« 2008年8月 | メイン | 2008年10月 »

2008年9月 アーカイブ

2008年9月 4日

アオイソラ ヒロイウミ その後

きょうは、宮沢かなえさんが『ひめゆり』を観る会の事務局に。
「アヲイソラ ヒロイウミ」のプロジェクトに出品してくださった方々へ
お礼状を書き、送る準備を行った。


以下は、かなえちゃんからの手紙。

  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇

    こんにちは
    2006年6月、映画『ひめゆり』ポレポレ東中野の上映にあたり、
    「アヲイソラ ヒロイウミ」を一緒につないでいただき、ありがとうございました。
    贈っていただいた作品によって会場へとつながる階段の壁を
    ぬくもりの溢れる空と海の色で彩ることができました。
    映画を観に来られたたくさんの人たちを迎え、見送ることができました。


    -誰かに贈り物を贈るということ-
    沖縄の戦後、子供たちに贈られた教科書の言葉からスタートしたこの企画ですが
    つながったソラとウミを見て想ったことがありました。
    作ることができる、買うことができる、感じること、話すことができる など
    それは、今、手に持っているからこそ誰かに渡すことができるものかもしれません。
    ‘贈りたいもの’を作るために割いてくださった時間、作るという作業そのもの、
    込められた祈りと温もり…全部含めて
    今、私たちはたくさん、素敵なもの、大事にしたいものを、
    ここに 持っているのですね、
    当たり前のことだけれど そう 改めて感じさせていただきました。
 

    今回、会場では『ひめゆり』で語られる哀しみや祈りの、そのとなりに
    私たちの「100年後の毎日に贈りたい」がありました。
    それは今、世界中で起きている紛争などの、そのとなりに
    私たちの毎日があること と、そんなに大きくは違わないのかもしれません。


    今もどこかに ひめゆりの少女達がいます。
    その人たちの手に、目に、アヲイソラ ヒロイウミがあること、
    見失わずに感じられる毎日が 守られることを祈ります。
    守る力のためにも、私も自分のソラとウミを見失わないように
    見つめて生きたいです。
    私たちが今、手にしている ‘贈りたい’が
    私たちの手によって100年後の毎日へも、贈る事ができますように。 
    つながっていきますように。               
 

    たくさんの感謝と祈りを込めて           
                 

        アヲイソラ ヒロイウミ   宮沢かなえ

  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇

出品してくださった皆さんには、かなえちゃん手作りの
プレゼントも届くので、お楽しみに。


また、なるべく早めに、ウェブ上でも、寄せていただいた作品や手紙を読めるように
したいと思っている。


このプロジェクト、とても大事な試みで、
今後、もっと発展させていけないか、そんなことも考えている。

2008年9月11日

ふくろう

おととし撮影を始め、1年かけて完成・放映したドキュメンタリー
NHKスペシャル 「世界里山紀行~フィンランド・森・妖精との対話」
ドイツにつづいて、アメリカの映画祭でも受賞したという知らせがあった。

あの一年間は、フクロウ漬けだった。
フィンランドだけでなく、雲南省でもフクロウの撮影をしていた。
9月、雲南へ向かう中継地、香港で、Coccoさんに手紙を書いた。
10月、雲南でのフクロウの撮影が奇跡的に成功し、日本に戻ってみたら、
Coccoさんの「想い事。~ ひめゆりの風」の文章が届いていた。


フィンランドの、僕の大好きなお百姓さん、オッリさんの家の
白樺の巨樹に住み着いたモリフクロウ。
オッリさんは言っていた。
「フクロウが来ると、胸がどきどきする。
 フクロウは、目に見える世界と、目に見えない世界とを
 つないでくれる使者。
 コンタクトだから・・・」


ふくろう、不苦労、福ひろう・・・、知恵の象徴。


秋、9月。
今ごろオッリさんの家の近くの森では、
巣穴から森へと出たヒナ鳥たちが、ホウホウと鳴いているだろう。
ヒナたちは、まもなく、羽根がそろい、空高く飛び立つ。


ホウホウ、ホウホウ。
秋風が吹くと、あの森の情景を思い出す。


フィンランドの本づくりも、ちょっとづつ、進んでいる。

2008年9月13日

英語版、ほぼ完成

皆から「作った方がいい」と言われてきた英語版がほぼ完成。
「ほぼ」というのは、
僕と翻訳のジェフさんとの間で数ヶ所、意見が一致していないところがあるのと、
ひめゆりの皆さんにまだ完全には観ていただいていないことがある。


先の月曜日、ひめゆりの学級委員会(資料委員会)で
ひめゆりのおばちゃんたちと話し合い、
タイトルは単に "Himeyuri"とし、"Star Lily"という単語は使わないことに決めた。
「ひめゆり」という言葉は、花の姫百合(Star Lily)を指すのではない。
沖縄師範学校女子部の校友会誌が「乙姫」
沖縄県立第一高等女学校の校友会誌が「白百合」だった。
2つの学校が併置校となったとき、
「乙姫」と「白百合」から一文字ずつ取って、「姫百合(ひめゆり)」とした。


花の「ひめゆり(StarLily)」は、オレンジのどぎつい色の花。
沖縄には咲かない。
「ひめゆり学園」の校章は百合の花だったが、
それは沖縄に咲く白い百合の花。
Star Lily とはまったく違う。
Lilyという単語を残したい思いもあったが、
まちがったイメージが広まると良くないので、
削ることにした。


「ほぼ完成」版だが、9月20日に、オランダのロッテルダムで初上映する。
カメラ・ジャパン・フェスティバル」という映画祭で、
今年は、第二次世界大戦の記憶をどのように継承していくかというテーマで作品が集められ、
オランダの映画監督や研究者を交えてのパネル・ディスカッションも開かれる。


2008年9月19日

オランダへ

明日、オランダのカメラジャパン映画祭に向けて出発。
台風の影響が心配だったが、何とか飛び立てそうだ。


『ひめゆり』の上映は、9月20日(土)夜8時から、
ロッテルダムの、Lantaren Venster(ランターレン・フェンスター)。
どんな場所なのか、さっぱり想像がつかない・・・。
   Sat 20.09. / 20:00 / Lantaren-Venster / Rotterdam
http://www.lantaren-venster.nl/36-931-Himeyuri


『ひめゆり』の上映に先立ち、「語られなかった歴史」と題して、
パネルディスカッションが開かれる。
   Panel Discussion 'Untold History'
   Sat 20.09 / 16:30 / Lantaren-Venster / Rotterdam: FREE
http://www.camerajapan.nl/2008/lectures_01.html#lectures04


なお、同じ映画祭の一環で、『ひめゆり』は
10月19日(日)にも、ユトレヒトの劇場で上映されるという。
   Sun 19.10 / 15:00 / Filmtheater 't Hoogt / Utrecht


『ひめゆり』という映画が、オランダの人々にどのように受け止められるのか、
不安でいっぱいだ。
観ていただく英語版自体が、おとといまで微調整をつづけ、
ようやく 「ほぼ完成版」 となったばかり。
また、このところずっと、今から始める映像記録プロジェクトをめぐって多忙を極め、
オランダについてきちんと勉強していく時間もなかった。
第二次世界大戦の当時、オランダ人捕虜に対する日本の扱いは酷く、
オランダでは、その面で、反日感情も強いと聞く。
僕は歴史や平和問題の専門家ではないし、わからないことがほとんど。
だから、皆さんの考え方を聞くというつもりで、
率直に、パネル・ディスカッションに臨もうと思う。

2008年9月23日

カメラジャパン映画祭(1)

オランダのロッテルダムで開かれた
カメラジャパン映画祭に行ってきた。


まず、Kees HIN(ケース・ヒン)監督(世界的に有名なオランダ人ドキュメンタリー監督)の作った
「Old Pain(遠い日の悲しみ)」というドキュメンタリーを観た。
かつてオランダの植民地だったインドネシアは、1941年に日本の占領下となった。
インドネシアに在住していたオランダ人たちが、男女別々に収容所(Camp)に入れられ
過酷な扱いを受けた。
その苦しみの記憶を背負ったオランダ人たちが、「8月15日を記念する委員会」を作っていて、
Kees HIN監督はそこから依頼を受けて、
依頼者の一人でかつて収容所を体験したPeter SLORSさんとともに映画製作を開始した。
このドキュメンタリーの優れているところは、
オランダ人側の苦しみだけを記録するのではなく、
Peterさんたちがオランダの人の声を記録したビデオを持ち、
日本のさまざまな人を訪ねてまわり、
会話を積み重ねて行こうとしていること。
「双方の間接的な会話を積み重ねることで、歴史を未来に切り開こうとした」と
Peterさんはいう。
良い映画だった。
カメラは、礼儀正しくしている出演者が時に苦しみのなかで見せる別の素顔をも
さりげなく切り取る。
そうすることで、「常にユーモアのセンスを失わないように描こうとした」という。
その点、Kees HIN監督の手腕も良かった。
また、映画に出演したオランダ人老婦人が言っていた言葉がある。
「日本人を憎んではいない。
 むしろ、過去のこの事実を知ろうとしないオランダ人の若者に怒りを覚える。」
歴史の記憶の継承は、日本だけの問題ではない。


と、ここまで書いたところで、これから長野県上田の上映会へ。
今年、僕が行ける最後の上映会。
これから年末までは、次の製作に専念をして行こうと考えている。

2008年9月24日

カメラジャパン映画祭(2)

上田の上映会から戻った。
お彼岸のためか、長野新幹線が超満員で、
自由席は軽井沢まで座れず、通勤電車状態だった。


さて、オランダ・ロッテルダムでの、カメラジャパン映画祭のつづき。


20日16時半からは、「Untold History--語られて来なかった歴史」と題して、
パネルディスカッション。
前述のKees HIN監督、Peter SLORSのほか、
ライデン大学日本語学科のEithan Mark、Kiri Paramore両先生も参加。
「日本でなぜ最近、第二次世界大戦を扱ったドキュメンタリー作品が
 に若い監督の手によって作られているのか」、というテーマで話して欲しいと頼まれ、
僕から話を始めた。
さまざまな話が出たが、Kees HIN監督の話が印象的だった。
「オランダ人が、ナチにひどい目にあったとか、日本人に虐待されたとか、
 そういう被害の側面だけを語るのは未来がない。
 なぜ、人々はナチズムに走ったか、なぜ日本兵は残虐行為を行ったか、
 そのプロセスをきちんと探っていかないと、未来が見えない」


  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇

20日の夜8時からは、いよいよ『HIMEYURI(ひめゆり)』の上映。
3日前に「ほぼ完成版」が出来上がったばかりの、初の英語版上映。
オランダのお客さんたちは、2時間10分、途中退席することも眠ることもなく、
じっとスクリーンに見入ってくれた。
上映が終わって拍手が起こったときは、ほんとうにほっとした。
上映後の質疑応答。
まず、初老の女性が声を上げた。
  「この映画、一回だけの上映なんてもったいなさすぎる」
女優をしているという若い女性、
  「休みだったので何気なく映画祭に来て、ぐうぜんHIMEYURIを観た。
   英語は得意な方じゃないけれど、意味は十分伝わった。
   最初はinformation(情報)を与えられているという感じだったが、
   ある時点から突然、自分が、画面の女性たちと一緒に
   戦場の世界を旅するようになった。
   ドキュメンタリーだったのが、途中から、まるで劇映画のように感じられた。
   登場する女性たちが、泣いたり喚いたりせず、他者を非難したり責めたりしない。
   その姿が心に刻まれた」
Kees HIN監督、
  「構成(structure)がすばらしい。
   沖縄の人、米軍、日本軍、それぞれの立場から
   多面的にあの戦争を体験することができる。
   しかも、当時の軍部や天皇への批判精神もしっかりしている。
   最後の洞窟で話していた女性(注、宮良さんのこと)の言葉に
   すべてが集約していると思った。
   何でもっと早く英語版を作ってくれなかったの?」


ということで、字幕スーパーで紡いだ英語版だが、
国境を越えてきちんと伝わることは確認できた。


映画祭に招待してくれたDirectorのAlex Oostさん、
通訳をしてくれたBert Scholtesさんをはじめ、
関係者の皆さん、ありがとうございました。

信州・上田での上映

駆け足で行ってきた、長野県上田での上映会。
信州沖縄塾の人たちが中心になって実行委員会を作り、
上田でんき館という映画館で、9/20~9/25まで、
1日2回(10:00/18:30)、『ひめゆり』の上映が行われている。


信州沖縄塾の事務局長の竹内茂人さんとは、
昨年の夏、長野市で行われた上映会で出会った。
そのとき、「ぜひ上田でも上映したい」とおっしゃってくださり、
1年あまりの準備を経て、上映にこぎつけた。
きょう知ったのだが、
竹内さんは、元国鉄の運転手だったという。
1962年にSLの機関助手から勤め始めて、最後は特急「あさま」や「しなの」号の運転をしていた。
僕も、幼児から小学生時代までは、「将来の夢は」と問われると
「電車の運転手」と答え、時刻表を暗記するぐらい鉄道少年だったので、
急に竹内さんが近い存在に感じられた。


上田でんき館は103席の映画館だが、
きょうは補助席も出す状況。120人ほどの方が、午前の部に観に来てくださった。
これまで3日間の上映も、観客数はまずまずだ。
しかも、「小中学生は無料」と特別設定していることもあり、
中学生たちの姿が目立っているという。
きょうも、たくさんの中学生たちが、友達どうしで誘い合ったり、
親に連れらて、来ていたのが嬉しい。
この上映にこぎつけるために、上田の実行委員の人たちは
わざわざ新潟県長岡市の上映会に『ひめゆり』を観に来てくだったり、
 (他人に薦めるためには自分が観ておかないと、というため)
また、地元の小中高校などにも根強く告知をしてくれた。


  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇

上田でんき館のHPでは、映画『ひめゆり』について
コンパクトだが的確に紹介してくれている。
でんき館のHPの文章を、参考までに掲載しておく。


     少女たちはなぜ死ななければならなかったのか。
     自らだけが生き残ってしまったという自責の思いを持つ
     ひめゆり学徒の生存者たちが、
     遺影の並ぶ暗い展示室で、若き友に今も語りかけている。
     なぜ語り続けるのか。何が語らせているのか。
     戦争体験から受ける印象は悲惨だ。だが、ひめゆりの生存者からは、
     しっかり生きている強さを感じる。それは彼女たちの根っからの、
     明るさ、優しさ、そして生命への信頼感があるからだ。
     亡き友の命は今もつながっている。


  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇

上映終了後、近くの喫茶店で、実行委員の方々との交流会。
作家で、信州沖縄塾の塾長、伊波敏男さんが
「久しぶりに美しいと感じる女性たちの顔に、スクリーンで出会えた」
と言ってくださったことが、とても光栄だった。


  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇

また、21日に松本市(長野県)で『ひめゆり』市民上映を開いた
木島知草(きじま・ちぐさ)さんたちも、上映と交流会に駆けつけてくれた。
木島さんは、人形劇団「がらくた座」の座長。
全国各地を飛び回り、主に学校での上映活動を行っている。
木島さんの大切にしているテーマは、「性」。
タブーになりがちな「性」について、子供や学生だけでなく、大人たちにも問いかける。
「性交・出産・性感染症・HIV/AIDSなどの難しい問題を
 明るく楽しく語りかける人形劇」として評判で、
僕は昨年末、沖縄市のくすぬち平和文化館で出会った。


  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇  ~  ◆  ~  ◇

上田市と松本市。
おなじ長野県内だが、けっして近くはない。
それぞれに地域で想いをもって活動している人たちが『ひめゆり』を介して出会えたのも
僕にとっては嬉しいことだった。
いつか、全国各地で『ひめゆり』を上映してくれてた人たちが集いあい、
たがいに交流しあえる場を作りたいなぁと思っている。
少しずつ、具体的な計画を練り始めている。

2008年9月26日

松本の上映会から

松本での上映会の様子をつづった写真アルバムを
木島知草さんにいただいた。


この写真、クリックすると大きくなります。
20080921_matsumotos.jpg

沖縄戦の死者の数の爪楊枝(つまようじ)で沖縄の地図を埋めようとしたら、
あまりに多すぎて、あふれ出てしまったとか・・・。


ちなみに、松本には僕の大学時代の友人のBinちゃんがいて、
今回の上映の実行委員に加わってくれた。
15年前、僕が結婚したとき、新婚旅行に行くお金がなく、
沖縄出身のカミさんを連れて、友人・知人の家を泊まり歩いた。
松本のBinちゃんのアパートにも泊めてもらい、
温泉に連れて行ってもらったり、馬刺しをご馳走してもらったのを鮮明に覚えている。
Binちゃん、ありがとうね。

About 2008年9月

2008年9月にブログ「大道映画人」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2008年8月です。

次のアーカイブは2008年10月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。