6月、悲しい別れがあった。
記録映画の巨匠、土本典昭監督が
6月24日、沖縄・慰霊の日の翌日に、静かに旅立たれた。
土本さんは、『ひめゆり』の完成後、まもなくご覧になり、
以後ずっと応援してくれていた。
これは、土本さんが送ってくださったコメント。
長編にもかかわらず、ひめゆりの方々の数十日が手に取るように伝わり、
全く長さを感じませんでした。
証言者のひたむきな伝えたい気持も、落ちついた口調でたしかに伝わりました。
実景や実写フィルムも話を生かすだけに限られ、ひきしまった映画になっていると思います。
今日、はじめて記録するに価する「ひめゆり」が出来ましたことを心よりうれしく、
また身のひきしまる想いです。
80歳近い記録映画の監督に「身のひきしまる想いです」と言われ、
こちらは、恐縮至極、穴があったら入りたいような気持ちだった。
土本さんは、折にふれ、「天声人語に出たね、よかったね」などお手紙を下さり、
僕たちを励ましつづけてくれた。
先日、NHKのBSの深夜枠で、土本さんの代表作、
『水俣病・患者さんとその世界』が放映された。
土本さんは、奇をてらわず、水俣病の患者さんたちにまっすぐに寄り添い、
その姿と想いを撮っていた。
このときの撮影助手だった一之瀬正史カメラマンは、
『ひめゆり』の撮影も参加してくださり、
芸術文化振興基金に助成金を応募するとき、
書類の作り方も指導してくれた。
土本監督のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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6月6日、埼玉新聞編集委員を務めた近田洋一さんが
急逝した。
沖縄出身の近田さんは、1972年の沖縄本土復帰当時、
琉球新報のデスクとして、沖縄の世論を引っ張っていた。
しかし沖縄が本土復帰したとき、結局は基地つきの返還で、
米軍のいない平和憲法下に入るという夢がたたきこわされた。
近田さんは、「沖縄にいては本土の人には伝わらない、
本土に渡って、本土の人に沖縄のことを伝えたい」と
埼玉新聞へと移った。
昨年4月、『ひめゆり』のマスコミ試写会のとき
上映後、ひとりの髭面の親父さんが急に立ち上がり、
並みいるマスコミ陣の前で語り始めた。
「僕は長いこと沖縄で新聞記者をしていたが、
ひめゆりの方々の話は、いくら聞こうとしても聞けなかった。
それがこうしてドキュメンタリー映画として観れたこと、
ひめゆりの皆さんがこれだけ語ってくれたことに驚いた。
マスコミの皆さん、ぜひ、この映画を応援してください」
これが、近田さんと僕との初めての出会いだった。
近田さんが、緊張して声が出ない僕にかわり、見事に挨拶をしてくれた。
そのとき以来の、お付き合いだった。
近田さんの名セリフ。
「最もシンプルで、核心を突いた『憲法論』は『ひめゆり』です。
100回学習するよりも『ひめゆり』を一度見ましょう。」
7月31日に予定されている埼玉での上映会は
近田さんが「埼玉の人に広めたい」と企画したもの。
上映会は、いま、近田さんの友人たちの手で
着々と準備が進められている。
良い上映会になって欲しいし、
僕も、近田さんの魂に出会うつもりで、出かけて行こうと思っている。