましたが、
フィンランドのテレビを見て、
久しぶりに学生の時に習った「野いちご」という曲を歌ってみたくなりました。
私は子どもの頃から大人になるまでエレクトーンを弾いていましたが、
そのエレクトーンも、久しぶりに弾いてみたくなりましたよ。
森の王である熊を銃で撃ち、霊を慰める、というあのお話の時に、
ずっと流れていたメロディーが、昔歌った「野いちご」と、そっくりだったのです。
調べてみたら、やっぱり、「野いちご」もフィンランド民謡でした。


私の好きな作家、阪田寛夫氏が訳詞した「野いちご」は、こんな歌です。


♪ 野いちご 赤い実だよ 木陰で みつけたよ 
  誰も 知らないのに 小鳥が 見てた
  野いちご 赤い実だよ ひとつぶ つまんだよ 
  朝つゆ 光るよ ほら こぼさぬように  ♪


素晴らしい作品に出会えて、心が洗われました。
ほんとうに、ありがとうございました。
みなさま、お元気で。
よいお年をお迎えください。                  森下美加子


  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  


森下さん、ありがとう。
加害の問題については、
ひめゆりのおばちゃんたちの中にもしっかり考えている人がいて、
いつか続編を作るときにきちんと触れるつもりです。

2007年12月31日

娘たちの夢路

僕はつくづくガキだなあと思う。
Coccoさんはライブで「大人になるというのは、愛を与えられる人から、
与える人になること」と言っていた。
「大人」としての自覚を持って、Coccoさんはますます美しくなった。
僕はまだまだ愛をもらってばかりの甘えん坊だ。


自分の娘ともいえるような、若い人たちからいただいた、
やさしい愛情に満ちたメールをここに刻んで、
今年をしめくくりたいと思う。


  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇

まずは、8月15日、16日の上映会「ひめゆりの風」の実行にあたり
ボランティアの中心となって動いてくれた民さんからのメール。
民さんは、今月半ば、お父様をがんで亡くした。


     思い返せば、監督からひめゆりの風に誘って頂いた
     次の日に父が入院したんですね。
     だから、父の看病のことを思えば、ひめゆりのことが
     影のようにくっついてきて、逆もまた然りです。
     そのせいか、やはり今でも、自分の中で、
     あの上映会がどういうものだったのかを整理するには至っていません^^; 
     でも、父にあのときの私の姿を見せることができたのは、
     いろいろな思い出になりました。

     上映会の数日後に父と車に乗っていたときのことです。
     普段はCoccoのきらきらはあまり好みではなく聞いていなかったのですが、
     車でかけたら、なんとも心地よかったんですね。
     それで、「お菓子と娘」がかかったときに、
     簡単にひめゆりとこの歌の関係を説明しました。

     そうしたら、あっさりと、
     「『お菓子の好きなパリ娘』だろ?おばあちゃんが好きでよく歌ってた」
     と父が言いました。
     びっくりです。ひめゆりで知った私にとっては、
     特別なところにあるような歌だったのに、
     東京のど真ん中、青山生まれ、育ちの祖母がよく口ずさんでいたなんて。
     なんだか、嬉しかったのを覚えています。でも、
     青山通りで口ずさんでた娘と同じようなときに、
     壕を掘りながら歌っていた娘たちがいたのは切ないことですね。

     父が亡くなってから、主に大学の人からですが、
     私の知らなかった父の姿を聞かされることも多く、
     新たな姿を知るほど、「ひめゆり」を見せたかったなあと思います。

     父は専門がナチスドイツでした。
     ゼミでアウシュビッツについての授業をしたときに、
     話しながら、父はボロボロ涙を流していたと
     ある生徒さんが教えてくれました。
     昨日今日、研究や授業を始めた若手でもない、
     耐性だってあるはずの父が泣いた裏に
     どんな想いがあったのでしょうね。
     いつか、アウシュビッツに連れて行ってもらうという約束は
     果たされないままになってしまいましたが、
     すこしずつでも父の残したものを自分なりに見ていけたらと思います。


  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇


映画の予告編を作るとき、街頭インタビューの
インタビュアーをつとめてくれた早紀さんからのメール。
早紀さんは、高校生のときひめゆり資料館で宮城喜久子さんと出会った。
今年、ふたたび沖縄で喜久子さんと会ったとき、
「今度は孫を連れて来てくださいね」と言われた。


     私事なのですが、12月22日に入籍致しました。
     式は沖縄で、来年の4月に挙げてまいります。
     まだまだ未熟者のわたしたちですが、
     これからいい家庭を築いていきたいと思います。
     やっとはじめの一歩を踏み出しました。
     これから、ずんずん歩いて行きたいです。


  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇


ポレポレ東中野の公開のとき、看板づくりをしてくれた通称「看板娘」の三女、瞳さん。
細かい仕上げの塗りはほとんど瞳さんに頼りっきりだった。
明るくも繊細で、自らの体を傷つけたりしがちだが、
12月に、「看板娘」たちと一緒にCoccoさんの青森ライブに参加、
生まれて初めての友だちとの旅だったという。


     新たに見えたものもあり、まだ全然見えない感情もあり、
     うまい事整理がついてなくて
     自分の中でぐるんぐるんしてます。
     ただ一つはっきりしているのはそれがこれからの壁になりそうということ。
     大変だけど体当たりするしかありません。
     私の中でも10年計画が産まれつつあります。


  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇


現役学生の小説家として『ソラカラ』でデビューした桑原美波さん。
その原点は、中学生のとき、ひめゆりの生存者、与那覇百子さんの話をきき、
自分の思いを友だちにも伝えたいと短編小説を書いたことだった。
ポレポレ東中野の看板づくりでも大いに活躍してくれた。


     看板娘末娘です。
     本年は本当にお世話になりました!
     ひめゆりを通して、たくさんの人と出会うことができました。
     どれもこれも、素晴らしい出会いばかりでした。

     ですが、まだ、私は柴田さんにいただいたもの(出会いや
     チャンス、モチベーションなどなど)を生かしきれていないと思います。
     柴田さんをうらやましいと思ってメールを送ったときの私と、
     今の私は、まだあまり成長できていません。
     まだ、何もやらずにうらやましがってばかりだなぁ
     …と思います。

     けれど、変わったこともあります。
     以前の私は、ひめゆりを始め沖縄戦について「伝えたい」
     という気持ちや「書きたい」という気持ちをもちつつも、
     それは「過去のことを伝えたい」という思いだけだったように感じます。
     過去にしてはいけないからこそと願いながら、
     自身がそれを過去の中に完結させていたような気がします。
     基地問題や教科書問題とは切り離して考えていた、
     もしくはつながっているとすら思っていなかった節があったような気がします。
     言ってみれば、私が感情移入していたのは
     「沖縄戦で死んだ人々」にであって、
     「戦争を生き残った人々」にではなかったのです。

     ひめゆりのおばあたちが口にする教科書問題や基地問題の話、県民大会。
     それらを聞きながら、何となく感じはじめていた「今への繋がり」。
     夏休みの沖縄一人旅のとき、一家全滅の集落跡を見て、
     私はすごくショックを受けました。
     そのときに、やっと、今までの自分の間違いに気づいたのです。
     やっと私は、今生きている人のほうへ本当の意味で
     目を向けることができるようになりました。

     あのとき、柴田さんにメールをして本当によかったです。


美波さんは、年明けの1月23日に、講談社から2作目の小説『夢霊(ゆめだま)』を
出版するという。


  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇

ほかにも数多くのメッセージをいただいた。
ひめゆりから逃げ出したかったけど、ようやく向き合えるようになったという
北海道のAiさんからは、手作りのかわいらしい紙飾りをいただき
エイシアの玄関に飾ってある。
みんなのやさしい愛情が、風となって、
どこかに生きている悲しい魂のもとに届き、
笑顔にしてあげられますように。

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