エッセイストの森下美加子さんから
岡山県倉敷在住の小説家・エッセイスト、森下美加子さんから届いた便り。
忙しくてパツパツの僕の心を、ほっと暖かくしてくれるお手紙だった。
長いけど、ご本人の承諾を得て、掲載させていただく。
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念願叶って、世界里山紀行「フィンランド 森・妖精との対話」を見ることができました。
再放送の情報を教えてくださって、ありがとうございました。
おかげで一昨日は、素敵なクリスマスプレゼントをいただいたようで、
幸せな気持ちで一日を過ごすことができました。
番組は、想像以上に素晴らしかったです。
フィンランドの自然や、
そこに生息する生き物(植物も昆虫も鳥も動物たちも)、
暮らしていらっしゃる人々の心根(寡黙の内に秘められた強さやあたたかさ)などに触れることができ、
強く心を打たれました。
森に妖精が住んでいる、という発想と観念が、とにかく素敵だと感じました。
中学三年の二男も一緒に見ていたのですが、普段は寡黙な彼が、
フクロウのひなに目を細め、
お気に入りの木を抱きしめるオッリさんに、思わずクスッとほほえんだりしていました。
「あんな風に、森にお気に入りの木があるなんて、いいわね」と私が言うと、
「うん」と二男はうなずいていました。
「ああいう森に行って、お気に入りの木を探してみたいわね」と、また私が言うと、
「うん・・・でも、その木を切られたらどうするんだろう?」と二男は、ちょっと心配そうな顔をしていました。
木を叩いて「切るよ」と知らせて、木の精霊が森のどこかへ行ったとしても、
自分が友だちのように語りかけていた木が、ある日突然なくなったら、
やっぱりショックだろうな、と私も考え込んでしまいました。
それとも、木は、誰でも勝手に切っていいというわけではないのでしょうか。
森の中の木の実などは、誰でもとっていいみたいですけれど。
二男のような現代の日本の子どもは、
自然の中で暮らすということも殆ど体験したことがないですし、
ましてや、森や木や自然に対する信仰心などは、未知数なものだと思います。
けれど、様々な物を擬人化して、それらを大切に扱い、それらに愛情を注ぐ、ということなら、
日本の子も、多少なりとも体験したことがあるのではないでしょうか。
例えば、二男は、彼がまだ小学生の頃のことですけれど、
それまで家族で乗っていた車を、ほんとうに家族の一員のように感じていたようで、
新車に買いかえるとき、かなり本気で反対していました。
「あのこ、どうなるの?いなくなったらいやだ。あのこも、きっと悲しがるよ」と、
ずっと言い続けていました。
どんな時代の人間にも、どんな国の人間にも、
純粋な心を持つ人間には、
精霊のような存在を欲する心が、自然に宿っているものなのかもれませんね。
それにしても、日本の子どもたちは、やっぱり、ちょっと不幸だと思います。
先日、国際的な学習到達度調査(PISA)の結果が出ていましたが、
フィンランドの子どもは、科学的応用力が世界1位で、読解力も世界2位でした。
日本は、調査の始まった7年前こそ数学的応用力などで1位でしたが、
今回は相当(10位まで)順位を落としたみたいです。
フィンランドの子どもは、宿題もそんなに出ないからしないし、
暗記もしないけれど、読書は、よくするそうです。
読書をしているうちに、興味を持って、自然に知識を吸収するのだとか。
今回のPISAでも、「フィンランドの子どもは書いて間違っているのに、
日本の子どもは書かないで間違っていた」と指摘されています。
実際、二男に聞くと、
「そういうテストをしたとき、成績に関係ないからって、白紙で答案を出していた子が、けっこういた」
と言うので、唖然としました。
そういう国に成り下がってしまったのかと、本当に失望しました。
沖縄の教科書問題も、ショックです。
国は、どうして、そんなに現実を隠そうとするのでしょうか。
先日、南京大虐殺のときに兵隊として南京にいたという男の方たちの証言を、
テレビで見聞きしましたが、
中国人にはどんなことをしてもいいと軍から言われた、とか
毎日何十人もの人たち(女性も子どもも含めて)を銃殺した、とか、
倉庫に人をいっぱい詰め込んで蒸し焼きにした、とか、
信じられない話をしていました。
一緒にテレビを見ていた高校二年の長男も、
「そこまでは学校でも教わったことがないし、教科書でも読んだことがない」と、
ひどく驚いていました。
そういえば、ちょっと話はそれますが、
岡山で「ひめゆり」を観たという私の高校の恩師(岡山県内の名だたる高校の校長も歴任された方)が、
数週間前に手紙をくださいました。
とてもいい映画を紹介してくれてありがとう、という言葉の後に、
貴重な意見も添えてありました。(数枚の資料と共に)
1945年6月29日に岡山空襲があり、1737人(一説には7500人とも言われる)の死者が出たことは、
歴史の闇に葬られていて、今も昔も誰も話題に取り上げないし、語り継ぐ人もいない、と先生は、おっしゃいます。
当時5歳だった先生も、北九州から岡山へ疎開してきて、この空襲に遭遇したそうです。
母親とはぐれ、先生は、たった一人で戦火の中を逃げまどい、
死んでいく人たちを大勢目の当たりにしながら、命からがら逃げのび、奇跡的に助かったそうなのです。
先生のような人たちから見ると、
「被害者としての日本」「犠牲者としての一般庶民」は、
沖縄以外にも、日本中に沢山いて、
沖縄の人たちと同じように国からは軽んじられているけれど、
それらを語り継ぐ一方で、
今はあえて「加害者としての日本」についても考えたい、と思うのだそうです。
岩波新書の「アジア・太平洋戦争」を読んで愕然とした、とも先生はおっしゃっていました。
この戦争で犠牲になった日本人は約310万人(内一般市民80万人)で、
アメリカ軍は10万人。それに対して、
日本以外のアジアの戦没者は全体で1900万人以上だと記されていたそうです。
沖縄も、岡山も、その他の日本中の空襲にあった土地も、
アジアの人たちからすれば、全て敵国日本です。
「加害者」ということになってしまうのです、悲しいことですけれど。
その立場についても真剣に考えていかなくてはならない、
と先生は訴えておられました。
「アウシュビッツをはじめとする自分たちの負の遺産を究明し、
裁き、次代に伝え続けているドイツと、えらい違いだと思うのです。
だから、『ひめゆり』だけでなく、この立場からの作品もぜひほしい・・・などと思った次第です」と、
最後は、才能ある柴田監督へのお願いとなって、話を結んでおられました。
なかなか難しい問題ですよね。
でも、私も、少しずつでも、そういうことに目を向けていきたいと思いました。
なんだか話が暗い方へそれてしまいましたが、
フィンランドのテレビを見て、
久しぶりに学生の時に習った「野いちご」という曲を歌ってみたくなりました。
私は子どもの頃から大人になるまでエレクトーンを弾いていましたが、
そのエレクトーンも、久しぶりに弾いてみたくなりましたよ。
森の王である熊を銃で撃ち、霊を慰める、というあのお話の時に、
ずっと流れていたメロディーが、昔歌った「野いちご」と、そっくりだったのです。
調べてみたら、やっぱり、「野いちご」もフィンランド民謡でした。
私の好きな作家、阪田寛夫氏が訳詞した「野いちご」は、こんな歌です。
♪ 野いちご 赤い実だよ 木陰で みつけたよ
誰も 知らないのに 小鳥が 見てた
野いちご 赤い実だよ ひとつぶ つまんだよ
朝つゆ 光るよ ほら こぼさぬように ♪
素晴らしい作品に出会えて、心が洗われました。
ほんとうに、ありがとうございました。
みなさま、お元気で。
よいお年をお迎えください。 森下美加子
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森下さん、ありがとう。
加害の問題については、
ひめゆりのおばちゃんたちの中にもしっかり考えている人がいて、
いつか続編を作るときにきちんと触れるつもりです。