ひめゆり資料館の学芸課長、普天間朝佳さんと
教科書の問題について話していたとき、
僕は、つい、こんなことを言った。
「でも、この結果を“80点だ”と言ってしまう
知事がいるから・・・」
それに対し、普天間さんは、こう言った。
「でも、教科書問題を受け入れたとか、
沖縄の県民が基地を容認したとか言って、
責任を沖縄の人だけに背負わせるのはちがうと思う。
これはすべての人の問題なんだよ」
そう・・・、沖縄史であり、日本史である。
日本人としての問題なんだ。
北海道で出会った人も、次のように言っていたっけ、
「自分の子供たちに、戦争のことを
きちんと伝えられなくなるのではないかと
心配している」
と。
普天間さんは、さらに続けた。
「Coccoさんがライブで言っていたように、
青森の六ヶ所村の核燃の建設のような
つらい立場の人が、日本中に、世界中にたくさんいる。
知らないだけで、たくさんある。
僕も『六ヶ所村ラプソディー』を見たとき
沖縄だけではいんだと衝撃を受けた。
沖縄は被害者意識だけを持っていてはダメで
常に目を外に向け、アンテナをめぐらせていないと」
政治によって歴史を歪めたり、辺野古の基地建設強行など
国は、やりたいことをやるために、さまざまな手を使う。
まずは地元の人どうしを争わせる。
地元の人が選んだかのように見せかける。
沖縄の人々も、六ヶ所の人々も、その選択の背景には、
容認か拒否かの二者択一ではなく、
日本政府による「アメとムチ」政策のもたらした
苦渋の選択なんだ・・・・。
僕も、このブログのなかで何度かそうことを書いてきたけど、
僕の意識の奥の方に、
東京人の高みからの視点が残っているのだなぁと気づいた・・・。
普天間さん、気づかせてくれてありがとう。
僕はまだまだ未熟だ。