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松江: 街の会話として語れるには・・・

松江から、そのまま、山形の山村に来ているため
すぐに報告・更新ができなかった。

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神の国とはよく言ったものだ。
出雲空港に到着した瞬間、そう思った。


八雲たつような、低く立ち込めた雨雲の間から
太陽光が差し込み、
宍道湖の水面に照らされて
空気全体に光あふれていた。


僕は10月「神無月」(神が出雲に行ってしまって不在の月)の東京生まれ。
神のいない時にこっそりと生まれたという
何か妙にやましい思いが子どもの頃からあったので、
僕が生まれたときに神さまたちが集まっていたという
出雲の国には、ちょっと不思議な憧れがあった。


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出雲の映画の上映は、「結い方式」だと思った。
誰かが「この映画をやりたい」と思ったとする。
「今度私はこの映画の上映会をやりたい、
 あなたのやりたい映画のときに手伝うから、
 私の上映会も手伝ってね!」
自分がこの地で多くの人と共有したいと思った映画を
言いだしっぺになった人が
助け合いながら、上映していく。
そんな意味での「結い方式」だと思った。


すぐれた発起人(言い出しっぺ)たちが
たくさんいる土地。


『ひめゆり』をめぐっては、こんな風に始まったという。
CoccoファンのNaokoさんが東京で『ひめゆり』を観て
地元の松江で上映したいと思った。
そこで、松江でさまざまな文化活動をしている友人、
高嶋敏展さんに相談した。
高嶋さんは、広島・横川シネマで『ひめゆり』を自分の目で観て
「上映をやりたい」と思った。
高嶋さんは、このとき、「言いだしっぺ」になる腹を固めた。


ちょうど同じ頃、高校で美術の先生をしているKさんが
羽田澄子監督の『終わり良ければすべて良し』を上映したいと
思って動き始めていた。
Kさんは、その後、大阪で『ひめゆり』を観て
『ひめゆり』もやりたい気持ちがあったが、
まずは自分が上映を決めた『終わり・・・』を成功させなければならない。
誰か『ひめゆり』をやりたいという人物が現れないかと
ひそかに探していたところ、
高嶋さんから声をかけられた。
   (高嶋)「Kさんのやりたい映画を手伝うから、
        僕のやりたい映画も手伝ってください」
   (K)  「何をやりたいの?」
   (高嶋)「『ひめゆり』です」
Kさんは、こんとき、
「鴨がネギを下げて飛んできたとはこのことだ」と
内心小躍りしたという。
   (K) 「はい、喜んで手伝います」
こうして、『ひめゆり』の上映に向けて実行委員の核が出来た。


実行委員の中には、
『六ヶ所村ラプソディー』を皆に声をかけて実現させた人などが、
「結い」=相互扶助の精神のように結集。


映画の専門家でも何でもない人たちが
こうして互いに映画という媒体を通して助け合い、
文化を共有していこうとする姿に
僕はものすごく感動した。


こうした「映画の結い」活動を支えるのが
松江キネマ倶楽部だった。
キネマ倶楽部は、かつては会員制で、
「良質だが地方の映画館ではやらない作品」を上映する
活動を行っていた。
しかし昨今、シネコンが松江にも進出、
会員制を維持しながら定期的に映画上映をするのではない
別のありようを模索した。
そして現在、「映画上映をやりたいという人をサポートする」
という役割を進んで引き受けることに至ったという。
松江キネマ倶楽部は、上映についてのさまざまなノウハウを持っている。
「上映会をやりたい」という言いだしっぺたちを
たとえば行政にかけあって会場経費を安くしてもらうなど
現実的な面でサポートするのだ。


松江キネマ倶楽部の代表、Yさんは
  「個人的にはもっと劇映画をやりたいのだけれど
   皆さんが“やりたい”と言ってくる作品は
   ほとんどドキュメンタリーなんで・・・」
と苦笑していた。
縁の下の力持ちに徹する人たちがいる、
これもすごいことだと思った。


大事だと思ったことを決して独り占めしない、
みんなに伝えることで地域を豊かにするんだ、
そして自分自身ももっと豊かにするんだ・・・。
そんなスピリットが息づいていた。


高嶋さんの名言。
    「僕が広い会場と集客にこだわったのは、
     人口の少ない地域で大勢が
     まとまった体験をすることは
     街の共通認識を生むことです。
     1000人くらいがまとまって見てくれれば
     街の会話として『ひめゆり』は語られると思います。
     東京では考えられない事ですが、
     松江なら十分にあり得ることです。
     島根、鳥取の人口と松江市の人口密度を
     調べてみればすぐわかります!」


明治初期、ラフカディオ・ハーンという異形の外人を受け入れた町、
松江の文化の底力を感じた。


素敵なところだなぁ。


こんどあらためて、ゆっくりと訪ねたいと思いながら、
別件で取材をするため、山形に向けて、寝台列車に乗った。





*会場には、昭和10~20年の松江周辺の様子を映した写真や
 当時松江で製造されていた手榴弾の信管を入れた箱などを展示していた。
 沖縄を遠い国として捉えるのではなく、
 自分たちの町とつながっているんだという眼差しが
 すばらしかった。

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2008年7月21日 18:50に投稿されたエントリーのページです。

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