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2008年6月 アーカイブ

2008年6月 1日

《ポレ壁》 皆で飾ろう ポレポレ東中野の壁

皆さん、ポレポレ東中野(東京の映画館)での劇場公開にあたり、
今年は、映画館の壁面を、皆さんからの寄せ書きや作品で飾りたいと思っています。

名づけて 「ポレポレ壁プロジェクト」

以下は、企画を担当してくれている宮沢かなえさんからの、
応募要項です。
どなたでも、遠くの方でも参加できます。
ぜひ、気軽に応募してください。


  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇

    

    今年はポレポレ東中野の劇場に下りる階段のところを 
    皆さんからの想いのこもった言葉や作品で飾りたいと思います。
    そのときのキーワードが、「空色 海色」。
    壁面を「空色 海色」で繋ぎたいのです。


    参加方法は以下の2つのどちらかを選んで応募してください。(両方でも可です)

      1・百年後に贈りたいなにかを、空色海色で作って参加する。

         描いても 写真でも 切り貼りしても布でもなんでもかまいません。
         動物でも景色でも模様でも大丈夫です。
         他の色が入っていてももちろんよいです。
         ただし展示方法やスペースの問題もあり、
         重たいものや大きすぎるものは飾れません。
         目安としては最大でB4サイズぐらいまでで
         スチレンボードくらいの軽さまでならOKです。
         もちろん小さいものも大丈夫です。

      2・「100年後の毎日に贈りたいこと」をハガキに書いて送ってください。
         ハガキにペンで書くのみでもよいですし、
         青い紙に書いて送ってくださるでも青ペンや絵の具でもよいです。


    どうして空色、海色で繋ぎたいのか。
    こんな言葉がありました。
    「アオイソラ ヒロイウミ」
    戦争の後沖縄で子供達のために青空教室が始まって、
    やがて配られた初めての教科書
    その最初のページに書かれていた言葉です。
    そこから子供達の日常が始まりました。
    それを見守りながら、ひめゆり生き残った学生さんたちの中にも
    教師としてその1ページをめくった方々が多くいらっしゃいました。

    そこから途切れることは無く、今の私たちにも日常が続いています。
    学校や仕事に出かけたり、ご飯を作ったり、歌ったり、
    時々喧嘩もしたり、落ち込んだり笑ったり。
    一人一人の尊い時間。


    映画を観に来た人たちも、ひめゆりの真実に触れた後戻っていく場所は、
    やはり特別な場所ではなくて、ひとそれぞれそこにある日常なのかもしれません。
    未来は毎日の繋がった先に、いつもあります。
    ひめゆりを感じながら、いろんな人の存在を感じながら
    「アオイソラ ヒロイウミ」の空と海の色で繋いでみたいのです。

 
    「今年はみんなで楽しくできたらいいね」
    柴田さんもそんなお話をしていらっしゃいました。

    映画に寄せられる感想や、ボランティアスタッフの中でも
    時々「わたしにできること」を考えて陥ってしまったりもする、
    無力感や罪悪感があります。
    でも、肩肘張らずに、自分の場所、存在を感じられるところで
    ちょっと楽しんで参加していただけたら、それがなによりと想います。
    ひめゆりにこめられた祈りは、きっと一人一人の毎日に
    贈られているものでもあるからです。


    ぜひ多くの方に参加していただきたいです。

    期日は、できましたら6月11日までにプロダクション・エイシア宛てに
    送っていただけるとありがたいです。
    それ以降でも上映期間中であれば飾ることはできますが
    到着後すぐの日付で展示できるとは限りません。
    名前等、掲載を望まない場合はその旨をお伝えください。
    名前か、性別くらいが可能であれば掲載させていただこうと想います。

    あて先 202-0015
        東京都西東京市保谷町2-7-13
        プロダクション・エイシア
           空と海 担当  宮沢かなえ


                ※集めたものは6月13日夕方からポレポレ東中野で展示を始めます。
                 展示方法はこちらに任せていただくか、
                 6月13日夕方に、ポレポレ東中野までお越しください。
                 またお送りいただいたものは返却はできませんので、御了承ください。


    
      ↑ 去年はみんなで建物いっぱいに看板を作った。
         今年は建物の内部の階段空間を、皆の想いのこもった「空色・海色」で飾りたい・・・


  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇

打合せのときに かなえさんと話していたのだけど、
「10年後」でなく「孫に残したい」でもなく、「100年後」という未来は、
ひめゆりのおばちゃん、そして僕たちが、同じ立場で考えられる、
ちょっと先の未来の日常。
(ちょっと遠いようだけど、
 僕たちもひめゆりのおばちゃんたちも共に存在していない、いちばん近い未来)
そんな次の世代の日常に思いをはせながら、
今の日常をふりかえってみたい、
今の日常で大切なものをもう一度見つめなおしてみたい、という意図です。
ふるってご参加ください。

2008年6月 2日

ポレポレ壁 サンプル(1)

ポレポレ壁プロジェクト、2番目の場合の参加の例です。

   (テーマ)
      2・以下のことをハガキに書いて送ってください。
          「100年後の毎日に贈りたいこと」

   (参加例)
       「夏の朝のにおいがすき。だからこういう朝が100年後にもあったらいいな」

       「手紙を贈りたい。パソコンよりもっとすごい方法もうまれてるかもしれないけど
        手紙もいいよ」 
 

少しイメージ湧くかな?

ポレポレ壁 サンプル(2)

  ポレポレ東中野の「壁プロジェクト」のサンプル、かなえさんが作ってくれた。

     

     

     

     

     

長岡へ  6~8月全国特別上映会の第一弾として

6~8月『ひめゆり』全国特別上映会のトップバッターとして
昨日(6月1日)、新潟県長岡市で上映会があり、僕も訪れた。

長岡の皆さんとは昨年、長岡アジア映画祭で招かれて以来、交流を深めてきた。
今年の年賀状で、僕たちが「6月23日(沖縄・慰霊の日)にひめゆりを全国で上映したい」と送ったら、
すぐに「長岡でもう一度上映を」と応えてくれたのだった。
2度目の長岡、懐かしい面々に接すると、第三の故郷に帰ったような感じだ。


初めての試みとして、音声アシストのボランティアの方々の協力で、
視覚障害をもった方々にも映画を「聴いて」いただくことができた。
数ヶ月にわたって、スクリーンを言語化し、朗読の練習を積み重ねてきてくれた
「長岡音声アシストの会」の皆さん、ありがとうございました。


  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇


レバノンから長岡造形大学の留学している女学生が
『ひめゆり』を観にいらしたが、途中で、故郷の戦争を思い出し、
いたたまれなくなったと席を立たれた。
後できくと、彼女は幼児の戦争体験のフラッシュバックがあり、
花火を見ただけでパニックになるのだという。
「花火がダメだ」という点、ひめゆり学徒生存者の与那覇百子さんと共通している。


アジア・アフリカなど各地で、今も戦争はつづいている。
イラク・アフガニスタンの戦争、米軍側が撮っている映像の向こう側で人々に何がおきているのか、
『ひめゆり』は、ニュースでは伝わらない見えざる世界をも照らし出していると思う。


映画の席を立たざるを得なかったレバノンの留学生の心の傷を思うとき、
『ひめゆり』が、世界の中で果たしうる役割の一端が見えたような気がした。
レバノンの若い女性たちが自らの体験を語れるようになるには、
これからまだ数十年の歳月が必要だろう。
彼女らが語れない戦時の女性たちの真実を、
『ひめゆり』は代弁できるのではないか。
そんな新しい目標をもらいながら、長岡発の新幹線に乗った。
長岡市民映画館を作る会の皆さん、ありがとうございました。

岡本央さんの写真 (サンデー毎日)

写真家、岡本央(おかもと・さなか)さんが、僕らの4月のロケの様子をとらえた写真が
きょう発売のサンデー毎日(6月15日号)のグラビアに掲載されている。
岡本さんは、世界の子供たちを撮ることをライフワークとしている写真家で、
子供を撮らせたら彼の右に出る人はいない。
僕は、カミさんや友人たちから「大きな子供」と呼ばれており、
そうした点で、岡本さんの目に留まったのだろう・・・(笑)

岡本央さんは、昨年『ひめゆり』をご覧になって以来、
ずっとこの映画を応援してくれている。

2008年6月 3日

《ポレ壁プロジェクト》 初出品 遠藤さんから

ポレポレ壁プロジェクト、初めての応募があった。

    

出品者、遠藤さんからのメッセージ。

     こんばんは!
     ポレポレ壁展示用の作品を提出します。

     タイトル「Blue×Blue」

     私が100年後に贈りたいものは、まさにこの青い空と広い海です。
       (ベースの写真は新婚旅行で行ったモルディブの島)
     一番高いところでも海抜3mに満たないモルディブの島々は、
     温暖化で海面が1m上昇すると国土の80%が水没してしまうそうです。

     この嘘みたいな青い空と嘘みたいな広い海に、私の人生を変えた
      (というと大げさですが)小さな言葉を添えて贈ります。
     「Stop searching forever, happiness is just next to you.」

     10年くらい前、まだ探索期の真只中にいた私は、Fortune Cookie
     (アメリカの中華料理屋さんで最後に出てくるクッキー)の中から
     出てきたこの言葉に出会って初めて光が見えた気がしました。

     その小さな言葉は、10年経った今日も、私に一番近い場所で、
     一緒に歩いています。そしてきっと100年後も。

          遠藤

  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇

遠藤さんは昨年8月15-16日のCoccoさんとの上映会で『ひめゆり』を観た。
そして今、『ひめゆり』を観る会の事務局で、週3回、
限りなくボランティアに近い形で、上映の手伝いをしてくれている。

実は、遠藤さんは「社長」でもある。
インターネットを使ったブライダル指輪の通販事業を行う会社を
昨年12月に自ら起こし、その準備の合間に僕たちを助けてくれている。
将来は、事業を通して、「結婚」という人生の喜びにかかわりたいという。
この出品作をみて、遠藤さんの夢の出発点が見えたような気がする。
遠藤さん、ありがとう。

2008年6月 4日

長岡で教わったこと(2)

おとといに続いて、長岡でのこと。

長岡の上映会で『ひめゆり』に接したレバノンからの女学生が、
故郷の戦争を思い出して居たたまれなくなったことについて、
その後、僕はずっと考えている。
彼女は、「長岡 市民映画館をつくる会」の会報の表紙のデザインをしている。

食卓の朝食だろうか。コーヒーと目玉焼き、黄身の中には杵持つウサギ。
フィルムで結ばれた遠いTVスクリーンの中にも、満月とウサギ。

幼い頃からつづいてきた戦争、内戦。
日本という「戦争のない国」に来てのギャップ。
家族や友人を残し、自分だけが「戦争のない国」に来ていていいんだろうかという葛藤。
彼女は、月夜のウサギに、戦争と平和のはざまに生きる救い、故郷への思いを託したのだろうか?
ひめゆりの上原当美子さんが、死をまぎわにしたとき「ふるさと」の歌を思い出したという、
そのことをふと考えた。
いちど、きちんとうかがってみたいな。

《ポレ壁》 看板娘たち出没! 作業中

ポレポレ東中野、壁プロジェクト。
看板娘たち、エイシアの事務所に出没。
なにやら準備中。

 


 「柴田さん、パパラッチはやめてください!」(さき&たみ)   

 「多数のご応募、お待ちしています・・・・」(宮沢かなえ)

2008年6月 7日

いよいよ本日から2年目の劇場公開 ~ 皮切りは、横浜のシネマ・ジャック&ベティ

6月7日の午前1時すぎ。
エイシアの事務所には、深夜だというのに、
僕だけでなく、上映担当の富士海さんが残っている。
いよいよ本日から、2年目の劇場公開が始まる。
皮切りは、横浜のミニシアター、シネマ・ジャック&ベティ


あまり知られていない劇場だが、
アート系のシアターとして開館してまだ1年。
劇場のある横浜・黄金町(こがねちょう)は、華やかな伊勢崎町の裏町にあたり、
数年前までは風俗店が軒を連ねるような場所だった。
横浜の戦後史の「負」の部分を引きずるこの町を、
「マイナスを生かしながら町おこしをしよう、
 映画館を中心とした町をつくろう」
という意気込みで、
30代の若い男の子たち3人で設立したのが、
シネマ・ジャック&ベティだ。


沖縄とどこか通じる、混沌とした街の映画館。
さあて、僕もひと寝入りしてから、劇場へ向かおう。

2008年6月 8日

テレビ放映、ビデオ・DVD販売しない『ひめゆり』

2年目の劇場公開、何とか順調にスタート。
今年は、昨年に比べてマスコミで取り上げられる機会が少ないため
どうなることかと心配だったが、昨年を上回る数のお客様に来ていただいている。
ひとつには、横浜のシネマ・ジャック&ベティーが
1年間の地道な上映活動により、横浜市民の方々に認知されてきた―――、
  (昨年はオープンしたばかりだったから、この映画館のこと誰も知らなかった)
そのことの効果も大きいと思う。


この作品は、ひめゆり生存者の方々の意向により、
テレビ放映やビデオ・DVD販売はしない。
劇場や上映会、学校上映などの機会でしか
ご覧いただくことが出来ない。

だから、僕たちに、こうして上映してくれる機会を大切にしたい、
という焦りがあるのも正直なところだ。
観ようかどうしようか迷ったら、この機会にぜひ観て欲しい。


まだご覧になっていない方はどうかお見逃しなく。
そして、すでにご覧いただいた方には、
こんな映画が上映されていることを
友人・知人にご紹介いただければ幸いです。

2008年6月 9日

《ポレ壁》 参加作品から

きょう《ポレポレ壁プロジェクト》宛に届いた参加作品を紹介します。

KOZUEさんの作品
 
     KOZUEさんからのメッセージ
        十数年前、広島に行きました。数年前、沖縄に行きました。
        そして昨年8月15日、四谷で行われた「ひめゆりの風」に行きました。
        私にできることは何だろう?
        ずっとずっと想っていて、でも結局、想うだけの日々でした。
        今回のこの企画を知り、やっと行動ができると思いました。
        「空色 海色」に私の全てで、実際に活動しているみなさんの
        呼びかけに応えられると思いました。
        私は絵を描いています。まだそれで生活はできていないのですが・・・。

        私は100年後に贈りたいものは「花」です。
        100年後、この大地に当たり前に花が咲いていることを、
        戦いや災害などで傷付いた大地が花で満ちている未来を
        願っています。
        またそれを美しいと、守りたいと想う気持ちを失くさない、
        奪われない世界であって欲しいと思います。


とっても素敵な絵で、写真では魅力が伝わらないのが残念。
またKOZUEさんからは、沖縄で撮った4枚の写真、
青い空、青い海の写真も添えられていた。ほんとうにありがとう。


東京都杉並区の肇子さんから。
 
     肇子さんからのメッセージ
         私が住んでいて、柴田監督の叔母様が住んでいて、監督も住んだことのある
         杉並区西荻北地域のランドマーク、樹齢200年の大けやき「トトロの樹」が
         伐採の危機にあります。
         ポレポレ壁プロジェクト「空と海」とは少しずれているかもしれませんが、
         かまわず送ります。
         これはちょっと・・・・なら処分してください。
         映画「ひめゆり」再上映と壁プロジェクトが盛況でありますように。


「トトロの樹」のある西荻窪は、僕の母の実家があったところで、
僕も中学生の頃、事情があって、親元を離れて叔母の家に預けられていた。
その近くにある、子供4人でようやく抱えられるような大木が、いま伐採の危機にある。
「トトロの樹」は、100年という時間をイメージするモノサシでもあり、
命を考える大切な「贈り物」だと思う。
ありがとうございます。


  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇

《ポレポレ壁プロジェクト》は、送っていただいた作品を「審査」することはせず、
基本的に、ポレポレ東中野のスペースが許す限り、すべて飾るというのが、
このプロジェクトを考案した宮沢かなえさんの方針。
ただし、極端な政治スローガンは
展示を見送りることもありますので、ご了承ください。

2008年6月10日

《ポレ壁》 参加作品から(2)

昨日につづき、《ポレポレ壁プロジェクト》に届いた作品を紹介したい。
僕が忙しいので、カメラできちんと撮る余裕がなく、
写りが悪いこと、ご容赦ください。 


東京都の小学生、光君の作品
 
      テーマは、「夢・希望・愛」

お母さんといろいろおしゃべりしながら、作ってくれたそうだ。
どんな会話をかわしたのだろう・・・・・。
『ひめゆり』をきっかけに親子で話ができるなんて、とっても素敵だ。


広島のちぴぴさんの作品
 
   ちぴぴさんからのメッセージ。
      東京へ行くのはムリだけど、こんな形なら私も参加できる。
      久しぶりに針箱を見たら、曲がった針と錆びた針しかなかったけど
      チクチクするのは楽しかったです。
      百年後の子供たちに子守唄の夜を届けたい・・・・。

僕の写真が下手なので分かりにくいけど、
布のポケットの中には、ちぴぴさん自作自演の子守唄のカセットテープが
入っていた。
これ、みんなにどうやって聴いてもらおうかな・・・。


そういえば、ひめゆりのおばちゃんたちの中で、
戦場に針箱を持って行ったという人が、何人かいる。
ちぴぴさんが錆びた針を動かしたとき、
その手の上で、63年前の少女たちの思いも
そっと添えられていたのかもしれない。


  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇

「締切に間に合わないけど、これから送ります」というメールを
いくつもいただいている。
締切は気にしないで!!  大歓迎です。

  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇

明日、あさってと、僕は出張で東京を離れる予定。

2008年6月12日

《ポレ壁》 ひめゆりの良子さん、初子さん、美代子さんからの「100年後に・・」

いま那覇空港。
岡本央さんが撮ってくれた写真と、掲載された「サンデー毎日」誌を持って、
4月に新たに撮影をさせてもらったひめゆりのおばちゃんたちを訪ねた帰りだ。


皆さん、とっても喜んでくれた。
「プロが撮るときちんと撮れるんだねえ」
やはり女性だ、80歳を過ぎて撮られた写真だけに
シワだらけに映っていないかも心配になる。
そういう、少女らしさを今も残しているところが、とっても素敵だ。


今回は本当に時間がなくて、ひめゆり資料館に寄る時間もなかったけど、
3人のひめゆりのおばちゃんたちから、
「100年後に残したい毎日」を聞いてきた。
良子さん、初子さん、美代子さん3人で話し合った結果の共通意見だ。


①自然: 
  とくに川遊びのできる川 (エビ・カニのいる川)

②ウーマクー(わんぱく坊主、のびのびとした子供)
   型にはまらない腕白な子供ほど、情がある。
   「おりこう」にしていると、内にこもって、爆発してしまう。
   いつまでも「ウーマクー」がいて欲しい

③三世代同居の家族 (あるいは、何世代もの人が一緒にいる暮らし)


③に関連して、美代子さんは最後に「できれば子供を2人以上産んで欲しい」
とも言っていた。


80年以上生きてきた今の日常生活の中で、
大事だなぁ、いつまでも続いて欲しいなあと思うことだという。

《ポレ壁》 教科書に会ってきた!

沖縄の戦後最初の「読み方」の教科書に
会ってきた。

(那覇市歴史博物館蔵。禁コピー)
      B4のガリ版刷り。 


 (那覇市歴史博物館蔵。禁コピー)
      表紙をめくった1頁目に、「アヲイソラ ヒロイウミ」の文字が書かれている。
      イラストは、浜辺に松の木が生え、海には船。
      ひめゆりの引率教員だった仲宗根政善さんらが、
      地獄を経た果てに制定した沖縄独自の教科書。


那覇市歴史博物館が所蔵していて、
6月30日(月)まで、「女性・子どもたちの 沖縄戦」展の中で実物が展示されている。
とても素晴らしい企画展なので、行ける人はぜひ行って欲しい。


《ポレポレ壁プロジェクト》の企画者、宮沢かなえさんの「呼びかけ文」の一部を、もう一度、掲載しておこう。


    こんな言葉がありました。
    「アオイソラ ヒロイウミ」
    戦争の後沖縄で子供達のために青空教室が始まって、
    やがて配られた初めての教科書
    その最初のページに書かれていた言葉です。
    そこから子供達の日常が始まりました。
    それを見守りながら、ひめゆり生き残った学生さんたちの中にも
    教師としてその1ページをめくった方々が多くいらっしゃいました。

    そこから途切れることは無く、今の私たちにも日常が続いています。
    学校や仕事に出かけたり、ご飯を作ったり、歌ったり、
    時々喧嘩もしたり、落ち込んだり笑ったり。
    一人一人の尊い時間。


『ひめゆり』を観たCoccoさんは「お菓子と娘」の歌を“再発見”、発掘してくれた。
Coccoさんを通して出会った宮沢かなえさんは、
「青い空 広い海」の教科書を“再発見”してくれた。

『ひめゆり』は“希望の映画”だと、つくづく思う。

2008年6月13日

水野晴朗さんを悼んで

水野晴朗さんが6月10日(火)、お亡くなりになった。

ちょうど一年前、突然、水野さんから、「『ひめゆり』を観たい」と
私たちのもとに電話があった。
ご覧いただいたところ、あふれ出るように気持ちを語って下さった。
以下は、水野さんから寄せられたメッセージ。


    戦中派の私は、「ひめゆり学徒」の事はよく知っているつもりでした。
    しかしこんな風に、いまだに戦争の傷跡を引きずっていたのかと
    ショックを受けました。
    戦争のむなしさ、酷さを知ってほしい。
    これはドキュメンタリー映画だけれど
    それ以上にドラマチックなものを感じられる映画です。
    若い人にぜひ観て頂きたい映画です。
                     水野晴朗 (映画評論家)


水野さんとはその後何度か連絡を取らせていただいていたが、
その快活で愛情あふれる声が忘れられない。
『ひめゆり』へのご支援を感謝申し上げると共に、
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

2008年6月14日

《ポレ壁》 展示完了

「100年後の毎日に残したいもの」をテーマに作品や言葉を募集した《ポレポレ壁プロジェクト》。
13日の夕方7時から、ポレポレ東中野で展示の作業を始めた。
   

 

1階からスクリーンのある地下2階へ
青い作品でつながっていく。
 「青い空・・・」の教科書も展示。 

  
個性あふれる作品たち・・・。紅型で染めた「沖縄の海と魚」もあった。


かなえさんは、沖縄の戦後すぐ、浜辺ではじまった青空学級を描いた。

 
ポレポレ東中野の階段の壁を埋め尽くした、皆さんからの作品たち。


多数のご参加、ありがとうございました。
作品詳細と、同封されていたメッセージは追って紹介します。

深夜、作業終了。 ボランティアで手伝ってくれたみんな、ありがとう。
 (真ん中の男性は、上映担当の富士さん)
さあ、いよいよ、東京(ポレポレ東中野)、川崎(アートセンター)での上映が始まる。

2008年6月15日

《ポレ壁》 追加展示について

多数の応募をいただいている《ポレポレ壁プロジェクト》。
予定していた壁に展示終了後も、多くの作品をつぎつぎと寄せていただいています。
階段の壁に張り切れない分は、
6月23日に予定している特別イベントの会場に
展示します。
ですから、「もう締切だろうから」と遠慮しないで
送ってください。
この企画、10年続けられたら、国立美術館で企画展できるんじゃないか?
 (こくりつ? くにたち?)
などと冗談言いながら、集まった作品ひとつひとつをいつまでも大切にしていきます。

2008年6月16日

お天気まつり

実は、昨晩は久々に深酒をした。
川崎市アートセンターの映像ディレクターの野々川さんと食事したとき、
野々川さんが言った。
「私は『ひめゆり』の最後のスタッフだと思っています。
 この映画を観客に届ける位置(映画館)にいる。
 届けることで、この映画が人々に生かされていく。
 『ひめゆり』を大切にしたいという思いは監督と同じで、
 そういう意味で、『ひめゆり』のスタッフ、最後のスタッフです」
この言葉に本当に感動した。
感謝の思いや、かたじけない思いがこみ上げ、
一緒にいらした三浦さんに薦められるまま、
慣れない日本酒をがんんがん飲んだ。
その言葉はほんとうに嬉しかった。

横浜のシネマ・ジャック&ベティーでは、
横浜YWCAの金剛さんのお顔が客席にあった。
金剛さんとは4月4日の横浜での上映会のときに
初めて出会った。
以後、『ひめゆり』をずっと陰から支えてくださり、
「チラシをまけるところには全てまき、
 もう思い当たるところがない」
というまで、この2ヶ月間ずっと動いてくださった。
「きのうで通算4回見ました。でも毎回新しい感動を覚えます」
とメールをくださった。
上映担当の富士さんが、「金剛さんには年間フリーパスを」と
冗談を言っていた。
そんな、金剛さんのことも思いながら、酒を飲んだ。

飲んだ勢いで、ポレポレ東中野の最終回のトークに行った。
ポレポレの客足が初日、二日目と予想以上に少なかった、
このことで初日は大いに凹んだのだが、
落ち込んでいても仕方ない、と気持ちを切り替えたかった。
撮影の一之瀬カメラマンが、よく「お天気まつり」と言って大騒ぎをしながら飲む。
ロケ中に、天気が思うようにならないとき、飲んで騒いで
天の神さまに気持ちを変えてもらおうというのだ。
昨日の酒は、そんな「お天気まつり」でもあった。
ポレポレのスタッフが、「柴田監督の昼間のトークがA面で
今のがB面ですね」と苦笑していたが、
会場にいらしていた若い女性たちが(不思議なことに観客は若い女性たちだけだった)、
笑って受け流してくれたのが救いだった。

「コトノハ(言葉)は語れても、コトノネ(事の根)は語れない」

ここ数日、ひめゆりの皆さんたちから幾度もお電話をいただいた。
琉球新報の文化面に書かせてもらった記事(6月11日朝刊)を読んで
「よかった」「自分の苦しみが報われた気がする」「ありがとう」と
わざわざお電話をくださった。

琉球新報に僕が投稿した原稿を、以下に転載する。
以前このブログでも書いたことに、さらに加筆したもので、
少し長いけど、時間があるときに読んで欲しい。

  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇

「コトノハ(言葉)は語れても、コトノネ(事の根)は語れない」


ドキュメンタリー映画『ひめゆり』は、ひめゆり学徒の生存者の方々の証言を13年間にわたって記録し、ひとつの作品としてまとめたものです。これまで記録した証言は全部でおよそ120時間。作品に取り上げたものはわずかにすぎません。
何よりも大事なことは、映画の完成が記録作業の終わりではないということです。映画公開後も、私たちは、これまで記録できていなかった方々を訪ね、証言の撮影をつづけています。今年に入ってから7人の体験をカメラにおさめました。
初夏。毎年この季節になると戦場の記憶がよみがえり、夢にうなされるという人が沖縄では少なくありません。花・草・木・空気・土・岩の様子が63年前のあの時と重なります。むごいようですが、この季節こそ、戦場体験の細部が思い出されて、記憶をたぐりよせ記録するにふさわしい時ともいえます。今年4月、私たちは5人の元学徒の証言を記録することにしました。
ところが、撮影予定の前日になっても、話そうか、止めようか、迷っている方がいました。これまでは私は、ためらう人に対して、強く声をかけることはしませんでした。思い出したくない記憶をよみがえらせるのだから、無理強いをしては絶対にならないからです。でも今回は、何度も電話をしたり家を訪ねたりして、お話をすることを強く頼んでみました。ためらう皆さんは、自分の住む村の近くにもっと重い心の傷を負った人がいるのでそれを差し置いて自分が語っていいものだろうかと思い悩むのです。あるいは、年を取りすぎて記憶に自信がなかいと尻込みをするのです。そして「戦場だったあの場所にまた行ってほしい」と私が頼むものだから、それも心を重くさせる・・・・。
学徒隊生存者の宮城喜久子さんが「語らないと後悔するよ」と同級生たちに何度も語りかけ、説得してくれました。ひめゆり資料館の学芸員の普天間さんや、沖縄(名護)出身のプロデューサー大兼久も何度も電話をして、気持ちをほぐしそうとしました。
皆さん、ほんとうによく決心してくださいました。不安を抱えながらも、お一人ずつ、私たちとあの戦場跡へと向かったのです。

Hさんだけは、100歳になる母親を介護しているため遠出が出来ず、ご自宅のすぐ近く、沖縄本島北部の八重岳へ登ることになりました。八重岳も沖縄戦の激戦地のひとつで、ひめゆり学徒と同じように学徒動員された沖縄県立第三中学校の生徒たちの慰霊碑が立っています。Hさんは慰霊碑の前で手を合わせながら、次のような祈りの言葉を口にしました。
  「ここで亡くなった第三中学校の皆さん、
   私も、皆さんと同じように学徒動員された者です。
   私はここから遠く離れた南部の戦場にいました。
   これから私の南部での戦争の跡をたどってみたいと思います。
   理由があって遠い南部の地まで行けませんが、
   ここで語ろうと思いますので、
   皆さん、どうか見守って、お通しください」
Hさんの決意に接して、私の心はふるえ、涙が出そうになりました。

「コトノハ(言葉)は語れても、コトノネ(事の根)は語れない」
今回の撮影の中で、お二人からこの言葉を聞かされました。ひめゆりの引率教員だった仲宗根政善さんが戦後に語っていた言葉だといいます。Hさんは言います。
   「どんなに語っても、あの戦場の様子は語りつくせないです。
    今でもありありと目の前に浮かぶようだけど、言葉にはならない。
    『コトノハ(言葉)は語れても、コトノネ(事の根)は語れない』
    仲宗根先生がよく言っていたけど、ほんとうにそうだねえ・・・」
語りつくせない戦場の悲劇。でも、今回口を開いた後の彼女たちは、みな安堵した表情でした。「聞いてくれてありがとう」皆さんが最後にそう言ってくれました。
「こんな時代になってきたけど、未来のためにがんばってください。そしてひめゆり資料館を大切にしてください」
彼女たちは語り部として表に出ているわけではありませんが、忘れたい記憶を心の奥底にしまいながら、静かに未来を祈りつづけているのでした。
私がお会いできていないひめゆり学徒隊生存者はまだ40人ほどいらっしゃいます。すべての方にお会いするのは不可能でしょう。でも歴史を捻じ曲げようとする人たちが台頭しようとしている今こそ、その心をしっかりと受け止めたいと、思いを新たにしました。

2008年6月19日

6.23イベント

6月23日(沖縄・慰霊の日)を、遠く離れた僕らも共有したいと、
ポレポレ坐(東京・東中野)で、19時からイベントを行う。

沖縄から、ひめゆり学徒生存者の与那覇百子さんがいらっしゃる。
百子さんは、笑顔がほんとうに素敵な人。
戦争末期、音楽の先生から「生きろ」と言われた。

他のゲストも、若くて魅力的な面々。
そのうちの一人、伊藤剛さんは、知る人ぞ知る「カリスマ編集者」。
彼の発行するGT(Generation Times)は、
ラフォーレ原宿で飛ぶようにはけていく、おしゃれで、内容豊かなタブロイド。
Coccoさんや、ひめゆりの特集もあった。
愛媛で上映会を企画してくれている麻実子さんから紹介してもらった。

6.23イベントの詳細は
http://www.himeyuri.info/event/20080623/index.html

月曜の夜で、いったい観客が来るのだろうかと心配しながらも、
あえて6.23にこだわって、この日に開催することにした。
時間がある方、ぜひ来て欲しい。

福島、若者たちによる上映会 チケット完売!

『ひめゆり』上映情報を見ていて「おやっ」と思うのが、
福島県郡山市の上映会。
だって、朝9時半からの上映・・・・・。朝早い・・・。


それが、チケット完売したという。


主催は、Coccoファンの若き農家、稲福さん。
  ・・・そうか、農家にとっては朝9時半は、一仕事おわった時間か・・・
いや、そうではなく、この時間しか会場が押さえられなかったという。


稲福さんは、ご両親が沖縄出身だが、
ご自身は本土の生まれ育ちと聞いた。
彼は、昨年8月15-16日の上映会に参加したかったが抽選に漏れ、
ついに自ら上映会を組織するに至ったという。


福島は、映画の最後に流れる『別れの曲』の
作曲者、太田博さんの故郷ということもあり、
彼らは、地元の民放やNHK、新聞社も動かして、
『ひめゆり』を伝えようとしてくれている。

すごいパワーだ。


福島の彼らのHP(ブログ)は
http://himeyuri.365blog.jp/
とっても元気だ!

2008年6月21日

2つの「光」 の詩

6/23(月)のイベントに来てくれる
音楽ユニット、寿[KOTONBUKI] の一人、
宮城善光(ナーグシク・ヨシミツ)さんは、とても素敵な詩を書く。
僕の好きな詩を2編、紹介したい。


    「月の夜」

      月の光
      虫の声
      夏の日の夜
      忘れないよ

      流れてく
      流れてゆく
      やわらかな
      白い雲よ

      戦場(いくさば)になった
      この島にも
      夜の空に
      月の光

      僕が生まれ
      みんなで喜んで
      だきしめた夜も
      月の光

      あなたが死んで
      みんなで泣いた
      春の夜も
      月の光

      あぁ光の中で
      みんなみんな笑っているよ

      忘れないよ・・・
      忘れないよ・・・

  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~ 

    「光」

      北へ
      北へススメ
      裸足で
      瓦礫の道を
      青い神の海は
      黒い鉄の
      遠い国の船で埋め尽くされ・・・

      痛みをしった人たちは
      どこまでもやさしくて
      痛みをしったこの島は
      どこまでも美しい
      さぁ世界へ・・・
      光を!

      痛みをしった人たちは
      どこまでもやさしくて
      痛みをしったこの島は
      なによりも美しい
      さぁ未来へ・・・
      光を!

            『宮城善光詩集』 (2006年、琉球センター・どぅたっち発行)より

  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~ 

2つの「光」の詩。
これは僕の勝手流な解釈だが、
「北へススメ」とあるのは、
ひめゆりの少女たちが、
戦場で最後に追い詰められたとき、
「北部へ突破しろ」と命じられた、
そのときの情景をイメージしてしまう・・・。
あのときも、すごい月夜だった・・・という。


      (解説)宮城善光さんは1965年沖縄県那覇市生まれ。
           1985年に東京に出て、広島出身の歌手ナビィさんと
           音楽ユニット、寿[KOTONBUKI] を結成した。

2008年6月22日

朝日新聞6/22社説に「ひめゆり」

6月22日の朝日新聞・社説に
ひめゆり資料館に関することが大きく取り上げられている。

その中で、映画『ひめゆり』の2年目上映のことも・・・。

朝日新聞・6月22日・社説
 「沖縄慰霊の日――本土に届け、戦争の記憶」。
http://www.himeyuri.info/image/blog/20080622_asahi_editorial.jpg





2008年6月24日

6.23を過ごして

6月23日(沖縄・慰霊の日)を、皆さんはどのように迎え、過ごしただろうか?
東京のイベントでは、記憶をどうつないでいくかを、多くの皆さんと考えた。
120人以上の方が来てくださり、小さな会場はあふれかえった。


全体を二部構成とした。


以下は、ざっとした報告。でも、読んでも、うまく伝わらないかもしれない・・・・。


第一部は「与那覇百子さんの6.23」というテーマ。
百子さんの戦中、戦後を支えた「生きろ」という言葉を中心に語ってもらった。


      解散命令の直前に、「何があっても生きるんだぞ」と語ったものの、
      自らはガス弾の犠牲になった音楽の東風平先生。
      荒崎海岸で洞窟に隠れていたとき、「あなたたちは十分に尽くした、
      これからはしっかりと生きなさい」と言い、洞窟から追い出すことで
      百子さんらを助けた日本兵。
      「死にたい」「死ね」「捕虜になるぐらいなら潔く死になさい」と言うことしか
      許されない状況下で、
      百子さんは偶然にも、「生きろ」というメッセージを受け取ることができた。
      終戦直後、身寄りを失い、天涯孤独の悲しみから泣いてばかりいた百子さんに、
      「笑顔で生きなさい、泣きっ面に蜂というでしょう、悲しいのはあなただけでない、
       沖縄の人はみんな悲しいんだ」と諭した近所のおじさん。
      そうした「生きろ」というメッセージが、百子さんの人生を支えてきた。


第二部は、「戦争体験の記憶を受け取り、記憶をつなぐってどんなこと?」をテーマに
若きカリスマ編集者・伊藤剛さん、
そして「100年後プロジェクト」を企画した宮沢かなえさんが
トークの口火を切った。


       伊藤さんが、「僕は学校では近現代史は一度も教わらなかったが、
       近い歴史を知らないのは、酔っ払って昨晩の記憶を失っているようなものだ」と
       語り始めた。
       そこで伊藤さんは、自らの視点で、過去100年という時間を振り返る。
       気づいたことは、「既に存在したものがあって、次のものが生まれること。
       人類は、良き未来に向かって、
       人類の祈りのベクトル、確実に拓かれた未来へと進んでいること。」
       スライドや、ビデオ作品を使いながら、語った。


       かなえさんは、「子供の頃にアンネフランクを読んでとても感動したのに、
       大人になってから、たとえばイラク戦争を遠く感じてしまうようになった。
       ひめゆりと出会って、ひめゆりの一人ひとりの青春時代、学園時代の輝きを知り、
       アンネの世界と、イラク戦争とがつながった」という。


       二人に共通したのは、「平和は、
       日々の生活の大事なものを、愛おしむことにつながるのではないかということ。
       いま失いたくないものを未来へと伝えようとしていくこと。」


       百子さんも、「私が、『100年後に残したいものは何か?』と問われたら、
       『きょうと明日がつながっている毎日』と答えたい」と語った。


       過去・現在・未来のどれをもないがしろにせず、
       日々を育んでいくことの大切さ、などが語られた。


       「大切なものは、失って初めて気づくもの・・・・・。
       でも、失う前に・・・・、きちんと気づきたい・・・・。」


ミュージックユニット、寿〔KOTOBUKI〕が、第一部のラストに歌った
「継いでゆくもの」も圧巻だった。


会場にいらした方々との質疑応答もよかった。


結論は何もない。
だが、6.23にこの場を共有できたことは、
少なくとも僕にとっては、未来に向けての大きな一歩だった。
自己満足でないと良いのだが・・・・。


慣れない司会をやった緊張と、皆の想いの深さから受けた興奮がさめやらず、
まだ支離滅裂でしか語れない。
落ち着いて整理できてから、
この6.23を、もっと多くの皆さんと共有できるよう、
きちんと報告したい。


(昨年のCoccoさんとの上映会報告が半年以上たってからできたように、
 かなり時間がかかると思います・・・・。)

2008年6月25日

2回目の『ひめゆり』 ~ さきまさん(24歳) から

先週、東京・ポレポレ東中野の客席に、いかにも南方系のきらっとした顔立ちの少女がいた。
昨年、沖縄(あしびなー)の上映会の客席でも見た顔だった。
さきまさん、24歳。
彼女から先ほど、こんな手紙が届いた。


     今、この手紙を書いている居間のテレビでは、
     慰霊の日の特集をしています。
     先日、東中野のポレポレで、壁画のイベントに
     参加させていただいた、さきまです。
     その節は、色々お話もしてくださって、ありがとう。


     私は、今回 『ひめゆり』は 2回目に観る機会だったのですが、
     昨年のあしびなーで観た時は、あまりの衝撃で
     泣くことしか出来ませんでした。
     しかし今回は、証言してくださった方々の言葉を
     冷静に、ちゃんと聞くことが出来ました。
     自分に今できる事とか、考えるようになりました。


     今は私は、東京で絵の勉強をする為に、
     学生をしています。
     頑張ると上京していますが、今は少し疲れ
     が出てしまい、毎日自問自答の日々です。
     でも、沖縄への想いも、未来への希望も失わず、
     また頑張れたらいいと思ってます。


     『ひめゆり』のおばぁ達の話を聞きながら、
     夢を叶えられなかった人達の悲しみとか、
     くやしさって、測り知れないものだと思います。
     その分まで、頑張りたい。


     沖縄のことも、もっともっと学んで、
     内地の人たちや、後の世代に伝えられるように
     なりたいと思いました。


さきまさん、ありがとう。
沖縄を出て、東京暮らしをすると、最初は本当に苦しいと思う。
『ひめゆり』プロデューサーの大兼久由美も、高校を卒業して沖縄から東京に出てきたとき、
耐えられなくて、1年あまりで沖縄に帰ってしまったという。
寂しくなったら、「観る会」の事務所に遊びに来てくださいね。
ボランティアの仕事、たっぷりあります・・・!!?

きょう 「集団自決」訴訟 控訴審開始

東京にいると気づきにくいが、
いわゆる「集団自決」訴訟の控訴審が始まった。
沖縄戦の住民の集団自決が、旧日本軍により強いられたものだという、
沖縄では疑いようのない事実を、歪曲しようとして起こされた訴訟。


一審では、歴史をねじまげる勢力が敗訴。


控訴審がどうなるか、
映画『それでもボクはやっていない』に見るとおり、
裁判官の良心そのものが危うい今日の時世だ、
判決がひっくり返らないように、
きちんと見守りたい。


【沖縄タイムス】 史実確定へ全国で動き/「集団自決」控訴審開始
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200806251700_02.html

2008年6月26日

速報 山形 500人突破!

山形での映画館上映が先週土曜日から始まっているが、
これまでの5日間で500人以上の方が足を運んでくださったという。
地方都市の映画館上映としては、かなり良い。


山形の上映は、「ぷらっとほーむ」という地元の市民団体が主催し、
山形フォーラムという映画館の場所を借りる形で上映を試みている。
「ぷらっとほーむ」主催者の一人、松井愛さんもCoccoファン。
映画の上映なんて、初めての経験で、
仲間たちと事前に学習会も積み重ねたという。


松井愛さんたちはいま、上映の全ての回で、上映前後の挨拶をしているという。
そこで「バトンをみなさんに繋げたい」と伝えていることが
確実に返ってきているという。
挨拶の後に客席からスタンディングオーべーションもおこるらしい。
「映画を山形に持ってきてくれてありがとう」と・・・。


詳しくは、「ぷらっとほーむ」のブログを。
ぷらっとほーむ スタッフルーム
http://d.hatena.ne.jp/taki-plathome/


  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇

6月28日、続報があった。
1週間の上映で、727人の方が来て下さったという。
若い市民の努力と、それを支える地域の力が、つながった結果だろう。
福島、そして山形。
Coccoさんのファンの若者たちが蒔いた芽がきっかけになって、
これから東北地方へと『ひめゆり』が広がって行って欲しい。
東北は、北海道についで、沖縄戦での犠牲者の多いところだもの。


2008年6月28日

雨のち晴れ

先週、「お天気まつり」と称して、ポレポレ東中野の監督トークに
恥ずかしながら、酔っ払って行ったことを書いた。
   http://www.himeyuri.info/kantoku_blog/2008/06/otennki-matsuri.html

あのとき、僕のことを笑い飛ばしてくれた素敵な女の子、
ズンコさんの書いてくれた日記が、まわりまわって、僕のところに届いた。
すごくうれしかった。

  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇

     昨日、映画を見ました。

     「ひめゆり」

     あ~ひめゆりってあの沖縄のやつね。
     きっと皆、まず、そう思うよね。

     私も最初そう思った。

     映画館の中にはたった6人。

     もうずっとずっと、何も語ることができなかったおばあたちが
     初めて口にする、昔の話。
     切断された手ってね、すごい重いんだって。
     知ってる?
     それを17歳とかの少女が運ぶんだって。
     私、運べるかな?

     ものすごーく勇気を出して語ってくれたおばあたちの話を聞きながら、
     私はただただ泣くことしかできなかった。
     泣いて泣いて、顔もぱんぱんで。
     放心。

     上映が終わった所に登場した、酔っぱらった監督。
     そんなんあるかな?
     自分の映画のトークショーに酔っぱらって来るなんて。
     初日のお客さんがあまりに少なくて、
     悔しくて悲しくて、お酒を飲まなきゃいられなかったらしい。
     すごく、愛くるしい監督です。しばやん。

     そんで、いっぱいいっぱい一緒に笑った。
     笑った。

     いわゆるおもーい映画を見て、
     くらーい気持ちになって、
     泣いて、
     笑った。

     私たちは、こんな映画を見たあとには、
     いっぱい笑って、人生を楽しんで、唄いながら帰らなければならない。
     それが正しい方法なんだと、知りました。

     あんな風な感情で笑うのは、初体験。
     最後はありがとうを言い合って別れました。

     監督が酔っぱらわなくてもいいように。
     おばあたちの精一杯がひとりでも多くの人に届きますように。
     ひめゆりにねむるひとたちを少しでも多くの人たちが覚えていますように。

  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇

ポレポレ東中野の上映、一週間目は客席がら~んとしていたけれど、
皆の応援があって、2週間目はぐっと伸びた。
経営的には苦しいかもしれないけど、
たぶん、来年の6月も上映してくれる、と、思う・・・・。
 

     私たちは、こんな映画を見たあとには、
     いっぱい笑って、人生を楽しんで、
     唄いながら帰らなければならない。


そういえば、同じようなこと、昨年8月15-16日にCoccoさんも言っていた。
6月15日に、僕に酒をたっぷり飲ませてくれた、
しんゆり映画祭の三浦さんにズンコさんの日記を知らせたら、


     異議なし!この言葉は絶対正しい。
     私がしんゆり映画祭のなかに
     「日本酒同好会」という組織を
     作ったのもそういう思いがありました。


と、ちょっと言い訳もこめられた共感メッセージが来た。


お天気まつり。 雨 のち 晴れ。


ポレポレ東中野の上映は、今年は終わってしまった。
川崎市アートセンターも、横浜シネマ・ジャック&ベティも、終わってしまった。
ポレポレの青い壁の絵を、寂しい気持ちになりながら、ひとつずつ外していった。
 (集まった絵については、後日、ひとつずつ紹介していきます)


でも、皆の想いが、少しずつ繋がってきているような気がする。


だって、ズンコさんの日記、愛媛県松山のまみこさんから知らされたんだ。
まみこさんに至るまでに、ミサリンコさんなど、友人たちの手を経て、
僕のところに届いた。
昨晩、千葉のひとみさん経由でも、この日記のメッセージが届いた。


つながっていく。
想いがつながっていく。
こんなことが、10年、20年とつづいて、
人生を刻む年輪のように、命をつないで行けたらいいなぁ。


今日からは、京都シネマでの上映も始まった。
7月は、愛媛、松江、高松、山梨、埼玉などでの市民上映会がつづく。
つながれ、つながれ、つながってほしい・・・・。

2008年6月30日

アニメ プロジェクト きょう締切

ひめゆりの心を、幼い子どもたちにも伝えられるよう
アニメを作る―――
その原画作者を募集する公募が、
きょう締切だ。


映画『ひめゆり』をご覧いただいてから
応募してくださった人もいる。
とっても素敵な作品だった。


きょうの消印まで有効なので
想いのある人はぜひ。

http://www.himeyuri.info/animation/boshu.html

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