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2009年7月 アーカイブ

2009年7月17日

いろいろな上映? 川崎市アートセンターで

映画『ひめゆり』を観る会事務局の富士です。

7月18日(土)~8月7日(金)まで
川崎市アートセンターでひめゆりの上映会が行われます。
副音声、日本語字幕、手話弁士つきなど、今まで証言を
届けることができなかった人たちを大切にした上映です。

違う言語や文化背景を持った人たちがお互いを尊重しあうことを
「多文化」という言葉で表すことがあります。
映画でも「多文化」が実現できたら嬉しいなと思います。

盲人は、映画の中にでてくる字幕を誰かが読み上げたり、
映像の説明があれば映画を楽しむことができます。
必要な部分を副音声として読み上げる上映を行います。

ろう者、難聴者は、映画の中の語りの代わりに
字幕をつけることで映画を楽しむことができます。
手話弁士の様子2.jpg

でも、字幕だと伝わりにくい、字幕が苦手な人には
十分に映画の内容が伝わらない場合もあるようです。
そこで、手話弁士付き上映も試みます。
スクリーンの横で手話で語るという表現方法です。

きっとまだ映画を届けることができない人たちがたくさんいます。
これからもいろいろな映画の楽しみ方が出てきていいと思います。

今回、急に副音声をつけた上映会が出来るようになったわけではなく
映画を応援をしてくださっている方々の厚意で実現しました。

副音声は、長岡市の上映会で市民が
副音声をつけるために台本を作っていてくれたからできました。

字幕が出来たのも、字幕つき市民上映会を開いてくれた
函館、松本、ふじみ野市、野方で
字幕台本を少しずつ改良をしてくださっていたからです。

ひめゆりは公開されてから3年目の映画です。
少しずつ一人ひとりの市民の想いや地道な努力の積み重ねで
豊かになってきている結果が表れはじめています。


<お願い!>
7月18日~20日まで 11:40からの回で
副音声を朗読をするボランティア、駅から劇場までの送迎をするボランティアが
盲人のお客様のご来場を待っています。
今まで台本を作るところから、時間をかけて準備をしてきました。
もし知り合いの盲人がいれば是非お知らせをしてください。
18日はまだ盲人の申込がないそうです。

バリアフリー上映というと、映画が届かない人へ向けたマイノリティーサービスと
実際に開催するまでは思っていました。
でも、多様な文化に出会ったり触れ合う場なのではないかと思い始めています。
川崎市アートセンターでの様々な形の上映に触れた後でもう少し
文化ということについてお話が出来るようになっているかもしれません。

何々が出来ない人のために何かを補うための
「福祉」という視点でバリアフリー上映をとらえてきたことに
違和感を感じ始めています。

「文化」という視点でバリアフリー上映を捉えてもいいのかなと
考え始めています。


★川崎市アートセンター上映情報★
【上映日時】
(副音声つき)
7/18(土)、19(日)、20(月祝)11:40

(日本語字幕つき)
7/18(土)、19(日)、20(月祝)11:40
7/29(水)、30(木)、31(金) 10:00

(手話弁士つき 字幕なし)
7月26日(日)・28日(火)10:00

*26 日は上映後に2Fコラボレーションスペースにて、
「米内山明宏さんと語ろう~手話弁士の可能性...」(無料)も開催

【日時(全日程)】
7/18(土)~7/24(金) 11:40 17:30
7/25(土)~7/31(金) 10:00
8/1(土)~8/7(金) 19:40
※月曜休映(祝日の場合翌平日休映)

【場所】
川崎市アートセンター(小田急線新百合ヶ丘駅より3分)
http://kawasaki-ac.jp/access/index.html

手話弁士つき、副音声つき上映予約方法
http://kawasaki-ac.jp/cinema/daredemo.html

手話弁士上映詳細
http://blog.livedoor.jp/documentary_himeyuri/archives/51387843.html

副音声つき上映詳細
http://blog.livedoor.jp/documentary_himeyuri/archives/51387846.html

2009年7月18日

自分が愛した個人を、 戦争を構成する死の中の一部から取り戻し、 再び生き返らせ 

『ひめゆり』は沖縄へ修学旅行に行く前、行った後に学習の一貫として
鑑賞することが多いです。これから修学旅行が増えるに従って
上映会も各地の学校で行われていきます。

一昨日送られてきた高校生の感想を紹介します。


戦争やジェノサイドの恐ろしさというのは、
人が大量に殺されるということではなく、
そこには個人の死が存在しないということではないかと思います。


たくさんの人が亡くなった。「約」何万人。
そこに個人は存在しません。「ひめゆり」に登場した資料館などは、
できるかぎりの個人の復元、自分が愛した個人を、
戦争を構成する死の中の一部から取り戻し、
再び生き返らせ、きちんと埋葬するために作ったのだと思います。


死を再認識するとは、もう一度記憶のなかで死ぬわけですから、
精神的にはそれはもう辛いものだと思います。


私は死を知らない。知らないものは、怖い。
だから知ろうとする、必死に。(みなは違うの?)
人は未来ばかりを追って、過去を清算しないまま来てしまった。
それらのつけが今、まわってきている。


考えることをやめてはいけない。
それは確実なる死だ。人間らしく、
幸せに生きるとは考えることなしにはありえない。


戦争というのもまたひとつのつけだったのじゃないだろうか。
人は考えることをやめ、ひとつのことを妄信したゆえに、
人間らしく死ねなかった。


考えることは疲れるし、めんどうだ。
それを他人にあずけ、楽をした結果が戦争だったのではないだろうか。
「ひめゆり」を観た後、「感動して泣けた」と騒いでいる人が多かったが、
あの映画は同情されるために作られたのではないのでは?


未来は見えない、分からない。
いつ何が起こるか。明日には死ぬかも、狂うかもしれない。
人は過去からしか学べない。過去を学んだ上で、予想して、
考えて、最悪の事態を逃れるために。
「ひめゆり」を観て、私はただただ怖かった。


悲劇の再演は近い。それが戦争なのか、そうでないのかはわからないけれど。
人が人でなくなる日は、もしかすると明日かもしれない。

(2-4女子)


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